296話 掴んだ手は離さない
未だ致命的な損傷が無いとはいえ次第に押され始めるソラ。だがソラの中にあったのは焦燥や屈辱ではなく、エルに対する驚嘆と感嘆の感情であった。
――ああ、やっぱり相変わらず凄いなエルは。
エルは、ソラが出会った初めての騎士だった。エルの背中を見て、自分もエルのようになりたいと強く願った。救いたいという想いの中に隠れてしまいずっと忘れてしまっていたが、自分がこうありたいと願い続けた騎士の姿は、今も昔もずっとエルであったのだとソラは気付く。
憧れ……だがその想いは、追い付きたい、近付きたいという願いそのものだ。ソラはふと、夢の中で誰かに言われた言葉が頭を過る。
《近付こうって願ってしまえばそれはきっと永遠に叶わない。近付くんじゃない、越えるんだ》
次の瞬間、ソラの瞳孔が竜の如く縦に割れる。それはこの戦闘に入ってから初めて、ソラが竜域に入ったことを示していた。
――越えてやる、他の誰でもない……お前のために。
ソラの天叢雲は浮遊岩礁を足場にし、一気にデュランダルへと突貫する。
対し、エルが放ったデュランダルからの牽制の居合を、ソラは左手の刃力剣だけで受け止めると、右手の羽刀型刃力剣による振り下ろしをデュランダルの左肩へと繰り出す。
直後、デュランダルは横蹴りを天叢雲の腹部へと叩き付けて弾き飛ばし、体勢を崩した天叢雲に向け、無数の剣閃を奔らせた。
それは塵化御巫流居合術 葬炎。神速の連続居合が天叢雲へと襲い掛かる。
だが、体勢を立て直し、ソラもまた神速の連続斬撃を放っていた。ラムイステラーハ流剣術による嵐のような手数とベルフェイユ流剣術による受け流し。即興の他流派剣術複合ではあるものの、葬炎による連続居合を見事全て捌いてみせた。
続いてソラの反撃、右手の羽刀型刃力剣からの片手刺突は正にシャルフヴァーレハイト流のそれ。最小限の動作から真っ直ぐ最短にデュランダルの頭部を狙う。
しかし首を振り、エルのデュランダルもまたその一撃を最小限の動きで躱すと、反撃の居合を放とうとした――しかしエルは気付く、刃力剣が何かに抑えられ抜けないことを。
続けざまエルは気付く、天叢雲の足底が燈爆式斬竜剣の柄頭を押さえ、抜刀を防いでいることに。
更にソラは無防備となったデュランダルの右半身目掛け、体躯を反転させながら渾身の逆風を繰り出した。
トリッキーな動きで相手を翻弄し、意識の隙間を突くその剣術はアイノアカーリオ流。
『くっ!』
咄嗟にデュランダルの身を捻り、致命の一撃を回避するエル。だが完全には躱しきれておらず、デュランダルの右側三本の推進刃が切断されていた。
飛翔力が半減し、これでエルのデュランダルが天叢雲を振り切ってこの場から離脱することは不可能となった。
ソラが修得している基礎剣術の諷意鳳龍院流とレイ・レグナント流を始めとし、スプレッツァトゥーラ流の双剣術、ラムイステラーハ流の連撃、ベルフェイユ流の捌き、シャルフヴァーレハイト流の突き技、アイノアカーリオ流の虚を突く変則攻撃。それらを駆使し、これまで磨いてきたもの、これまで培ってきた全てを出し尽くした。
そして本物の大聖霊石を核としていないとはいえ、単純な騎体性能では天叢雲を上回る炎の神剣デュランダルを相手に、遂に優位に立つことに成功したソラ。
「ハアッハアッハアッ」
『ハア、ハア、ハア』
互いの呼吸が短く漏れる。
するとソラは、一旦竜域を解除し、エルへと伝声を行う。
「さっきエルは進む道も戻る場所も無いって言ったよな?」
『…………』
「進まなくてもいい、戻らなくてもいい、ただ俺の横にいてくれればそれでいい!」
『……ソラ』
ソラの言葉を、エルは胸に刻み込むように黙って聞き入った。
「俺さあ、何でか知らないけどいつの間にか騎士団の団長なんかになっちゃって、翼羽団長みたいに全然上手く出来ないし、そもそも柄じゃないし、誰かが傍にいてくれないと駄目なんだよ」
『君には……頼もしい仲間達が傍にいるだろ?』
「わかってる、頼りになる良い奴らだし絶対に失いたくない大切な奴らだ。でも俺がずっと隣にいてほしいのは今もあの日も、エルだけなんだ」
ずっと伝えたかった想い、ずっと抱いていた願い、それを突然告げられ、僅かに覗かせる頬を赤くしながらエルはあたふたとしながら返す。
『そ、そんなこと突然言われても、こ、困る!』
直後、エルは微笑んでいるような口元で、少しだけ柔らかな声で小さく続けた。
『……でも嬉しい』
しかし、エルは再びデュランダルに腰を落とさせ、居合構えを取る。
「私はあの日すべてを捨てたんだ。君との思い出も、エルという名前も、個であることも感情も」
『なら何でエルは泣いているんだ!?』
ソラの指摘でエルは気付く。自身の頬を冷たい何かが伝っていることを。それは他の何ものでもない、自分自身の想い、願い、感情そのものであったのだ。
それでもエルは、それを拭い、払い、氷のような心で再び戦闘の意思を見せる。
『……話はこれで終わりだ、これ以上私の前に立ち塞がるのなら、君でも容赦はしない』
そのエルの頑なな意志に、ソラは堪らず頭を抱え、大きく嘆息した。
「あーもうっ! これだけ言ってもわかんないのかよ、エルは本当昔っから頑固で強情で言い出したら聞かない奴なんだよな」
するとソラは再び竜域に入り、天叢雲に双剣を構えさせる。
「でもな……今日だけは譲れない」
『それはこちらも同じだ』
想い合うが故相容れぬ主調。そして守るべきものがあった。
次の瞬間、エルはデュランダルに居合構えを取らせたまま天叢雲へと突貫する。対し迎え撃つソラは、頬を冷たい汗が滴るのを感じた。
――何かが来る!
竜域に至り極限に研ぎ澄まされた集中力のソラにとって、正面から来る攻撃に対し意識の隙間は存在しない。“それ”はただ愚直に意識の正面から放たれ、ごく単純に意識する間も無く刹那に奔った。
『……閃火』
エルのデュランダルは天叢雲に背を向けた状態で既に納刀の姿勢に入っていた。デュランダルが、左逆手に握った燈爆式斬竜剣が鯉口の音を空へと響かせたと同時、切断された天叢雲の左腕部と左側の推進刃が空へと落ちた。
「速……すぎる」
その一撃は、塵化御巫流最速の秘技。左逆手により抜刀し、右手背で峰を押し込みながら斬撃を浴びせる閃光の如き居合術――名を閃火といった。
その一撃で一気に形成は逆転した。互いに片側の推進刃を失ってはいるが、天叢雲は更に左腕部を失っている。片腕でエルの操刃するデュランダルを相手にするのはあまりにも無謀である。
勝敗は決した――エルも、本拠地伝令室で戦いを見守っていた〈寄集の隻翼〉の騎士達も、神鷹も……誰もがそう確信した。
そして当のソラはというと、残された右腕部に握られた羽刀型刃力剣を構えさせながら、脳裏は雑念で溢れていた。
――はあ、やっぱり敵わないなエルには。過去に三回戦って三回負けてる訳だしな。まあ、神剣相手によくやった方か。
そっと目を閉じるソラ。竜域は既に解除されており、諦めたかのような言葉を心の中で呟いた。
――そんな訳……ないだろ。
しかし、操刃柄を握り締める手は固く、その意思はどこまでも頑なだった。
「過去に何万回負けててもいい、これから先一度も勝てなくてもいい、でもさ……この一回だけは負ける訳にはいかない。やっと追い付いたんだ、もう二度と伸ばした手は引かない、掴んで離さない!」
ソラが開眼すると同時、その瞳孔は縦に割れており、更に白眼の部分は紅蓮に染まっていた。異形の変化、その正体が何かを知っている翅音とパルナは、伝令室から必死にソラへと叫ぶ。
『臨餓の竜域だと! まさかあいつが……おい、戻って来いソラ!』
『駄目よソラ! それを使ったらあんたは!』
臨餓の竜域、それは竜域を超える竜域。正に極限を越えた集中状態である。自我と理性を捨て、痛覚を捨て、心臓の鼓動を限界まで速め、呼吸すら厭わず、人成らざる力を発揮しながらただ目の前の敵を倒す、命を削りながらただその一点だけを遂行する状態。そして一度その状態に入ったが最後、命が燃え尽きるまで解除されることはない。
しかしそれを知らないエルは、凄まじい威圧感を放つソラに対し、残る右腕部を破壊して戦闘能力を完全に排除しようと、再びデュランダルに居合構えを取らせる。そして閃火を放つべく、再度天叢雲へと突撃を開始した。
刹那、瞬く光がデュランダルの頭部のすぐ脇を過ぎ去った。更に、無数に飛来する閃光を皮一枚で躱し続けるエル。それはソラが刺突と共に放つ刃力の矢――都牟羽 弐式 靁閃であった。
神速の刺突と共に次々と放たれる光の矢に防戦一方のエル。直後、エルはデュランダルを飛竜形態に変形させ、空を縦横無尽に翔けながら天叢雲へと接近する。
飛翔力が半減しているとはいえ、飛竜形態となったデュランダルの突進力は凄まじく、光の矢を躱しながら遂には、天叢雲の背後を取りつつ間合いへと入ることに成功する。
そして騎士型へと変形し直すと、天叢雲の背後から目にも映らない神速の秘技、閃火を放つのだった。
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