表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/307

35話 七ツ目という名

「おいっ、いい加減降ろせよ」


 林の中を風のように走り抜ける少女、その少女にずっと抱えられたままのソラは、この状況に対し不満気に叫んだ。


 するとそれを聞いた少女は立ち止まり、ソラをゆっくりとに地面へと降ろす。


「おおっ、これはすまない、まあこの辺まで来れば多分大丈夫だろう」


「ったく、女に抱えられて走られるなんて初めてだ、恥ずかしいったらありゃしない」


 男の自分が、自分と同じ年の程の少女に抱えられたまま運ばれるという生まれて初めての経験に戸惑いつつ、ソラは顔を赤くして抗議する。


「そうなのか? ……それより君、何故私なんかを庇ってくれた? あんなことをすれば君の立場が悪くなる。それに君もレファノスの民だろ? 私は敵ではないのか?」


「わかんねえ」


「え?」


「しいて言うならその髪の色……かな」


「髪の……色?」


 少女は自身の黒紫こくし色の髪に触れながら、不思議そうに呟いた。良く見るとその少女の瞳の色は真紅、それもまたその少女を異形いぎょう種たらしめていた。


「俺はこの通り混血種でさ、色々と苦労したし、してるんだ……お前はその髪の色と瞳の色、異形種だろ? エリギウス帝国じゃ色々と苦労したんだろうし、何か他人事のように思えなくてさ、気が付いたら飛び出してた」


「そうか、そういえば異形種や混血種は好まれないって、読んだ記憶があるな」


 すると、どこか他人事のように返す少女に、ソラは怪訝そうに問う。


「そうだよ変な奴だな、お前今まで差別されたりしなかったのか?」


「いや……私は特に」


「本当かよ? もしかして今のエリギウス帝国の奴らって異形種や混血種に対して結構寛容になったりしてるのか?」


「うーん、どうなんだろうな」


「どうなんだろうなって、お前エリギウス帝国の騎士じゃないのかよ?」


「まあ、それはそうなんだが……」


「本当に変な奴だな……まあいいや、それよりお前、何だってレファノスのこんな辺鄙な村に……しかも何であんなところに倒れてたんだよ?」


 ソラの矢継ぎ早の質問に、口ごもりつつ少女は答える。


「……実は私はエリギウス帝国から逃げてきたんだ」


「え?」


「エリギウス帝国のとある場所からグリフォンを盗んで、宛ても無く飛んでいたんだが、グリフォンの背中が思いのほかふかふかで、日差しが温かくていつの間にか寝てしまってな、気付いたらあそこだった」


「お前脱走騎士だったのかよ! それにしても間抜けな奴……落ちた場所が島だったから良かったけど、何も無い所だったらそのままラテラの結界まで落ちて消滅してたとこだぞ」


 かつてこの世界は地上界ラドウィードに在ったのだが、現在はこの天空界に存在する。そしてオルスティアとラドウィードは、地の聖霊神ラテラが張ったと言われる結界で隔絶されており、ラテラの結界に触れた場合あらゆる物質は消滅してしまうのだ。


「ははは、面目ない」


 ソラの指摘に、恥ずかしそうに頬を掻きながら少女は返した。するとソラは突然思い出したように、空の両手を見ながら声を上げる。


「あ、そういえば買い物の袋、置いてきちまった」


「……買い物の袋、これのことか?」


 直後、少女は片手に持っていた布の袋をソラに見せる。


「そ、それだそれ、持ってきてくれたのか?」


「ああ、君が私を庇ってくれた時、足元にこれが落ちていたのに気付いてね、多分君のじゃないかと思って持って来たんだ」


 ソラはルナールに言いつけられた買い物の品が無事な事にほっと胸を撫で下ろし、少女から買い物の品が入った布袋を受け取る。


 すると突然少女の腹部から、ぐうぅっと、空腹を知らせる音が響き渡る。


「お前腹減ってるのかよ?」


「……面目ない、エリギウス大陸を出てから丸二日程、何も食べていないんだ」


 少女は再び恥ずかしそうに、両手で腹部を押さえながら俯いて言った。それを見てソラは、短く溜息を吐いた。


「仕方ない……俺の家に来い、さっき買ったパンとミルクくらいしか出せないけど、それで良ければ食わしてやる」


「ほ、本当か? 君には何から何まで迷惑をかけっぱなしだな」





 その後、ソラは帰宅すると、ルナールに言いつけられた品を渡した後、翼獣舎に併設される自室にこっそりと少女を招き入れていた。


 少女はいらぬトラブルを招かないよう、エリギウス帝国の物であると分かる騎装衣と騎士制服の上着を脱ぎ捨て、灰色のスカートにベルト、カッターシャツといった格好になり、テーブルに無造作に出された大きなパンに一心不乱にかぶりついていた。


「な、何て美味しい食べ物なんだ! 私はこんなに美味しい物初めて食べたぞ」


「本当かよ……それあの店で一番やっすい田舎パンだぞ、お前普段何食べてんだよ」


 ソラが買ったパンは、麦の全粒粉で作られ、砂糖すら入っておらず、固く一般的には貧困層が食べる安価なパンである。そんなパンを夢中で頬張り、目を輝かせて感激する少女を見て、ソラは不思議そうに尋ねた。


「私は、いつも食事はアルケーの実と水だけだ」


「アルケーの実?」


 アルケーの実とは、あらゆる栄養素を含み、完全食とも言われるエリギウス大陸原産の木の実である。希少で値段も高価だが味は全くしない。その為一般には殆ど出回っていない貴重な実でもあるのだ。


「私は物心付いた頃からそれしか与えられた事がない」


 少女の衝撃的な発言に、ソラは自分の耳を疑った。


「そ、それしか食べた事が無いって、お前もしかしてパンも食べた事が無かったってのか?」


「ああ、書物でパンという物がどんな食べ物かは知っていたが、食べるのは今日が初めてだ。こんなに美味しい物が存在するんだな」


 少女が嘘を言っているようには思えなかった。ソラはこの時点で、その少女が並外れた境遇で過ごしてきたであろう事を理解する。


「書物でって……そうだお前、名前は?」


「人に名前を聞く時は自分から名乗るのが常識だと書物で見た」


「一々うるさいな、俺はソラ、ソラ=レイウィングだ。で、お前は?」


「……私に名前は無い」


「名前が……無い?」


 続けざまに少女の口から、ソラが耳を疑うような言葉が飛び出した。


「“七ツ目”私はずっとそう呼ばれていた」


「ナナツメ? ……七つ目、七番目ってことなのか?」


 ソラの問いに少女は静かに頷く。


「何だよそれ、名前が無いって、お前の親……だか育ての親だかは何やってんだよ」


「私には両親と呼べる者も育ての親と呼べる者も存在しない」


「なっ」


「私は昨日エリギウス帝国からグリフォンで逃避するまで、それまで過ごして来た屋敷のような場所からは一度も出た事が無かったんだ」


 少女の衝撃的な告白は更に続く。


「物心が付いた頃から私はその屋敷でたった一人の人物に指示だけを受けて過ごした」


「指示だって?」


「そう、教育ではなくそれはただの指示。私は機械的に出される指示の通りに己で生きた。そしてその人物の名は“オルタナ=ティーバ”私が屋敷で……いや、エリギウス帝国から逃避するまでに出会った唯一の人間だ」


「……オルタナ=ティーバ」


 少女は語る。これまで自分は、オルタナ=ティーバから受けた指示を忠実にこなして来た。オルタナ=ティーバの言う通りの時間に食事を取り、オルタナ=ティーバの言う通りの時間に剣を振り、オルタナ=ティーバの言う通りの時間に書物庫で書物を読み知識を得たのだと。


 常軌を逸した少女のその境遇に、ソラはただただ唖然とし、黙する事しか出来なかった。


「私はオルタナ=ティーバからこう教えられた。私は個ではない、名も、喜びも、哀しみも、味も必要無い。意思の無い人形として生き、ただ来たるべき日を待てと」


 少女はそっと目を瞑り、更に追憶を語る。


 やがて少女は屋敷を出る時が来た。少女がとある騎士団の騎士として入団をするというオルタナ=ティーバからの指示があったからだ。少女はこれまでオルタナ=ティーバの言う通り意思の無い人形を振る舞い、ただ無為な日々を過ごした。それでも少女は自分が何者であるのかも知らず、世界の本当の姿を見た事も無く、何も感じずただ生きていくことがたまらなく嫌になったのだと。


 そして少女は瞑った眼を開くと、覚悟したように言い放つ。


「だからあの日、騎士団入団のために屋敷から出された後、すぐにその場から逃げだし、グリフォンを盗み、エリギウス大陸から逃避した……自分の意思で世界を見て、自分の意思で生きる為に」


 そう言い終えると少女は一息吐き、テーブルのコップに入れられたヤギのミルクを一気に飲み干した。


「お、美味しい、これがミルクというやつか」


 先程まで深刻そうな話を淡々としていたが、ミルクを飲むや否や、柔らかく幸せそうな表情を浮かべる少女を見て、ソラは少し拍子が抜けた。


「お前も、相当辛い人生送って来たんだな」


「お前“も”?」


「俺も相当録でもない人生だって思ってたけど、まあ俺はお前に比べれば大分恵まれてるって思えるよ本当」


 ソラは長らく少女の話を聞き、その壮絶な境遇に自身の境遇を比べ、溜息交じりに漏らした。

35話まで読んでいただき本当にありがとうございます。


ブックマークしてくれた方、評価してくれた方、いつもいいねしてくれてる方、本当に本当に救われております。


誤字報告も大変助かります。これからも宜しくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] なんかビジュアル的にサンライズっぽい世界が伝わってきます。ダンバインっぽい感じとか。 設定凝ってますね。 先々、ざまぁ的な展開も期待させるシナリオですね。 [気になる点] 序盤、寮から出る…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ