289話 譲れない想い
その後、オルタナは騎士宿舎のベッドの上で目を覚ました。
すると、オルタナは周囲に視線を巡らせ、自分の状況を把握する。
「ここは……私は確か手合わせをしていて……負けたのですね」
「ふん、まさか俺に勝つつもりだったのか?」
「いえ、そういう訳ではありませんが……」
すると僅かに口ごもりながらオルタナは続ける。
「私はお眼鏡にかなったのでしょうか? 私はとある人物から、タカ=テンゲイジという名の騎士から那羽地の剣技を修得するように命じられました、それを果たせなくなっては困るのです」
「ほう、そのとある人物とは竜祖のことであろう?」
「あなたも竜祖のことを知っているのですか!?」
「俺は竜醒の民だ、そしてお前に那羽地の剣技を修得させることを条件に竜祖から血晶を渡された」
それを聞いたオルタナは、体を前のめりにして声を出す。
「竜祖の血晶を貰い受けたのですね!」
「どうした? お前も竜祖の血晶を求めているのか?」
「あ……いえ」
それは必死さだった、そして今は安堵。出会った時、手合わせした時、俺がオルタナに感じた違和感の正体にこの時初めて気付いた。こいつは無などではない、無であることを装ってはいるが、その内には何か特別な感情を秘めていることは明らかだった。
――ふん、しかとあるではないか……感情が。
「何か言いましたか?」
「いや」
だが、俺はそれ以上踏み込むのを止めた。どこまで行ってもオルタナと俺は互いの使命を果たすためだけに存在する間柄でしかない。この時はそう考えていた。
「それでは早速だが――」
そして俺が、改めてオルタナに剣術を修得させるための修業に入ろうとしたその時だった。
部屋の扉が勢いよく開かれ、中へと入って来る人物がいた。
「タカ師団長! 新入団者がいるというのに、なぜこの俺に教えてくれなかったのですか?」
「……響か」
不満げに苦言を呈してきた黒髪の少年の名は御巫 響。殆どが、かつての天花寺家の血を引く者と他国の人間との混血種となった〈灼黎の眼〉の騎士の中で、唯一純粋な那羽地の民の末裔であり、齢十五にして副師団長を務める男である。
「いや、お前に話を通すと大抵ややこしく――」
「おいお前!」
すると、響は俺の苦言を他所に、ベッドに腰掛けているオルタナの元へと近付くと、告げる。
「俺は御巫 響。〈灼黎の眼〉の副師団長を務める」
「新たに〈灼黎の眼〉の騎士となったオルタナ=ティーバです、よろしくお願い致します」
可もなく不可もない挨拶をするオルタナに、響は明らかに敵意を剥くような視線を向け牽制した。
「言っておくが、俺はまだお前のことを認めていない」
「…………」
「先程の手合わせを覗いていたがお前はまだ剣術を会得してないらしいな?」
「はい、これから師団長に手ほどきを受ける予定です」
それを聞いた響は、先程よりも更に敵意を剥き出しにし、オルタナ食ってかかる。
「舐めるなよ小娘! 聖衣騎士であるようだが、お前のような三下がタカ師団長の手ほどきを受けるなど百年早い、まずは俺が与えらる試練に合格してからだ」
そう提案する響に俺は頭を抱えた。
「響、貴様またあれをやるつもりか?」
「当然です、あれは〈灼黎の眼〉に入団する登竜門ですからね」
「今時あのような時代遅れの試練を与えて何になる? あれで何人の騎士候補が入団を諦めた?」
「この程度でへこたれるような腰抜けはどの道〈灼黎の眼〉には必要ありませんからね」
そんな俺と響の意味深なやり取りを眺めていたオルタナだったが、おもむろにベッドから降りて告げた。
「どんな試練かは分かりませんが、必要だというのなら私はそれをやるだけです」
「ふんっ、気味の悪い小娘だがいい度胸だ……付いて来い」
そうして、響が与える試練を受けることになったオルタナは、響に付いていく。
その場所は屋外。本拠地である城塞の裏へと連れて来られたオルタナは、そびえるあるものを見上げていた。
あるものとは巨大な氷柱で、その太さはソードの背丈ほど、太さもまたソードの腰回りほどはあるであろう氷塊であった。
「一週間やる、これを斬ることが出来れば入団を認めてやる」
響のその言葉を受け、オルタナは即座に剣を抜いて構えた。
「造作も無いことです」
「阿呆、誰が真剣を使っていいと言った?」
「え?」
すると、響は手に携えていたあるものをオルタナに渡す。
「こ、これは……」
「そいつは竹刀と言ってな、子供の稽古や試合に使われる切れ味は皆無の所謂玩具みたいなものだ、それを使ってこの氷柱を斬れと言っている」
その試練は最初から達成できる筈の無い無茶なものだった。響が騎士候補者の覚悟や精神力を測るための方便だ。
するとオルタナの額に剣の紋章が輝き、竜殲術を発動させた状態で竹刀による横薙ぎを繰り出した。
「ハアアアッ!」
しかし、物凄い速度で氷柱に激突した竹刀は無残にも砕け散る。
その達成の困難さに、オルタナは茫然と立ち尽くしているようにも見えた。それも当然だ、これは達成することが目的ではなく、あくまで精神鍛錬と強大な敵に立ち向かうための心を手に入れることを目的として、天花寺家に伝わっていた古の通過儀礼なのだ。
するとオルタナは、再び氷柱と対峙し、幾度も幾度も竹刀を叩き付けた。それを見て響は嘆息する。
「いいかオルタナ、期限は一週間だぞ」
「はい、必ず達成してみせます」
それから――オルタナは来る日も来る日も、氷柱に竹刀を叩き続けた。朝から晩まで、雪降る日も、雹が降る日も、竹刀が何十本と折れて砕けても、ただただ愚直に氷柱を斬らんと竹刀を振り続けたのだ。
出来るはずはない、そんなものは誰の目にも明らかだ。しかしオルタナは決して投げ出さず、逃げ出さず、諦めなかった。
竜祖の命をただ忠実にこなしているのだろうか? そのような考えも過ったが、オルタナから感じる並々ならぬ想いは、そんな無機質なものとは程遠い……どこか熱く、どこか人間味に溢れるものだった。
そして一心不乱に竹刀を振り続けるオルタナを見て、響は次第に畏怖と畏敬の念を抱き始める。
「何だこいつは? 何故音を上げない? 本気で出来るとでも思っているのか?」
「…………」
そして期限の一週間後。
そこには驚くべき光景が――
「ハアッ、ハアッ、ハアッ」
一週間竹刀を叩き付けボロボロになったオルタナと、破壊され、根本からへし折れた状態で雪上に倒れる氷柱の姿がそこにはあったのだ。
それを見て唖然とする響に、どこか納得いっていないように俯きながら、オルタナが言う。
「すみません副師団長」
「え?」
「氷柱を砕くことは出来ても……斬ることは遂に出来ませんでした」
確かに、始め響が突き付けた条件は竹刀で氷柱を斬ることであった。しかし、そんなことはどうやっても不可能である。巨大な氷柱を砕いただけでも、誇るべき大業なのだが、オルタナは悔しさを滲ませるように頭を下げ、両掌を握り締めていた。
「ですが恥を承知でお願いします。私はどうあってもこの騎士団で那羽地の剣技を修得しなくてはなりません、だからどうか〈灼黎の眼〉への入団許可をお願いします」
氷柱を斬ることが出来なかったことを本気で恥じ、入団を懇願するオルタナを前にして、響は畏怖と畏敬を通り越し、もはや呆れていた。
「なんて……奴だ」
すると響は短く嘆息し、軽く笑んで伝える。
「顔を上げろ」
「……副師団長」
「試すようなことをしてすまなかったなオルタナ、お前は〈灼黎の眼〉の騎士に相応しい」
その一言に、オルタナは顔を上げ、前のめりになった。
「ほ、本当ですか、副師団長、それじゃあ!」
「俺のことは響と呼べ、そこまで歳も変わないだろう」
「ありがとうございます、響!」
深く礼をしながらオルタナは言った。
俺はゆっくりと、もう一つそびえる、オルタナが砕いたよりも更に巨大な氷柱の元に歩み寄ると――
斬馬羽刀を抜き斬撃を放った。次の瞬間、氷柱は切断され、根元に刻まれた切断面からずれ落ち、大地へと倒れた。
その光景に、唖然としながら固まるオルタナと響。とは言え、竹刀でこれをやれと言われれば勿論俺でも不可能だということは伏せておいたのだが。
「付いて来いオルタナ、約束通りお前に天花寺家の剣を伝授する……依存はないな響?」
「ええ、勿論です」
その瞬間、表情が見えないにもかかわらず、オルタナのそれが明らかに明るくなったのを俺は感じ取った。
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