297話 竜域・臨餓の極
『なっ!』
しかし、天叢雲はデュランダルに背を向けたまま、後ろに構えた羽刀型刃力剣でその一撃を受け止めていた。
閃火は塵化御巫流居合術の中で最速ではあるが、威力は焔薙に比べて劣る。だからこそ可能な芸当ではあった――とはいえそれを実践するのは正に神業と言わざるを得ない。
『……閃火を見切ったというのか』
すると、目の前のあり得べからざる光景に唖然とするエルに、ソラから伝声が入る。
「俺はあの時エルに救われた、命も……心も……その恩も返せてないのにまた一方的に恩を押し売る気なのか?」
『…………』
「エルの本当の願いは何だ? 本当に俺一人だけ生き残らせて、それで自分は消えて、それで満足なのか!」
すると、ソラの天叢雲はデュランダルの斬竜剣の刃を押さえつつ、力を受け流すと同時、振り向きざまの横薙ぎを繰り出した。
エルは咄嗟に斬竜剣でその一撃を受け止めるが、瞬間、雷鳴の如き轟音が鳴り響き、デュランダルは衝撃で吹き飛ばされる。
だがエルは吹き飛ばされながらもデュランダルを飛竜形態へと変形させると、推進刃からの刃力放出と爆裂による爆風を最大にし、何とか勢いを殺して空中に静止する。
――何だ……今のは!?
ソラの放った斬撃の威力に背筋を凍らすエルであったが、すぐに気を取り直し、再び閃火を放つべく天叢雲の間合いへと入る。
そして左逆手により抜刀し、右手背で峰を押しながら天叢雲の右腕部に斬撃を浴びせる――ことは叶わなかった。
天叢雲は最小限の動きだけで閃火を躱すと、デュランダルの背後を取る。
「くっ!」
すぐに振り返り、エルは天叢雲から咄嗟に距離を取って構えた。
場面は本拠地伝声室。
ソラがエルに語りかけているのを確認した翅音とパルナが顔を見合わせた。臨餓の竜域に入ってなお、ソラは理性を失っていなかったからだ。
すると、神鷹はその状態のソラを見て言う。
「あれは……かつて俺と戦った時の青天目 零が至っていた域だ」
「なに?」
それを聞いた翅音が驚きを顕わにすると、神鷹が説く。
恐らくあの時の零と今のソラの状態は、攻撃や防御、回避の刹那、一時的に臨餓の竜域に入っている。それにより理性を失うことなく、身体への深刻な負担も最小限に抑えた継続戦闘を可能にしているのだろうと。
「あえて名付けるなら、竜域・臨餓の極といったところか」
「臨餓の極……あの野郎、翼羽ですら到達出来なかった域に」
感嘆と共に、翅音は思わず口の端を上げて呟いた。
一方、ソラの天叢雲とエルのデュランダルは、虚空に光跡を刻みながら再び刃と刃を交わらせる。そして隻翼の二羽は幾度となく激突し合い、その度空は明滅し、雲が払われた。
青天に弾ける雷光、逆巻く颶風、刃に宿った魂が互いの想いを炎と化す。
また、竜域を超える竜域に至るソラの操刃技能はもはや人の領域を越えていた。天叢雲が片腕を失ってなお、エルのデュランダルと互角の攻防を繰り広げるソラ。
否、少しずつ少しずつ戦況は一方的になりつつあったのだった。
焔薙は受け止められ、葬炎は全て受け流され、閃火ですら掠りもしなかった。デュランダルは推進刃以外損傷を受けていない、それにも関わらず、エルは焦りを隠せなくなっていた。
『私は負ける訳にはいかない、ここで負ける訳には!』
するとソラは、再びデュランダルに突撃。天叢雲が渾身の袈裟斬りを繰り出すと、デュランダルは刃を僅かに鞘から露出させた燈爆式斬竜剣で受け止めた。それにより互いの剣と剣が交差し火花を散らす。
「もういいだろエル」
『…………』
「何で自分ばっかり犠牲にしようとする? 何で一緒に生きようって言ってくれないんだ?」
そしてソラは想いの丈をぶつけ続ける。剣を交差させながら、包み隠さず、だだ真っ直ぐに。
「偉そうに言えた義理じゃない、俺だってずっとエルを救いたかった、エルが救われるんなら俺なんてどうなったっていいって想いで戦った。でも今は、エルと一緒に生きる空を守りたくて戦ってるんだ!」
すると、エルもまた堰が切れたかのように、自分の中の想いを偽ることなく、装うことなく、ありのままぶつける。
『それでも……竜祖の血晶が無ければ……君の中の怨気は……君の命を蝕み続ける。一緒に生きようだなんて、いつまで一緒にいれるかも分からないのに勝手なことばかり言わないでくれ!』
すると、ソラはデュランダルと僅かに距離を取った後、都牟羽 零式 憑閃により刃力を極限まで刀身に集束させた羽刀型刃力剣を大上段に構え、峰が背に付く程に振りかぶった。
大上段からの真向斬りが来ることは、誰であっても予測が付く。
「ああ言えばこう言う! こんの……頭でっかちの分からず屋ああああ!」
しかし、ソラの叫びと共に繰り出された渾身の一撃は閃光となって、エルの意識を置き去りにし、燈爆式斬竜剣の刀身ごとデュランダルの右腕部を切断した。
その斬撃による凄まじい衝撃が、デュランダルを後方に浮遊する岩礁へと激突させる。
デュランダルに装備されている攻撃用の聖霊騎装は燈爆式斬竜剣のみ。つまりデュランダルが右腕部ごと燈爆式斬竜剣を失ったということは……遂に勝敗が決したことを告げていた。
するとソラは、浮遊岩礁に背を付けて沈黙するデュランダルの元に天叢雲を推進させ、覆いかぶさるようにして騎体をそこに静止させる。
そして天叢雲の鎧胸部を開放させると、身を乗り出し直接エルへと声を届ける。
「もし俺が明日死んだとしても、エルが隣にいてくれればそれでいい。もしエルが明日死んで……しまうとしても、その時は必ず俺が隣にいる!」
その言葉は、俯いていたエルの顔を少しだけ上げさせた。そんなエルに、ソラは続けた。
「俺はお前を独りになんて絶対にさせない、俺がそう思うから、俺はしたいようにするんだ」
それを聞き、エルは思わず目を丸くさせた。かつてソラを封怨の義から救った時に、自分がソラへと言った言葉だったからだ。
エルの頭の中で、不意にその光景が蘇える。
《私は君を独りで死なせたりなんて絶対にしたくない、私がそう思うから、私はしたいようにするんだ》
エルは、自分を暗闇に繋ぎ止める鎖が千切れるかのような錯覚を見る。気付けば涙が溢れて止まらなかった。
エルはゆっくりとデュランダルの鎧胸部を開放させた。同時に差し込む眩い光が、自分を包んでいた暗闇を照らしていた。
すると、ソラは涙を流すエルを見て我に返ったようにハッとし、取り乱す。
「お、俺ってやつはなんて手荒なことしてたんだ? ごめんなエル、エルのこと泣かせるようなことして、そんなつもりじゃなくて――」
「違う、これは嬉し涙だ」
「え?」
自覚していた、否定することはできなかった。今己に沸き上がる素直な感情に。そしてエルはソラに言う。
「私に、君の隣にいる資格なんてあるのかな?」
それを聞き、頬を掻きながら優しく微笑むソラ。
「相変わらず頭の固い奴、そんなのに資格なんている訳ないだろ。それにあの時エルが俺を暗闇の中から連れ出してくれた、だから今度は俺が連れ出す番だ」
ソラは操刃室に座るエルに向かってゆっくりと手を差し伸べた。
「うん」
それを握り返すエルを自身に引き寄せると、ソラはエルを強く抱きしめた。懐かしむように、二度と離さないように。そして……遠い日の温もりがそこにはあった。
エルもまた、大切な時を胸に刻み込むように、そっとソラを抱きしめた。
柔らかな風と、優しく不易な刻が、二人の間には流れていた。
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