39話 二人きりの小さな反乱
それから夕食を済ませ、宿屋の一室にソラとエルは居た。
ベッドが二つの小さな部屋、それぞれのベッドに転がりながら、ソラはふかふかのベッドの感触を楽しみ、エルはソラがギルドから持ってきた数枚の依頼書を眺めていた。
その内容はハルピュイア討伐、エリューニュス討伐、マンティコア討伐等々である。
「討伐系の依頼ばっかじゃないか」
魔獣の討伐系の依頼ばかりを選ぼうとするエルを、ソラは心配する。
「逃げたペガサスの発見や聖霊石の発掘調査などの依頼もあるが、やっぱり討伐系の依頼が一番報酬の払いがいい」
「そりゃそうだけど」
「君はさっき、この島で金貨三十枚貯まったら、そのお金で世界を巡ろうと言っていたろ。てっとり早く稼ぐには、やはり報酬の高い依頼をこなすのが一番だろう」
「それは……まあ」
※
それから更に十数日が過ぎた。
騎士であるエルにとって魔獣の討伐はさほど難しくなく、二人は順調に依頼をこなし、報酬を受け取り、宿代や食事代などの出費はあるものの金貨二十枚程が貯まっていた。
そして現在、ソラとエルはとある島の村の中に出現したマンティコアという名の、人のような顔をし、蠍のような尾を持つ獅子の魔獣討伐依頼をこなしている最中であった。
「ハアアッ!」
エルの剣閃がマンティコアの首元に奔り、マンティコアは血を吹き流し絶命する。
「ふう、これで依頼は達成。金貨三十枚まであと少しだなソラ」
依頼を達成し、エルが後ろで待機するソラに話しかけると、ソラは俯き、浮かない顔をしていた。
「どうしたんだソラ?」
そんなソラの顔を心配そうに覗き込むエル。
「……俺何もしてない」
「え?」
「あのキマイラが襲って来た時から、エルが危険な目に遭って、大変な思いして、全部エルのおかげで報酬も貰って……」
「これは私がやりたくてやっている事だ。君を無理矢理連れ出し、連れ回しているのも私、依頼を選んだのも私だ、君が気に病む必要なんて何一つ無い、私は私に出来る事をしている、それだけだ」
「でも……俺は」
※
その日の夜、ペイル島の宿屋のベッドの上でソラは何かを考え、ずっと天井を見つめていた。
「なあ、エル」
すると不意にエルに声をかけるソラ。
「何だ?」
「エルはどうやってあんなに強くなったんだ?」
「以前にも言ったが私は……オルタナ=ティーバの指示された時間に独り剣を振るって、多分それで強くなった」
「本当にそれだけで強くなれるもんなのか? 一日何回ぐらい振ってた?」
ソラは体を起こしてエルに詰め寄った。
ソラに近くで見つめられ、エルは少し恥ずかしそうに目を反らして答える。
「えっと、何回と言われても数はちゃんと数えてなかったし、千……いや一万、うんそうだ、一万回くらい振っていたと思う」
エルは半ば適当に答えたつもりだったが、ソラは表情を明るくさせた。
「一万……そっか一万回か」
「ソラ?」
「エル、俺約束するよ。これから毎日ずっと、どんな辛い時でも一万回剣を振る、そして俺ちゃんと強くなって、いつになるか分からないけど俺もエルと一緒に戦うからさ」
そう言うとソラは、ベッドから降り、エルに尋ねる。
「エル……俺、その内自分用の剣を買いにいくから、しばらくの間剣を振る時だけエルのを貸してくれないか? あ、でも剣は騎士の魂だって言うからそんなの駄目か……」
「いや私は厳密にはまだ騎士になっていない、それにそのくらいの事なら全然構わないが」
「本当か? ありがとうエル」
エルが剣を貸すのを許可すると、ソラは意気揚々とエルの剣を片手に部屋の外へと出て行ってしまった。
一万回という適当に口走った数字を真に受けさせてしまった事を悪いと思いつつも、エルは嬉しかった。
ソラの先程の誓いは、ソラが封怨の神子として役割を果たす未来を捨てて、自分と共に生きていく未来を選んでくれた。そう受け取れる言葉だったからだ。
※
そしてそれから更に十数日の時が流れた。
ソラは宣言通り、あれから一日も剣を振ることを欠かした日は無かった。初日からはりきり過ぎて掌の皮が破れて激痛に苦しんでも、出来た豆が潰れてやはり激痛に苦しんでも、エルと共に依頼をこなし帰りが遅くなった時も、うなされる程熱が出た時も、ソラは夜な夜な剣を振り続けた。
たった十数日、それで何かが変わる訳では無かった。それでもソラにとっては、自分が自分の存在価値を認める事が出来る唯一の道だった。そしてそれが、エルと交わした最初の約束だったからだ。
また、あれから依頼をいくつかこなし報酬を受け取り、目標の金貨三十枚、それが貯まったのがソラの誕生日の前日……エルと共に過ごす期限の日であった。
ソラは宿屋の中から窓の外を眺めながら一人思い悩んでいた。
ルナールの元に戻り自分の役目を果たすか、これからもエルと共に生きていくか。自身の存在意義とエルとの約束、その二つがソラの心を揺れ動かす。
そしてエルもまたその日がやって来た事にどこかそわそわした様子で、ソラの方を何度もちらちらと見ていた。
ソラがどういう選択をするのか、エルは期待と不安が入り混じったような、そんな思いをそのまま表すかのような表情でソラの言葉を待っていた。
「エル、あの――」
「何だ!」
ソラが話しかけるやいなや、前のめりになりすぐに返答をするエル。
「あ、いや、グリ子の餌の時間だからあげてくるよ、今日は俺の当番だろ?」
「あ、そ、そうだったな、うん、待たせたらグリ子が可愛そうだ、宜しく頼むよ」
エルの動揺を感じ取りながらそれに触れず、ソラは一人宿屋に併設された翼獣小屋に繋いでいるグリ子の元へと向かった。
すると……翼獣小屋のグリ子の前に見覚えのある一人の男が立っていた。
「る、ルナール!」
「よう、似ていると思ったらやっぱりうちのグリフォンだったか、ようやく見つけたぞソラ」
「な、何でここに?」
自分なりの答を出す前に、突然自分の前に現れたルナールに、ソラは激しく動揺する。
「ガキ二人だ、そう遠くへは行けないと踏んでいてな……そして混血種と異形種のガキ二人が紛れ込んでもそれ程目立たない大きな都市島となると数は限られる、後はそいつを虱潰しに探すだけだったって訳だ」
ルナールは笑みを浮かべながら、ゆっくりとソラに近付いて来る。
「ルナール……俺」
ソラが俯き、言葉を詰まらせてルナールに何かを言おうとすると、突然ソラの頬に痛みが走った。
ルナールが拳を振りかぶり無言でソラを殴りつけたからだ。そして殴られたソラはその場に尻餅をついて倒れ込む。
「ソラてめえっ、戻って来ようと思えば戻って来れた筈だ! 俺から逃げようったってそうはいかねえぞ、ここまで育ててやった恩を忘れやがってこの恩知らずが!」
ルナールは激昂しながら、ソラを何度も踏みつけた。しかし、ソラはそれでも言い訳一つせず、黙ってその痛みに耐え続けていた。
すると、何故かルナールはソラを踏みつけるのを突然止める。
踏みつけが止み、ソラがゆっくりと顔を上げると、そこにはルナールの手首を掴むエルの姿があった。
「……エル」
「お前は……あの時俺のグリフォンを盗んでソラを連れ去りやがったガキか?」
次の瞬間、エルはルナールの腹部に正拳を打ち付けた。
エルの一撃を受けたルナールはくの字になって吹き飛び、翼獣小屋の壁に激突した。その衝撃に驚き、ルナールが乗ってきたグリフォンと、グリ子が激しく騒ぎ出す。
「がっは!」
己の五分の一程しか生きていないであろう年端もいかない少女の膂力に、ルナールは腹部を抑え悶える。
そしてエルはそんなルナールに対し、その歩みを止めず、腰から剣を抜き放った。更に、エルの額には剣の紋章が出現し、淡く輝いていた。
「お前は、ソラを縛り付け、傷付け、不幸にする権化だ! 私はお前を許さない!」
「ひっ」
聖衣騎士、その脅威は普通の人間にとって想像を絶するものである。ルナールは上位捕食生物に睨まれた被捕食生物のように、全身を震わせて恐れおののいた。
「やめろ!」
すると突如ソラの叫びがこだまし、ゆっくりとルナールに歩を進めていくエルを制止させた。
「……ソラ」
同時にエルの額から剣の紋章が消え、エルはソラの方を振り返る。
「もうやめてくれよ」
「……でもこの男は君を」
「それでも、そんなんでもルナールは俺のたった一人の家族なんだ、俺を利用してるとしても、愛してくれてないとしても、俺のたった一人の家族なんだよ」
そう言うとソラは、ゆっくりと立ち上がった後、ルナールの元に歩み寄り、自身の肩を貸す。
「ごめんエル、俺たくさん考えた。この先のこと、エルと過ごす未来のこと。きっと楽しい、きっと幸せだって」
「ソラ……ならどうして」
「それでもやっぱり、ルナールを裏切る事なんて出来ない」
ソラの言葉を聞き、ルナールは涙ぐむ。それはソラの言葉に感極まったからではなく、恐怖から解放された事による安堵から来るものだった。
「いい子だ、ソラ。それでこそ俺の子だ」
ルナールはソラに肩を借り、ゆっくりと歩いてエルの脇を通り過ぎようとした。
するとソラはエルの目を見ずに、エルとすれ違った所で立ち止まった。そして背中越しのエルにそっと言う。
「エルと過ごしたこの一ヶ月間、俺が生きて来た中で一番楽しかった」
それはあるものを確信させる言葉。
「毎日一万回剣を振って、いつかエルの力になるって約束したのに守れなくてごめん……元気でなエル」
別れ……それがエルに突き付けられた現実だった。
振り返る事も出来ず、背中越しに遠くなっていくソラの存在。エルはその場に膝から崩れ落ち、大粒の涙を溢しながら泣いた。
その悲痛な声は、レファノスの青い空に、泡沫のように溶けて消えた。
二人だけで飛んだ短い旅路、それは二人きりの小さな反乱。
ソラとエルが渡ったレファノスの空、それは世界と呼ぶにはあまりにも狭く、あまりにも儚い場所だった。それでも二人にとっては限りなく広く、そしてどこまでも続く空だった。
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