285話 二羽目の鷹
そして、エッケザックスの純血の契を翌日に控えた夜。時刻は深夜。
フリューゲルは一人島の端に腰を下ろし、闇の彼方に小さくそびえ、月明かりに照らされて薄っすらと見える世界樹を眺めていた。
その場所で口にしたあの日の決意……“この空を守る”ということ。いつかその答を見つけるためにこの騎士団で戦い続けているのだと振り返る。
「あ、やっぱりここにいた」
すると、ふと背後から聞こえる声に振り返るフリューゲル。
「……プルーム」
そこに立っていたのはプルームであった。
「お前どうしたんだよこんな時間に?」
明日のことを考えると中々寝付けず、夜風に当たりにきていたフリューゲルであったが、いつも一早く眠りに入り、一度眠ると中々起きないプルームがこんな深夜にこうしてここにいることが不思議でならなかった。
「フリュー……多分眠れてないんじゃないかなって思って」
「あ?」
言いながら、プルームはフリューゲルの隣にそっと座った。
「フリューはこう見えて意外と繊細なところがあるからね、純血の契なんて控えてたら絶対寝れないんだろうなってことで、わざわざ緊張をほぐしにきてあげたんだよ」
「そうか……ありがとな」
おどけたように、ここにいる理由を伝えるプルームであったが、予想に反してしおらしい態度のフリューゲルに調子を狂わされるのだった。
「フリュー、そんなに思い詰めなくても大丈夫だよ。アルテーリエ様程の騎士だって神剣に選ばれなかったんだし、と思えば私なんかが選ばれちゃったりで、選ばれるか選ばれないかなんてその時の運なんだよきっと。だからもっと気楽に構えてればいいんだよ」
それはプルームなりの心遣いだった。しかしフリューゲルは俯き、声を荒らげる。
「気楽になんて構えてられねえんだ、俺はこのチャンスを絶対に逃したくない! 俺はどうしても神剣に選ばれなけりゃならねえんだ!」
鬼気迫るような表情で叫ぶフリューゲルに、たじろいだ様子のプルーム。
「……フリュー」
「わ、わりい」
そんな自分を心配そうに見つめるプルームの視線で、フリューゲルは我に帰る。そして己の心の内を打ち明けるのだった。
「俺はさ……ずっとお前に追い付きたかった、お前に並びたかった。だから俺もいつかお前のように神剣に選ばれるような騎士になりたいなんて考えたこともあった」
「え?」
「でもそれは俺のただの願望で、ただの独りよがりだったんだ。でも……今は違う、俺は――」
そう言いながら、フリューゲルは少しだけ涙ぐみながら言葉を繋げる。
「俺はあの時、お前を失いかけた……今までのどんな時よりも怖かった」
「……フリュー?」
「お前はあの時たった独りでシェールと戦った、お前に託すしかなかった……そして俺は何も出来なかった、俺は弱い自分が憎かった」
プルームは、堰が切れたように思いの丈をぶつけるフリューゲルにただ寄り添って耳を傾けていた。
「俺は未だに“この空を守る”ということが何なのか答が出せてない、でも俺は二度とお前を独りで戦わせたりしない、俺は――」
するとフリューゲルは袖で、素早く涙を拭い顔を上げ、真っ直ぐにプルームの目を見て言った。
「お前を守る為に戦う、その為に神剣が必要なんだ」
どこまでも真っ直ぐな視線と真っ直ぐな言葉、プルームの鼓動が早まり、顔は燃えるように熱かった。しかしプルームはそれを覚られまいと、冷静な口調で返す。
「あの時私は独りじゃなかったよ。翼羽姉がいてくれた、フリューがいてくれた、皆がいてくれた……だから私はあそこまで戦い抜くことが出来たんだよ」
「…………」
「それにフリューは弱くなんてない」
その言葉を受け感慨深げに佇むフリューゲルにプルームは更に続けた。
「いつも冷静で、いつもしっかりもので、最高の狙撃騎士で、口は悪いけど本当は優しくて、私の心が折れそうな時もずっと傍で支えてくれた……今も昔も、私の憧れの騎士なんだよ」
プルームが伝えた想い、それは嘘偽りのない素直な気持ちだった。その言葉は、フリューゲルの心の奥に優しく、そして深く刻み込まれていた。
「……プルーム」
「だから気楽にやればいいんだよ、肩の力を抜いて、神剣に選ばれちゃったらラッキーくらいの気持ちで。それでもし神剣に選ばれなくったってフリューはフリューなんだし、それに私は絶対にフリューの前から居なくなったりしないよ」
フリューゲルはふと笑みを浮かべて言った。
「そう……だよな」
心が軽くなった、重圧が消えた。プルームの言葉と存在は、フリューゲルの心を確かに救った。
溢れる愛おしさと感謝、それを伝えるようにフリューゲルはプルームをそっと抱きしめていた。
「ひゃっ!」
突然のことにびっくりし、小さく声が出てしまったプルームであったが、フリューゲルの体温を感じ、先程よりも更に鼓動が早くなり顔が熱くなるプルーム。その温もりとその時に酔いしれるように、二人はしばらくそうしていた。するとプルームは意を決したように、抱きしめられた状態から少しだけ距離を作って言う。
「あのねフリュー……フリューが明日に備えてちゃんと眠れるようにおまじないしてあげるね」
「おまじない?」
直後、プルームはフリューゲルの唇に自身の唇をそっと触れさせた。時間にして一秒にも満たない一瞬ではあるが、それは確かに重なっていた。
夜の闇でわからないであろうが、互いに顔が真っ赤であることは容易に想像出来た。プルームはそれを誤魔化すかのように、さっと立ち上がると、いつものようにおどけた口調で伝える。
「そ、それじゃ……いつまでも夜更かししてちゃ大きくなれないからね」
そして足早に走り去って行ってしまった。
フリューゲルはそんなプルームの背中を暫く呆然と見届け、やがてその姿が見えなくなった後で独り呟く。
「よ、余計眠れなくなったっつうの」
※
翌日、ツァリス島には二羽目の鷹が舞い降りる。そしてその出来事がソラ達の運命を大きく動かすことになるのだった。
「それじゃあ頼んだフリューゲル」
「……ああ」
純血の契のため、メルグレイン王国の王都リンベルン島に向けて発とうとするフリューゲルを見送るソラは、その違和感に気付いた。
「あれ、フリューゲル……なんか目の下にクマ出来てないか? もしかして眠れなかったのか?」
その指摘に思わず顔を赤くし、狼狽えながら返すフリューゲル。
「う、うるせえ! 余計なお世話だっつうんだ! と、とにかくもう行くからな!」
フリューゲルはそう言い捨てると、足早にパンツァーステッチャーに乗り込み、開放された天井部から飛び去った。
「な、なに慌ててんだよ?」
どこか動揺しているフリューゲルを不審に思いつつも、ソラは純血の契の成功を心の中で祈るのだった。
そして、それから一時間後のことだった。慌てた様子のパルナから、ソラに報告が入った。
「ソラ敵襲よ! このツァリス島に向けて高速で接近中の騎影を確認したわ!」
突如訪れるツァリス島への襲撃。ソラはかつてシェール率いる〈裂砂の爪〉が襲来し、窮地に陥った日のことを思い出しながら血相を変えて尋ねる。
「なっ! 敵は全部で何騎?」
ソラが尋ねると、パルナに代わり翅音が答える。その額には剣の紋章が輝いており、一定の範囲内にあるものを精確に知覚する事が出来る竜殲術〈仙視〉を発動していた。
「敵は一騎だ」
「……一騎!」
「あれは……あの騎体は!」
迫り来る脅威の正体を既に知覚している翅音は、そう呟きながら冷たい汗を額に滲ませた。
「布都御魂……天花寺 神鷹だ」
その名を聞き、ソラの顔色が激しく強張った。
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