40話 愛おしい時の中で
翌日。
十歳の誕生日を迎えたソラは、メルセイル島に居た。
怨気封印の依頼を達成するため、ソラの十歳の誕生日を心待ちにしていたルナールは、ソラが十歳に成ったその日にソラを連れ、怨気封印を実行しようとレファノス群島の一つであるメルセイル島へと飛んでいたのだ。
島はその殆どが黒い靄のようなものに覆われ、禍々しい雰囲気を漂わせていた。
ソラは、まだ黒い靄に覆われていない僅かな部分、島の末端に立ち、ルナールは島の外で羽ばたくグリフォンに跨っている。
「さあ、時間だソラ」
ルナールの声に、ソラは背を向けたまま静かに頷いた。それを見てルナールが両手を胸の前で組むと、ルナールの額に盾を抽象的に描いたような紋章が輝く。
「封怨術師ルナール=エリュアールの名の元ここに命ずる、暗き怨念、黒き神の血、誘え、集え、無垢なる器にその身を封ぜよ、封怨!」
ルナールが口上を述べ、封怨術を発動させると、直後島中を覆い尽くしていた怨気が蠢き、ソラを中心として巨大な渦を巻きながら集結し始め、その渦はやがて集束しながらソラに迫りくる。
覚悟を決めたソラは直後、走馬灯のように自身の人生を振り返った。
父と母の顔、エリギウス帝国で混血種である事を理由に虐げられたこと、レファノスに渡りエリギウス帝国の騎士団とレファノス王国の騎士団との戦闘で両親が巻き込まれて死んだこと。
それから一人きりでごみを漁り物を盗み寒さに震えて生き抜いたこと、ルナールに拾われ封怨の神子としての役割を与えられたこと、言われるがままグリフォンの世話をして生計を立てたこと、それらの思い出が白黒のままソラの頭を流れた。
そして次に、鮮明に流れたのはエルとの思い出だった。
村の道端で倒れていたエルを守ろうとしたこと、エルに抱えられ森を駆け抜けたこと、エルが美味しそうに田舎パンを食べていたこと、エルが自分をルナールの元から連れ出しグリフォンで島を出たこと。
エルと名付けた時のエルの笑顔、ペイル島で報酬を貰い二人でシューアラクレームを食べたこと、エルと一緒に依頼をこなしたこと、毎日剣を振るとエルに約束したこと、そして二人で飛んだ青く清み渡った空。
エルとの思い出は、ソラの頭の中に流れる度一つずつ色が塗られていった。
気が付けばソラの頬を、熱い何かが伝っていた。
――もう一度会いたいよエル。
ソラが心の中で無自覚に呟いた時、上空から何かが降ってくる。その何かは人であり、少女であり、その少女はソラの目前で着地した。
そして少女が降ってきた上空にソラが目を向けるとはそこには一頭のグリフォンが羽ばたいていた。
「グリ子、危ないから離れた場所で待機しててくれ」
少女は上空で羽ばたくグリフォンにそう命令すると、ソラの方を振り返る。
「え、エル? お前何でこんな所に?」
その少女はエルであり、どうやらグリ子に乗ってこの島までやって来たのだという事が分かった。
ソラはエルが突然現れたことに驚きつつ、それ以上にこの状況下でのエルの身を案じる。
「いやそれよりここにいちゃ駄目だ、ここにいたらエルの体にまで怨気が封印されちまう!」
「いいんだ、私はそのために来たのだから」
しかし、エルはソラの隣に立つと、躊躇なく言い切った。
「なに……言って」
「ずっと悩んだ。苦しんで悲しんで無力な自分に打ちひしがれた。でもふと思い付いたんだ、一人の人間に怨気を封印するからその人間が死んでしまう、なら二人に怨気を分散させればきっとこう、うまいこといって二人とも助かるって」
「なに楽観的に考えてるんだ! そんな都合良く行く筈ないだろ! 二人に怨気を封印したら二人とも死んじまってそれで終わりだ」
ソラはエルの両肩を掴み、激しく抗議する。しかしエルはそっぽを向いて頬を膨らませた。
「……私は頭に来ているんだぞ」
「え?」
「君が頼ってくれるような存在に私がなれなかった事に、そして君の心を変えられなかった私自身に」
「……エル」
「だから君が気に病む必要はない、私は君を独りで死なせたりなんて絶対にしたくない、私がそう思うから、私はしたいようにするんだ」
嬉しさと温かさで心が溢れそうだった。溢れて止まらなかった。ソラが気付いた時には涙で前が見えなくなっていた。
しかし無情にもその時はやってくる。
ソラ達の周囲で渦を巻いていた黒い靄は、島中のそれを集束し尽くし、やがてソラとエルの体内へと入っていく。
――ああ、神様、俺はどうなってもいい。エルは何も関係ないんだ、どうか、どうかエルだけは助けてやってくれ、どうか!。
そう願い続けるソラの意識は、島の怨気が消滅しても尚、そこに留まり続ける。
「俺は……生きて……」
ソラはそれに気付くと、恐る恐る目を開けた。すると視界が広がり、自分の命がまだこの世界に留まっている事を確信した。
「エル、大丈夫かエル?」
そしてすぐに隣に立っているエルにも声を掛けると、エルもまた恐る恐る目を開け、二人は顔を見合わせた。
「ソラ……私達生きているのか?」
「どうやら、そうみたいだ」
「ほら、何とかなっただろ?」
あっけらかんと言い放つエル、するとソラはある事に気付いた。
「エル、左頬に黒い翼の痣が」
「そういう君は右頬に黒い翼の痣がある」
エルの左頬には、黒い翼のような痣が刻まれており、ソラの右頬にもまた黒い翼のような痣が刻まれていたのだった。
「そういえば怨気を封印された封怨の神子は両頬に黒い翼の痣が現れて死ぬって聞いたことがある」
「なら片翼ずつしか刻まれてない私達は大丈夫だって事だな」
「何でそんなに楽観的なんだよ!」
すると突然、エルが涙を流し、ソラはそれを見てたじろぐ。
「本当に……ソラが生きていてよかった」
震わせた声、そしてただ安堵に包まれたような柔らかな眼差しは、ここに存在するこの時を噛み締めるかのように。
「……エル、何で俺の為にここまでしてくれるんだよ?」
そんなエルを見て、ソラも尋ねながら泣き出す。
「君が最初に私を救ってくれたからだ」
「あれは……俺なんか何も役にも立ってない、俺が居なくたってエルなら自分で何とかしてた筈だろ?」
「違う、そうじゃない」
「え?」
「私はずっと暗闇の中を一人きりだった。そこからようやく逃げ出しても、誰にも頼れず何もわからず、あの時気を失っていても周囲の敵意が突き刺さってくるのだけが解った、私に逃げ場は無い、私に居場所は無い、そう思った」
覚醒騎士であるエルは、自分に向けられた感情をうっすらと感じ取る事が出来る。その時の事をエルは打ち明けた。
「でも君だけは私を守ろうとしてくれた、私に手をさしのべてくれた。それがどれ程嬉しかったか、どれ程私の心を救ってくれたか。例え世界中の人間が敵だとしても、たった一人が自分の味方になってくれるだけで生きていく希望を持てる、そう思えたんだ」
「……エル」
二人は泣き合い、そして喜び合った。
怨気が消え、姿を変えた島の事にも気付かずに、ただその時だけが愛おしかった。
40話まで読んでいただき本当にありがとうございます。
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