38話 初めてのシューアラクレーム
やがて夜が明けた。
木々の隙間から刺す木漏れ日が朝の訪れを伝え、ソラはゆっくりと身体を起こした。
瞬間、感じる違和感。木に繋がれたグリ子が全身の体毛を逆立てて威嚇のような体制を取る。そして鼻を突く獣臭にソラの全身に危険信号が走った。
直後、大地が震える程の咆哮が響き渡り、恐るべき存在を予感させる。
――この島に何かいる!
草が揺れ、木々が揺れ、森の向こうから巨大な何かがやって来る。
迫りくる脅威に、ソラはエルの反応を伺おうと隣に居るエルの方に視線を向けた。
「――ってまだ寝てる!」
ソラは自身の目を疑った。エルは未だに折れ枝のベッドの上ですやすやと寝息を立てていたのだ。
「おい、エル! 何こんな状況で寝てるんだよ、何かやばいのが来るって!」
ソラはエルの体を揺すりながら、呑気に寝ているエルを起こそうと試みる。
「うーん」
うっすらと瞼を開け、体をゆっくりと起こし始めるエル。
すると、木々を押しのけて、ソラ達の元に向かって来ていたとある生物、その姿が顕わになった。
獅子の頭、山羊の胴体、大蛇の尾を持ち、鷲の如き巨大な翼を持つその生物の名はキマイラ。非常に獰猛な気性を持ち、雑食にて悪食。無人島などの島に巣を作り、その島の生物を食らい尽くすと、別の島へと渡り再び巣を作る。
時に一つの村すら滅ぼす事もある、このオルスティアで恐れられる魔獣であった。
見上げる程の巨体、その口元から流れ落ちる唾液、鳴らされる喉、それを見た瞬間に、ソラは尻餅を着き、恐怖に体を震わせた。
腰を抜かして動けなくなっている“餌”を見て、キマイラは視線を固定させると、キマイラの獅子の頭部と大蛇の尾、両者の牙が一度にソラへと襲い掛かった。
「わあああああっ!」
恐怖に満ちたソラの悲鳴が森中にこだます。
すると、牙がソラへと届く直前、キマイラの体がぴたりと止まった。そして次の瞬間、何かに切断されたキマイラの首と尾が同時に大地へと落ちる。
一拍空けて、キマイラの巨躯が倒れ、森が揺れた。
ソラが視線を横に向けるとそこには、抜き身の剣を振りきった姿勢で佇むエルが居た。
「すまないが私の友達を食べないでもらえるか?」
そう言うとエルは血振りをした後で剣を腰の鞘に納め、ソラの元に歩み寄った。
「大丈夫かソラ?」
「こ、こんなに強いならさっさと助けろよな」
「すまない、眠る時に誰かが横に居てくれるなんて初めてでな、安心してしまってつい熟睡しすぎてしまった」
目を伏せ、しおらしくするエルに、ソラは再び顔を赤くした。
「そ、それにしても、あのキマイラを一撃で倒すなんて凄すぎだよ、やっぱりエルって騎士なんだな」
「私も自分がこんなに強いなんて知らなかった、他者と戦った事など一度も無かったからな」
「そ、そういえばそうだよな」
そんな話をしている時だった、グリ子が毛を逆立たせ今度は空に向かって威嚇を始める。
それに気付きソラとエルが上空に視線を向けると、三頭のグリフォンがこちらに飛んでくるのが見えた。そしてそのグリフォンにはそれぞれ人間が騎乗している。
「今度は何だよ!」
間髪入れずに訪れる何かに、ソラは頭を悩ませる。
すると人間が騎乗した三頭のグリフォンはソラ達の前に降り立ち、そこから簡易的な甲冑を着て腰に剣を差した男性が三名程降りて来た。格好から、その三人は傭兵であるとソラは推察する。
そしてキマイラの死体を確認すると、傭兵であろう男性達は驚いたような表情でキマイラと、ソラとエルの二人を交互に見た。
「こ、このキマイラ、お前らが倒したのか?」
「一応、そうだけど」
ソラが答えると、男性はソラ達に歩み寄って来た。
「凄いなお前ら、まだ子供なのに」
「この島に巣を作ったキマイラの討伐は、俺達が商業都市ペイルのギルドで受けた依頼だったんだ」
「ギルド……は確か組合組織の事だったな」
男達の言葉を聞き、エルは確かめるように呟く。
ペイル島には傭兵ギルドというものがあり、彼らは見ての通り傭兵で、所属している傭兵ギルドから依頼を斡旋してもらっているのだという。
「お前達このキマイラ討伐は別のギルドで依頼を受けてやった訳じゃないのか?」
「いや、成り行きで……」
「そうだったのか? ならこれをやるよ」
そう言うと傭兵の一人が懐から一枚の紙を取り出してソラ達に渡す。それはキマイラ討伐の依頼が書かれた依頼書であった。
それは傭兵たちが受けた討伐依頼のものであり、今回はキマイラの死体の証拠になる蛇の頭を持って行けば依頼達成になり報酬の金貨三枚が受け取れるとの事である。
「金貨三枚も!」
その金額にソラは驚きの声を上げる。
餌やりや翼獣舎の掃除、体調管理等グリフォンの世話を一日中やり、貸し出し等を行い、一月に得られる報酬はようやく金貨一枚分。そんなソラにとって金貨三枚とは大金であった。
「そりゃこんな怪物と戦うのは命懸けだからな、そのくらいは貰わないとやってられねえよ」
「この依頼書、本当に貰っていいのか?」
「ああ、俺達は何もしてねえし、ただの傭兵とはいえ一応騎士道くらいは心得てる。お前らがキマイラの尾を持ってペイル島のギルドでそいつを換金してくればいい」
ソラとエルは顔を見合わせ微笑んだ、そして傭兵達の心意気に感謝するのだった。
「ところでペイル島ってここからどう行けばいいんだ?」
「ペイル島ならここからグリフォンで一時間程東に飛べば見えて来る」
「ありがとう!」
そうして、三人の傭兵はそれぞれグリフォンに跨ると、グリフォンを飛び立たせ去って行った。
「ギルド……その手があった」
思い付いたようにソラが呟く。
「あの傭兵のおっさん達が言ってたように、ペイル島には傭兵ギルドってのがある。エルぐらい強ければそこに行って依頼をこなすだけで金が手に入る」
「成程、そこで一定のお金を貯めようという訳か」
こうして、目的地をペイル島へと決めたソラとエルは、キマイラの尾を皮の袋に入れた後、グリ子に跨り、商業都市ペイル島を目指し東へと飛ぶ。
※
無人島を出発して一時間。
レファノス群島の中で一際栄えた大きな島、ぺイル島が見えて来る。様々な店、ギルドを有し、商業、流通の要でもあるそこは、レファノス群島最大の商業都市である。
ぺイル島に辿り着いたソラとエルは、島にグリ子を降り立たせた。
島自体はレファノス群島の一つらしく豊富な緑で覆われているが、中央には数多の店等の建物が立ち並び、木材で舗装された道路がいくつも交差する。
そしてそこは多くの人で賑わい、多くの人々が行き交っていた。
「す、すごいぞソラ! ほら建物がたくさん、人もたくさんだぞ」
初めての経験に目を輝かせてソラの袖を引っ張るエル。
「す、すっげえ」
そしてずっと片田舎に住んでいたソラもまた、口を大きく開けて驚き、同時に目を輝かせていた。
周囲を見渡せば様々な種類の店が並び、果物屋や肉屋、雑貨屋、防具屋、パン屋、菓子屋、宿屋とその種類は豊富であった。
すると甘い匂いに誘われて、エルがその匂いがする方向に釘付けになる。
「ソラ、あれは何だ?」
エルが指さす先、そこには菓子屋があり、店頭にはベージュ色の拳大程の焼き菓子が並んでいた。
「あれは確か、レファノスの名物シューアラクレームっていう焼き菓子だ」
「パンみたいなものか?」
「えっと、俺も食べた事無いけど、薄く焼けた生地の中に甘いクリームが入った菓子だとか」
「た、食べてみたい」
エルは喉を鳴らし、目を更に輝かせてソラに懇願した。
「よし、さっそくギルドに行ってこの依頼書の報酬を貰おう」
ソラとエルは町の人間に傭兵ギルドがある場所を聞き、走ってギルドへと向かう。
そこは一階建ての酒場のような建物。
中に入ると、甲冑を着た筋骨隆々の男や、顔に多くの傷を刻む歴戦の戦士を思わせる男、ローブを纏った背の高い暗殺者風の男、およそ堅気では無い様々な者達が佇んでいた。
突然扉を開けて入って来た子供……しかも混血種と異形種のコンビとあれば注目を浴びるのは必然であるが、その視線を避けるようにソラはエルを引っ張って、ギルドのマスターであろうカウンターに立つ老齢風の男の元へと足を急がせた。
そしてソラはその男に懐から出した依頼書を見せる。
「このキマイラ討伐の依頼、達成したから報酬をくれよ」
ソラのその言葉を聞き、マスターの男はからかわれているとでも思ったのだろう、深く嘆息するとソラとエルに向かって手を振り追い払うような仕草をした。
それを見たソラはむっとしつつ、皮の袋に入れたキマイラの尾である蛇の頭部を見せる。それを見た瞬間マスターの顔色が変わり、身を乗り出した。
「おまっ、これ、キマイラの尾じゃねえか! ほ、本当にお前達がキマイラを倒したってのか? お前らみたいな子供がどうやって?」
「いいから早く報酬をくれ」
マスターは信じられないといった様子で矢継ぎ早にソラ達に尋ねるが、早く報酬が欲しいソラはぶっきらぼうに返す。
「どうやったかは知らんが、まあ依頼を果たしているのは本当のようだからな、ほら報酬だ」
マスターは羽根の形をした金貨をソラに渡すと、ソラはそれを受け取り、ギルドを後にした。
「ほらエル」
ソラは先程受け取った三枚の金貨をエルに手渡そうとする。
「これは?」
「いや、キマイラを倒したのはエルだろ、この金はエルが自由に使えよ」
しかしエルは首を横に振って、金貨を受け取るのを拒否した。
「これは君が持っていてくれ」
「……でも」
「私はまだお金の使い方や物の相場というものが良く解っていない、だからお金の管理はソラに任せる」
「いいのか?」
「いいとも、そんな事より今貰った報酬でさっきのシューアラクレームとやらを買いに行こう」
「そうだな、よし、わかった行こう」
※
そうしてソラとエルは二人で先程の菓子屋に行き、一つ銅貨二枚のシューアラクレームを二つ購入すると、その場でかぶりついた。
瞬間、二人は顔を見合わせた。
「うんまああああっ」
「何て、美味しいんだ」
二人はその味のあまりの美味しさに感激し、恍惚の表情を浮かべていた。
「外側は思ったより薄くてさくっとしていて、中からとろっとした甘いクリームが出てきて、ほっぺが落ちるってのはこういう事なんだなあ」
「うん、甘いものというのを初めて食べたが、こう幸せな気持ちになるというか何というか」
二人はあっと言う間にシューアラクレームをたいらげ、その余韻に浸っていた。
「ふう、美味しかったな。もう一個っていきたくなるけど、こういうのは一個って決めとかないときりが無くなるから今日はこれで終わり」
「ふふっ、やっぱりしっかり者だなソラは」
「そ、そうか?」
「それとシューアラクレーム、もの凄く美味しかったんだが……」
すると、何かを言いたそうにエルが口ごもる。
「昨日ソラが食べさせてくれたパン、私はあれの方が美味しく感じたよ」
「はあ、嘘だろ? あんな安物のパンがか?」
ソラが半信半疑に尋ねると、エルは間髪入れずに頷いた。それを見てソラは噴き出した。
「ほんっと、変わった奴だよなエルは」
「なんだ、何か馬鹿にしてないか?」
「してないよ、なんなら今日の夕食は田舎パンとミルクにするか?」
「本当か!?」
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