37話 翼
それから、少女とソラはトゥルース島を後にし、宛ても無くレファノスの空を漂っていた。
空は青く澄み渡り、どこまでも広かった。そんな景色に感激する余裕も無く、ソラは少女の背中にしがみ付きながら抗議の声を上げる。
「何してんだ戻れよ馬鹿、俺には役目があるんだ」
「黙って死ぬ事が役目だというのか? そんな役目なんてやめてしまえばいい」
「勝手な事言ってんなよ、ならお前はこの世界が怨気で満たされてもいいってのか? 知らない所で誰かの犠牲があって、そうやって世界は守られてるんだ」
「世界世界と、なら君はこの世界の事をどれ程知っている? 何処に何があるのか、何処にどんな人が住んでいるのか、何処にどんな楽しいことや悲しいことがあるのか、そしてこの世界がどうやって出来て成り立っているのか君は何も知らない筈だ、知りもしない世界を守るだなんてそんな馬鹿な話が何処にある?」
少女の指摘にソラは言葉を詰まらせた。確かにこの世界の事など何も知らなかった。物心付いてからの殆どをレファノス群島のトゥルース島で過ごした。そして教育を受けてこなかったソラは、この世界の歴史も成り立ちも、或いは神話すらも殆ど知らなかったのだ。
「だからソラ、私に時間をくれないか?」
「時間?」
すると突然、少女はソラにある提案を願い出る。
「一ヶ月でいい、来月の君の誕生日の前日、それまでに君の心を変える事が出来なければ諦める。君のことはルナールの所に必ず帰すと約束する」
「なんで……そうまでして」
自分を必死に止めよう、救おうと試みる少女が、何故そこまでしようとするのかあまりにも不可解であり、ソラは混乱気味に問う。ソラのその問いに、少女は少しだけ黙した後、はっきりとした声で返した。
「私は君と一緒にこの世界を見てみたいんだ。私が知らない世界を……そして君が知らない世界を」
自分を必要としてくれる、自分と一緒にいようとしてくれている、そんな少女の答を聞き、ソラの心が揺れ動いた……自分自身でも気付かない程に。ソラは俯いて暫く黙した後、ゆっくりと口を開く。
「お前さっき、ルナールに俺の事友達って言ってたよな?」
「あ、いや、それはその、勝手な事を言ってすまない、出会って少ししか経ってないのに友達というのも図々しかったな、で、でも友達というものがいるとするなら君みたいな存在を言うのかなと思ってしまって」
少女は背中を向けたままだったが、ソラには動揺している様子が手に取るように分かった。そんな様子が可笑しくて、ソラは思わずくすりと小さな笑みをこぼした。そして――
「友達の頼みって言うんなら仕方ない……本当に、一ヶ月だけだからな」
そんな素っ気無さを装った返答に、少女はソラに背中を向けたままほっとしたように、小さく微笑んだ。
「ありがとう」
そして小さく言葉を返した。
「そうだ、迷惑かけついでに、君に一つお願いがあるんだ」
すると少女は振り返って、明るい表情で願いを申し出る。
「お願い?」
「私に名をくれないか?」
「名前を……俺が?」
少女の突然の要望に戸惑いながらも、名前を持たない少女を不憫に思うソラ。
「確かに友達をずっと“お前”なんて呼ぶのも変だし、かといって“七ツ目”なんて呼ぶのも酷い話だし。でも俺が考えた名前でいいのか?」
「ああ、是非君にお願いしたい」
「わかったよ、でも急に言われてもすぐには思い付かないしな」
「無理を言ってしまってすまない、ちなみにこの子は何て名前なんだ?」
少女は羽ばたくグリフォンの頭を撫でながらソラに尋ねた。
「グリ子だけど」
直後ソラからのその返答を聞き、少女はがっくりと項垂れた様子で呟く。
「……頼む相手を間違えたかな」
「うるさいな、じゃあどういう名前がいいんだよ!?」
「それは私に聞かないでくれ」
「まあ名前の件は少し時間くれよ、人の名前なんて付けた事無いし」
「それもそうだな、わかった期待して待っているよ」
少女は納得して言うと、おもむろにグリフォンの背中に顔をうずめた。
「それにしてもグリ子はいいな、翼があって」
「何でだ?」
「自由にこの世界の何処にでも行ける、エリギウスの屋敷に幽閉されている時、私にも翼があったならと何度も考えた」
「何だよお前、翼が欲しいのか? 風呂入る時とか邪魔そうだぞ」
「ロマンの無いことを言うんじゃない、例えの話をしているんだぞまったく!」
ソラの愛想の無い返しに、少女は不満気に抗議するが、ソラは一人呆けたように羽ばたくグリ子の翼を眺めた。
「……翼か」
そして何かを思い付いたかと言わんばかりに指を鳴らしてみせた。
「エル……そうだ、お前の名前エルなんてどうだ?」
「エル?」
「昔村長に聞いたことがある、エルは古代レファノス語で翼って意味があるらしい」
「翼……エル」
「何だよ不満か?」
直後少女が振り返り、初めて見せる満面の笑みを浮かべてみせた。
「気に入ったよソラ、本当にありがとう」
そんな少女の笑顔を見た瞬間、ソラは顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
――こいつ、笑うとこんなに。
堅苦しい喋り方と表情、どこか不思議な雰囲気で今までそれを感じさせなかった。しかし、振り向いて嬉しそうにする笑顔の少女はどこにでもいる普通の少女であり、何より風に棚引く艶やかな黒紫色の髪と整った顔立ちは、美少女と呼ぶのに何ら差支えなかった。
「どうしたソラ? 顔が赤いぞ」
「な、何でもない、それより前を向いてグリ子に乗らなきゃ危ないだろ……エル」
「ふふ、そうだな」
エルと名付けられた少女は、そんなソラを見て再び微笑むと、前を向き直した。
それから二人はおよそ一時間空を飛翔していた。
そんな折、ふとソラが尋ねる。
「ところでさエル、今何処に向かってるんだ?」
「特に決めてないが」
「は?」
「仕方ないだろ、慌てて飛び出して来たんだ、行き先なんて適当だ」
「行き当たりばったりな奴だな」
そのようにソラとエルが揉め始めたところ、ちょうど視界の先に一つの小さな島が見えて来る。
「おっ、島だ」
「飛翔時間から考えて、まだレファノス群島の島の一つだろう、とりあえずあそこに降り立ってみるか」
エルはそう言い、グリフォンの手綱を操り、その小さな島の端に降り立った。
上空から見た様子だと、その島は森ばかりで町や村のようなものは見当たらない。恐らく無人島であると二人は予想していた。
ソラとエルは、グリ子を木に繋ぎ、島の周囲を散策する。
数時間歩くが、島にあるのは森のみで、やはり建物らしきものは無く、この島は無人島であるということがわかった。
「この島どうやら人が居ないらしい、とりあえず今日はこの島で夜を明かし、今後どうしていくかを決めよう」
四季のあるレファノスの季節は春、ソラとエルは森の中に枯れ枝のベッドを作り、落ちている木の実で飢えをしのぎ、そこで夜を明かす事にした。
※
「なあエル」
「何だ?」
「今後の事なんだけどさ」
「うん」
「世界を見て回るにはやっぱりお金が必要になってくると思うんだ」
「お金……か」
「こうやって無人島で過ごすのも悪くないんだけど、やっぱり色んな島に行って色んな村や町に行って、色んな人に会って、色んな物を見て色んな物を食べて、世界を見るってそういうことだと思うんだ、そしてそれにはやっぱり金がいる、俺達はまだ子供だけど、俺が翼獣舎で働いていたみたいに何かお金を得るための……生活の基盤が必要だと思うんだ」
言いながらソラはふと、隣に寝るエルを見ると、エルは目を丸くしてソラの顔をじっと見つめていた。
「私が無理矢理連れ出したというのに、ソラの方が今後の事をしっかりと考えている……思ったよりしっかり者なんだな君は」
「思ったよりは余計だよ、ていうかエルが何も考えてなさすぎなんだよ」
「……面目ない」
エルは申し訳なさそうに目を伏せて謝った。
「あ、いや、ごめん、そんなつもりじゃ」
そんなエルを見て、慌てて謝るソラ。
「ふふ、やっぱり優しいな君は」
するとエルはそんなソラを見て、柔らかな微笑みを浮かべた。ソラはその笑顔を見て、再び顔を赤くすると、エルにそれを悟られないように背中を向けた。そしてそんな照れを誤魔化すかのように、ソラは話題を切り出す。
「そうだ、そういえばエルはこの世界の成り立ちとか歴史とかそういうのは勉強したのか?」
「ああ、書物でだが、ある程度の知識は学んでいる」
「そっか、じゃあよかったら話してくれないか? 俺エルの言う通りこの世界の事何も知らないんだよな」
「勿論だ、私が知っている事でよければ」
エルはソラの申し出を快く了承する。
「竜祖セリヲンアポカリュプシス、それは全ての竜の母にして竜の皇――」
それからソラはエルと同じ夜空を見上げながら、エルの話に聞き入った。
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