41話 慟哭の空
すると、島の外でグリフォンに股がり遠目で島の様子を伺っていたルナールが、怨気が消失したことを確認すると島へと降り立つ。
そしてソラがまだ生きていることに気付くと、驚きの表情で駆け寄った。
「ソラ、まさかまだ生きていたのか?」
ルナールは、ソラの右頬にだけ黒い翼の痣が浮かんでいる事に気付き驚嘆の表情を浮かべた。
「怨気の黒翼が二人の人間に別れて刻まれるとは、こんな奇跡が起こるなんて」
ソラの隣にいるエルを押し退けてソラを抱き締めるルナール。
「ソラ、お前は奇跡の子だ、お前はきっとこの世界を守る為に生まれて来たんだ。お前ならきっともっともっとこの世界の為に役に立てる、さあ一緒に帰ろう」
そう言いながらルナールはソラの手を掴む。
「お前、まだソラを利用するつもりなのか!? お前はどこまで腐っているんだ!」
憤慨するエルに対し、ルナールは勝ち誇ったような不敵な笑みでエルを一瞥する。
「これは俺とソラの家族の問題だ、他人が口を出すな。ソラは解ってくれている、なあソラ」
そしてソラの手を引きグリフォンに乗せようとした。
しかし、ソラはその手を振り払った。予想だにしないソラの行動にルナールは激しく動揺する。
「何のつもりだソラ」
そんなルナールに対し、ソラは真っ直ぐな瞳で返す。
「俺はもう、あんたの元には帰らない」
「なんだと?」
「俺はエルと一緒に生きていく、そう決めたんだ」
「……ソラ」
「本気で言ってるのかソラ」
決意したようなソラの突然の言葉に、ルナールは受け入れがたいと言わんばかりに歯を軋ませた。しかしソラはそんルナールに対し、臆せず毅然と言い放った。
「ルナール、あんたには感謝してる、それは本当だ。拾ってくれて居場所を与えてくれて家族になってくれた、いや家族になったふりをしてくれた」
「ふりだなんて、俺はお前を――」
「もういいだろ!」
ルナールの言葉を遮り、ソラが叫ぶ。
「ソラ?」
「あんたは今回の件でたくさんの報酬を得られる。それでもういいだろ? それ以上を望む必要なんてない筈だ」
「が、ガキがわかった風なことを」
「今回の件で俺はあんたに借りを返したつもりだ、俺はもうこれ以上あんたに従うつもりも、あんたの元に帰るつもりも、あんたの家族だと思い込むつもりもない!」
居場所が無かった、生きる理由が無かった、味方もおらず、未来に希望も持てず、それでも、この広い世界の中で、たった一人でも自分の為に泣いてくれる人がいる、それだけで生きていけるのだとソラは知った。
「この恩知らずが」
憤慨しながらルナールはソラに向けて拳を振り上げる。
「よく言った、それでこそ私が認めた私の親友だ」
しかし、エルは軽く微笑むと、ルナールの前に立ち塞がった。そして眼光を鋭くさせて睨みつける。
「ソラを傷付けるというのなら、今度こそ容赦はしない!」
「あ……うっ」
エルの気迫に圧され、ルナールはゆっくりと後ずさっていき、島の端。
その時だった。
「があっ!!」
ルナールの背後から突き刺さったのであろう剣の刀身のようなものが、ルナールの腹部を突き抜けた。
いつの間にかルナールの背後に立っていた何者かによる刺突がルナールを貫いたのだ。
「あ……ソラ……助け……」
痛みに悶え、ソラに助けを懇願するルナール。
直後剣が引き抜かれ、腹部から血が噴出すると、ルナールは朦朧としながら後ろ向きに倒れ、そのまま島から落下し、空の彼方へと落ちていった。
「ルナール!」
その惨劇に思わず目を瞑って顔を背けるソラ。
また、ルナールを背後から強襲し、倒れ来るルナールを躱して空へと落下させたその人物は、黒い騎士制服と騎装衣を身に纏い、制服の左胸には竜の角を抽象的に描いた紋章が刻まれていた。
それはエリギウス帝国直属第二騎士師団〈凍餓の角〉を意味する。そしてその人物は、イェスディランの民の銀髪とは違う完全な白髪、それを腰まで長く伸ばし、目元は前髪で隠れて見えず、その両の頬も横髪で隠れ、鼻と紅く艶やかな口元だけが顕わになっている不気味さを醸し出す姿であった。
「封怨術師風情が、私の七ツ目をよくも汚してくれたな」
その騎士は表情が見えず年齢は解らないが、声だけ聞けばそれは十台程の少女の声であった。
「……オルタナ=ティーバ」
エルは体を震わせ、その騎士の名を呟く。騎士の名はオルタナ=ティーバ、エルが以前ソラに語った、エルを幽閉していたであろう人物の名である。
「オルタナ=ティーバ、あいつがエルを幽閉していた……」
するとオルタナ=ティーバは一瞬でソラ達との間合いを詰め、ソラの首元を片手で絞めて掴み上げる。
「がっ……はっ」
気道を閉塞され、意識が朦朧となるソラ。しかしそれでもソラは必死に声を絞り出しエルに伝える。
「エル……逃げろ!」
「エル……だと? 私の七ツ目に勝手に名を与えたのか? やはりこの子供がお前を唆したのだな?」
ソラの首を絞めながら、そうオルタナ=ティーバはエルに問う。
「違うオルタナ=ティーバ! エルという名は私が勝手に名乗ったんだ、怨気を自分の身に封印したのも自分の意思だ」
それを聞き、懇願するようなエルを見て、オルタナ=ティーバは静かに嘆息した。
「なぜそこまで必死になる? 七ツ目、お前が生まれ落ちてから十年、お前には教えた筈だ。お前は個では無い、名も必要無い、感情も意思も必要無いと」
「解ってる……全部解ってる、ちゃんとするから。私はもう逃げたりしない、私はもう何も要らない、私は全てを捨てる、だから――」
エルは両の目から涙を零しながら続けた。
「その子だけは殺さないで」
すると突然、オルタナ=ティーバはソラの首元を掴む右手の力を緩め、その場にソラが倒れ込んだ。口の端から唾液を垂らし激しく咳き込むソラ。
それを見た後、オルタナ=ティーバはソラに背を向けると、エルにゆっくりと歩み寄る。
「運命を受け入れる、そういう事だな?」
オルタナ=ティーバの問いに、エルは躊躇なく頷いてみせた。
「いい子だ、その汚れた体で役目を果たせるかは分からないが、お前はその為に生み出された」
ゆっくりと、オルタナ=ティーバはエルの耳元にそっと口元を近付けた。
「教えてやる、何故ならお前は…………」
エルの耳元で何かを囁くオルタナ=ティーバ。
直後、エルの表情が凍り付き、エルの目から光が消えた。そんなエルを、ソラは朦朧とする意識の中で見ていた。
――何て顔してんだよ……まるでお前に出会う前の俺じゃねえか。
そして、オルタナ=ティーバに連れられるようにエルはその後を付いて、島の端へと歩いて行った。
その後エルは、ふと一度だけ振り返り、ソラに向かって小さく切なく微笑んだ。
……それがソラの見たエルの最後の姿だった。
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顔に感じる生暖かい感触。目を開けるとそこには自分の頬を心配そうに舐め回すグリ子の姿があった。
いつの間にか気を失っていたソラは完全に覚醒し、上半身を勢いよく起こさせる。そして辺りを見回す。そこには怨気が消失し緑が映える美しい島だけがあり、エルの姿も、オルタナ=ティーバの姿も無かった。
自分を包み込む温かな風に吹かれながら、ソラは立ち尽くす。そしてエルを失ったのだという事をゆっくりと理解した。
オルタナ=ティーバに何かを告げられた時の絶望に支配されたような顔、そして別れを悟らせるような切ない微笑み。その顔が脳裏に焼き付いて剥がれなかった。
自分に封怨の神子としての生き方以外の道を教えてくれた、自分を死なせない為に自身の身を呈して怨気を封印してくれた、あれ程自由を望み世界を見たいと言っていた彼女が、自分を守る為にオルタナ=ティーバの元に戻った。
何度も何度も自分を救ってくれた彼女に、自分は何もしてあげる事が出来ず、悲壮に満ちた顔をさせ、自由すら奪った。自分の弱さと無力さがただただ憎かった。
「うわああああああっ!」
ソラの慟哭に呼応するように、いつの間にか暗くなった蒼い空は、大粒の涙を流した。
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