290話 竜祖の転生者
それから、俺は再びオルタナを、最初に手合わせを行った鍛錬場へと招き入れると、あるものを手渡した。
「お前にこれを渡す、これからはこれを使え」
「……この剣は」
それは羽刀、鳳龍院家の騎士が主に使っていた通常の羽刀だ。オルタナはそれを怪訝そうな表情で見つめていた。
「でも確か、天花寺家の流派は斬馬羽刀を使用するのでは?」
「ほう詳しいな、確かにお前の言う通り鳳龍院家に伝わる流派では羽刀を、そして俺がお前に伝える天花寺家の流派は斬馬羽刀を使用する」
「……ではなぜ?」
俺の話を聞き、腑に落ちないといった様子で呟くオルタナに俺は説く。
「お前の竜殲術は剣速を加速させる、つまりお前の持ち味は凄まじい剣速にある。その長所を更に活かすには重量のある斬馬羽刀よりも通常の羽刀がいいだろう」
「なるほど、では私はこれより羽刀で鏖威天花寺流を修得すればいいのですね?」
オルタナの問いに、俺は首を横に振った。
「いや、お前に鏖威天花寺流を修得するのは無理だ」
「なっ!」
俺の歯に衣着せぬ発言に、納得いかないといった様子で声を出すオルタナ。
「鏖威天花寺流の剣は、相手の虚や急所、弱点を突くためにあらゆる手を尽くすいわば邪道の剣だ、お前のような奴には向かん」
「わ、私のような奴とは?」
そう問われ、俺は無意識に軽く笑むと、言葉が自然と口を出た。
「お前のような……真っ直ぐな奴にはだ」
「わ、私が……真っ直ぐ」
そう言われたことが意外であったのか、オルタナは少しだけ見える頬を赤くして、しばし口をぱくぱくさせた後で尋ねる。
「で、では私はどうすればいいのですか?」
そんなオルタナに俺は答えた。
「お前には鏖威天花寺流異伝、天花寺家の分家である御巫家に伝わっていた塵化御巫流を伝授してやる」
「……塵化御巫流」
塵化御巫流は抜刀術――つまりは居合術を用いて戦う流派。本来素早く抜刀した状態に持っていく為の剣術を用い、最速の斬撃を得る。そのために必要なのは、常にぶれぬ所作を身に着けるためのたゆまぬ鍛錬、そしてあえて不利な状態で戦う胆力と、居合こそが最速であると信じて疑わぬ揺るがぬ信念だ。
俺のかつての部下であった御巫 雪加のように、直情的で相手を欺くことに躊躇うような根の優しい人間は鏖威天花寺流よりも塵化御巫流との相性が良い。そしてオルタナは間違いなく雪加と同じ系統の人間であると、短い付き合いながら俺は見抜いていた。
すると、オルタナは勢い良く俺に頭を下げながら言った。
「よろしくお願いします、師匠」
「師匠?」
「はい、私が読んだ書物によると剣の教えを受ける相手に対しては師匠と呼ぶと書いてありました……迷惑でしたか?」
やや不安そうな声色で尋ねるオルタナを見て、俺は笑いが込み上げて来た。無である、感情が無い、個ではないなどと言っていたわりに、オルタナは誰よりもわかりやすい奴であったからだ。表情が分からないにも関わらず、誰よりも表情に出やすいオルタナがおかしてくてたまらなかった。
声を大きくして笑い続ける俺に狼狽えるオルタナへ、俺はようやく返した。
「いや……好きに呼べ」
「はい!」
こうして、オルタナが塵化御巫流を会得するための、修練の日々が始まった。
元々剣の才があるオルタナであったが、己に慢心することなく、怠ることなく、来る日も来る日も修練に身を置き続けた。
時に何かに追われるように、時に何かを追い求めるかのように、血が滲むほどのそれは執念ともいうべき熱情。俺にはそれが何処から来るものなのか、オルタナが何を抱えているのか……この時はまだ知る由もなかった。
そしてそんな日々はやがて、光のごとく過ぎ去っていった。
※
「この程度か?」
「くっ!」
「遅い! 教えた筈だ! 敵を貫く雷となれ、敵を灼き尽くす焔となれ、さすれば立ちはだかる壁は悉く塵と化す」
「はい!」
※
「塵化御巫流の極意は脱力からの緊張、その振れ幅を用いて神速を体現する。お前の剣は疾いが素直過ぎる」
「で、ですが師匠は以前私に『お前は真っ直ぐで素直でいい奴だから塵化御巫流にぴったりだ』と言っていたではないですか!」
「……勝手に盛るな、そこまでは言ってない。というか口答えするな未熟者」
「むううっ!」
※
「師匠はどうして、いつも哀しそうな眼をしているのですか?」
「……哀しい……俺が?」
「思えば私は師匠のことを何も知らない」
「ふん、俺もお前のことは何も知らん、お互いさまだろう?」
「それは……そうですが」
※
「いつの間にか中々出来るようになったなオルタナ、これならば免許皆伝の日も近い」
「ほ、本当ですか師匠!? ならもうすぐ師匠を越えられますか?」
「調子に乗るな、お前などまだまだ未熟者だ」
「むぅ、師匠の意地悪」
「何か言ったか?」
「いえ、何も!」
※
俺は少しずつ、少しずつ自覚した。オルタナに修業をつけ、共に過ごしていく日々の中で、自分の中にある変化が現れていることに。
俺は……満たされていたのだ。
ひたすらに真っ直ぐに、ひたむきに、懸命に剣と向き合うオルタナの姿は、俺が忘れていた、捨てた筈の熱を思い出させていた。
しかし、そんなことは許されない。俺が生き永らえるのは自身の身と心を焼き続け、贖い続けるためだ。満たされることなどあってはならない。
俺はそんな葛藤と、自分の中に芽生えた感情との乖離に悶え続けた。
――そして俺がオルタナと出会ってから三年後。
「オルタナ、今日よりお前は塵化御巫流の免許皆伝とする」
オルタナは齢十五にして塵化御巫流を極め、免許皆伝にまで至っていた。
するとオルタナは片膝を着き、厳粛な雰囲気を醸し出して答える。
「塵化御巫流免許皆伝、しかと受け取りました」
しかし髪に隠されたその表情はどこか浮かないような、どこか満たされていないかのような、そんな気がした。
「オルタナ、お前は那羽地の剣技を修得することにこだわっていたが、これで悲願は成就されたのか?」
「…………」
俺の問いにオルタナは何も答えなかった。そしてそれは一つの答を優に表していたのだった。
その日、俺が眠りについた後、目が覚めると見覚えのある空間にいた。
そこは何も無い白い空間、三年前に初めて竜祖と出会った場所だ。
目の前には三年前と同じように竜祖セリヲンアポカリュプシスの転生体である黒髪の少女と、老齢な銀髪の竜醒の民がいた。あの時と違うのは、そこには俺だけでなくオルタナの姿もあったことだ。
「やあ久しぶりだねヤトノカミ。そしてナナツメは那羽地の剣技を修得出来たようだね」
オルタナをナナツメと呼ぶその声を聞き、俺は初めて気付く。
――オルタナの声と同じだ。
オルタナもまた、驚いたような様子で呟いた。
「……私と同じ顔」
オルタナは竜祖を見て自分と同じ顔であると呟いた。それが本当であるのならば、どうやらオルタナの髪の下に隠された顔は竜祖と同じものであるらしい。
そんなオルタナに対し、竜祖は言う。
「驚くのも無理はない、ヒトツメを介してやり取りをしていたけど、君とこうして直接話すのは初めてだからね」
三年前のオルタナはまだ幼かったため気付かなかったのだが、こうして聞くと改めてオルタナと竜祖の声が全く一緒であることを再認識する。
そして俺は、オルタナの正体を無意識に確信していた。
「竜祖と同じ顔に同じ声……まさかオルタナは」
「そう、そこにいるオルタナティーバは僕の竜哮……いや竜殲術で生み出した七体目の分裂体。つまりは僕自身だ」
竜祖は言う。本来であれば完全な別個体を生み出す能力である筈の七魂だが、人へと転生した際に大聖霊達の妨害に遭い、能力が劣化した状態で引き継がれたため、自分と同じ……否、劣化した状態の個体しか生み出せなかったのだと。
そして同じように劣化した状態で転生した自身が完全体となるために、オルタナ……つまりナナツメが必要なのだ、と。
俺はゆっくりと頭を整理し、理解する。竜祖が所持していた竜哮の力。オルタナの存在。オルタナの末路。オルタナは、竜祖が人としての到達点へと至るため、竜祖の糧となるために生み出されたのだと。
すると竜祖は、懐から取り出した血晶をオルタナに向けて掲げると、静かに続けた。
「君の本当の役目は三年後、人として肉体が成熟した時にやってくる。それまでは僕の手足として使命を果たし続けててもらいたい。そうすれば君の願いは必ず叶うと約束するよ」
「……しかし私は今〈灼黎の眼〉の騎士、自由には動けない」
エリギウス帝国の騎士師団ごとに締結されている相互不介入条約の存在と、己の立場から、使命を果たすことが現実的に困難であることを告げるオルタナに対し、竜祖は至極冷静に返す。
「その点は心配ないよ、君には帝国から特務遊撃騎士という役職を与えてもらう。そうすれば君だけは空域を跨いだ自由な活動が可能となる」
「……特務遊撃騎士」
「そして君には専用の宝剣を用意した、これからはそれを使って僕の求めるとおり動いてもらうよ」
どのような使命を与えられるのだろうかと不安げなオルタナに、竜祖は告げた。近い内に果たすべき次の使命を与えることになると。
そして俺には、オルタナが与えられた使命を果たし続けるために、傍で出来るだけ支えてやってほしいと伝えると、竜祖の隣に立つ老齢である竜醒の民が、俺とオルタナの頭部に掌を触れさせた。
「頼んだよ僕のナナツメ……そして我が子ヤトノカミ」
三年前と同じだ。俺は目が覚めた時には自分の寝床に居た。
まるでこれまでの出来事がただの夢であるかのようにさえ思える。しかし、脳裏に深く刻まれた竜祖からの使命は紛れも無い現実だ。
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