288話 神鷹とオルタナ
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かつて俺は那羽地で夜刀神という名の竜として生まれ、戦いの中で鳳龍院 翼渡に討たれた。その後、天花寺 神鷹という名の竜醒の民として転生し復讐を誓った。やがて死闘の末に鳳龍院家を滅ぼし、復讐を果たした。
だが、天花寺家の家臣や部下として転生した多くの同胞達も戦いの中で死んだ。
鳳龍院家や天花寺家の人間だけでなく、東洲、西洲の無関係な人間も俺が招き入れたエリギウス王国の騎士達に滅ぼされた。
数多の犠牲を伴い俺は本懐を遂げた。そして本懐を遂げた俺にはもはや野望も無ければ、未来も無かった。俺に残されていたのはただただ空虚な心だけだったのだ。
俺がしたことを弁明するつもりはない、後悔をするつもりもない、俺は地獄に堕ちると分かっていながらその道を進んだのだから。
その後俺はエリギウスの騎士として生きることを選んだ。生に執着などない、しかし多くの人間を殺め、多くの同胞を死に追いやった俺が簡単に死にゆくなど許されるはずもない。だからこそ俺は、竜祖の血晶を手に入れ、永く続く時の中で業火に灼かれ続ける道を選んだのだ。
だが俺は結局、鳳龍院 翼羽に救いを求めてしまった。いつかあいつが俺の前に現れ、俺を討ってくれることを……願ってしまっていた。
もがき、苦しみぬくことが俺の贖いでありながら、逃げ道を用意していたのだ。
そんな情けない己から目を背けつつ、俺は竜祖の血晶を探し続けた。
竜祖が死の間際、世界に拡散したという血晶。あらゆる病を払い、不老をもたらす秘宝。まずはそれを手に入れなければ話にならない。
しかし、十年、二十年と時を重ね、それを追い求めながらも、手に入れることは叶わなかった。
それから……俺がエリギウスの騎士となり、竜祖の血晶を探し始めてから五十年以上の月日が経っていた。ラドウィードの大地はオルスティアへと浮遊し、俺の齢も七十を越え、肉体的にも下降の一途を辿る。迫り来る刻限の中、時が俺の命を奪うのならそれも仕方ないと、己に言い聞かせることしかできない日々が続いた。
そんなある日だった。
目を覚ますと俺は見覚えのない場所にいた。そこは何もない白い空間で、見覚えのない人物が二人居た。
一人は俺と同じ程の歳の銀髪の男、そしてもう一人は黒紫色の髪の少女だった。
本能で理解した。この二人は俺と同じ元竜……竜醒の民であると。そして黒紫髪の少女はただの竜醒の民ではないということも。
「やあ、ヤトノカミ」
その声を聞いた瞬間、怖気が走った。決して抗えない、決して覆せない、そんな存在がこの世にあるのだということを本能……否、更に深い何かが理解してしまった。そして不可解の自覚は後からやってくる。
「なぜ……俺の真名を?」
「転生した者も含めて、全ての竜のことは知ってるよ、だって君達は……大切な我が子達なんだから」
その言葉を聞き、心のざわめきの正体がわかってしまった。
「まさか、竜祖……セリヲンアポカリュプシスなのか?」
少女は肯定も否定もしなかった。だが目の前の存在は俺達の祖であることを、俺の魂が確信していた。
「君は竜祖の血晶を求めているそうだね?」
すると少女は俺に唐突にそう問う。
「…………」
「無駄だよ、世界に散らばった血晶は既に全て回収し終えた」
「なっ!」
「そう残念そうにしないでほしいな、今回君をここに呼んだのは、この血晶を君に渡すためなんだから」
そう言いながら少女は懐から赤い宝石のようなものを取り出し、見せながらそう告げた。
その赤い宝石は、まるで生物の心の臓のように脈動している。それは正しく俺が長年探し求めた竜祖の血晶だった。
「竜祖の血晶……だがなぜ?」
「僕にはとある目的がある、その為に同志となる竜醒の民達が多く必要なんだ。と言っても血晶の数には限りがあるからね、より力を持った個体を選りすぐって血晶を与えてきた。そして君は選ばれた、だからこれは君のものだ」
俺は、竜祖が差し出した血晶を受け取り、それをまじまじと見つめた。
「ただし、この血晶を与える代わりに、君には使命を与える」
「使命?」
竜祖は言う。いずれ俺の前にオルタナ=ティーバという名の、色も表情も感情も持たず、個を持たぬ少女が現れる。その少女を部下にし、那羽地の剣技を修得させ、騎士として育てることが俺の使命だという。
竜祖の目的とやらは不明だったが、求めていた血晶を得られるのならば答は一つだ。
「いいだろう」
俺はまだ生きている。まだ鳳龍院 翼羽との約束も果たせていない。このまま天寿を全うするなど、あってはならないことだ。
選択肢などない、俺は少しでも生きながらえ、死んでいった者達の分まで苦しみ抜かなくてはならないのだから。
そして俺は竜祖の血晶を受け取ると、躊躇なく飲み込み、不老の力を手にした。
「それじゃあ頼んだよヤトノカミ、来るべき日までしばしのお別れだ」
竜祖がそう言うと、もう一人いた老齢である竜醒の民が、俺の頭部へと掌をかざした。
その瞬間、俺は意識を失い、目覚めた時には元居た場所に横たわっていた。
それから流れる時代の中で、俺はエリギウス王国の東天騎士師団長となり、エリギウス王国がエリギウス帝国となった後、第十一騎士師団〈灼黎の眼〉の騎士師団長となった。
そして、俺が竜祖の血晶をその身に取り込んでから百年ほどが経過した時だった。
ある日〈灼黎の眼〉に新たな騎士が配属されることとなった。
俺の前に現れたのは、白髪で顔を隠した表情の見えない齢十二の少女。俺は目の前のその少女を見て、竜祖から与えられた使命を鮮明に思い出す。
すると少女は、歳に似つかわしくない無機質な声で俺へと名乗る。
「本日から〈灼黎の眼〉に所属となった、オルタナ=ティーバです」
オルタナと名乗る少女は、一見何も持たない人形にさえ思えた。竜祖の言ったように、色も表情も感情も持たないただの人形、それが俺が最初に抱いたオルタナへの印象だった。
「オルタナか……お前のことは既に聞いている」
「…………」
俺は素性の知れないオルタナに率直に問う。
「お前は何者だ?」
するとオルタナはしばし口を噤んだ後で答えた。
「私は何者でもありません」
「何だと?」
「私は個ではなく、私には何もありません。過去も、故郷も、感情も、未来も……私にあるのはただ与えらえた使命だけです」
「使命とは?」
「あなたから那羽地の剣技を修得することです」
個ではなく何も無いと語るオルタナ。その使命とは那羽地の剣技を修得すること。竜祖の言ったとおり現れた少女は、ただその使命を果たすことだけを目的とした人形なのだろう。
しかし俺の中には妙な違和感が浮上していた。その少女から僅かに感じる言い表せないはちぐはぐさ、それが何なのかはこの時の俺には解からなかった。
そしてこの日を境に、俺は俺自身の使命を果たすべく、オルタナに剣技を修得させるために稽古を付け続けるのだった。
まず俺は、オルタナの実力を測る目的で手合わせを行う。
本拠地にある稽古場にて対峙する俺とオルタナ。俺は斬馬羽刀を構え、オルタナは通常の剣を構えた。
その構えを見て俺はすぐに気付いた。歳に不相応な威圧感、間違いなく非尋常ならざる力を秘めている……秘めてはいるが、剣そのものはあくまで我流、素人であると。
「本気で行ってもよろしいのでしょうか?」
「当然だ、殺すつもりで来い、でなければ俺がお前を殺す」
「わかりました」
オルタナはそう答えると地を蹴り、一気に俺へと向かってくる。その速度は疾風が如く、そして振り下ろされる斬撃は迅雷が如く。しかしその無造作な一撃を受け流すことは俺にとって造作も無かった。
「くっ!」
斬撃を払われ態勢を崩すオルタナに、俺は横薙ぎを繰り出す。
「ぐううっ!」
その一撃を受け止めきれず、吹き飛ばされたオルタナは壁へと激突した。
秘める才は凄まじい、しかし読んでいたとおり剣術は未取得、更には恐らく自分以上の強者と剣を交えた経験は一度も無いことを俺は確信する。
すると、剣を支えにして立ち上がるオルタナから威圧感が迸る。
「まだです」
実力の差は明らかだ。手合わせをするという最初に伝えた目的も終えた。なら、なぜ立ち上がる? なぜまだ向かって来ようとする?
違和感……これは初め、オルタナに覚えた違和感だ。そう思案していると、オルタナの額に剣の紋章が輝いた。
竜殲術……オルタナは既に聖衣騎士として覚醒を果たしていた。その事実に俺が内心驚嘆していると、オルタナは再び俺に向かってきた。
どういう類の能力かは知らないが、先程と同じような無造作な斬撃を、とりあえず俺は受け流そうと試みる。
「なっ!」
しかし、剣速は先程よりも遥かに速く、型も無いただの振り下ろしでしかないその斬撃を受け流せず、俺は衝撃で片膝を着く。
剣速の倍化、それがオルタナの竜殲術の能力であったのだ。単純にして強力無比、剣を志す者ならば喉から手が出る程欲しいであろうその力。
するとオルタナからの追撃、凄まじい速さの横薙ぎを繰り出してきた。
「甘いな」
だが、いかに速かろうとそれは技無き剣、俺に言わせれば子供の遊戯の域を越えない。俺はその一撃を先読みしつつ受け流すと、一瞬でオルタナの背後を取った。
「カハッ」
そしてオルタナの後頚部を斬馬羽刀の柄頭で打突すると、オルタナは崩れ去るように膝を着いて倒れ、そのまま気を失った。
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