277話 小さな夢
それから、僕は竜魔騎兵計画をあえて停滞させながら、ゆっくりとアーラと心を通わせていった。
これまでは、アーラの心に近付いてはいけないと壁を作っていて、名前すら呼ぶことは無かった。しかし、少しずつ他愛もない話をするようになっていった。そして少しずつ僕はアーラのことを知ることが出来た。
好きなこと、嫌いなこと、怖いこと、楽しく思うこと。
竜であった時の記憶がないこと、竜と人……どちらの親の記憶も持ち合わせていないこと。
そしてある日話した、好きな食べ物と嫌いな食べ物、将来の夢の話。それが僕達の運命を大きく変えた。
アーラは、大好きなケーキの中に嫌いな人参が入っていることをこの日初めて知りとても驚いていた。嫌いなものが好きなものに変わることもあるんだと……嫌いなものでも、好きなものへ変身させることが出来るんだと。その一言は無意識の内に、僕の中に刻み込まれ、何かをもたらした。
それから夢の話しをした。僕には夢は無かった。多くの命を奪ってきた僕が夢を持つことなど許されない、おこがましいと思った。でもアーラは違う、アーラには夢を持つ資格がある。そしてアーラは語る。
「アーラの夢はね、おっきくなることなんだよ」
「え?」
その夢はあまりにも些細で……あまりにも儚い夢だった。
「だって、お友達はみんな大きくなっていくのに、アーラだけずっと小さいままなんだもん。みんなはいつも大きくなって、おじいちゃんやおばあちゃんになって……いつのまにかアーラ―を置いていなくなっちゃう。アーラもね、みんなみたいに大きくなって、ちゃんとおばあちゃんになりたいんだよ」
それを聞いて僕は思わず俯いてしまった。竜祖の血晶を体内に取り込み、不老の力を得ているアーラ。これ以上成長することは叶わず、永遠に子どものまま生き、親しい者と永遠に別れ続ける。それは……呪い以外の何ものでもない。
その時僕は、ふとさっきの人参のケーキの話を思い出した。“嫌いなものでも好きなものに活かすことが出来る”。僕がこれまでたくさんのものを犠牲にして培って来た聖霊学。この子のために使うことができるのなら、これ以上の償いはない。
でも、汚れた手の僕がはたしてそれをしていいのだろうか? 汚れ切った僕がこの子の傍にいることが許されるのだろうか? 初めて抱いた夢。しかしそれを持っていい訳がないという自分への戒め。誰かを救うために自分の力を注ぐことこそがこれまでやって来たことへの償いであるという別の戒め。
そう葛藤する日々を過ごしながら、竜魔騎兵計画に携わるために与えらえた期限は刻一刻と迫っていた。
そして、そんな僕の背中を押してくれたのは、ある一人の少年だった。
名前はラッザ=オルドリーニ。僕が射術を教え込んだ騎士としての弟子であり、研究助手で聖霊学師としての弟子であるスクアーロ=オルドリーニの弟であった。
ラッザは真面目でやや堅物とも言える性格であるが、誰よりも真っ直ぐで信頼の置ける男だった。そして幼い頃から僕を師として慕ってくれていたラッザに、僕はふと心の内を打ち明けた。なぜだろうか、この子にだけは話しておかなければならない気がした。
「どうしたんだウィン先生、そんな深刻な顔をして俺に相談なんて」
「ラッザ、僕は近い内……大きな決断をしようと考えているんです」
意味深な僕の言葉を聞きながらも、ラッザは表情を崩さなかった。
「でもその決断はきっとたくさんの人達を裏切ることになる。ラッザ……あなたのことも」
「…………」
「それ以上に、僕がその決断をしていいのか、その決断をする資格があるのか……そう葛藤してましてね」
言いながら、愚痴をこぼすかのように、弟子に濁した言葉を漏らしている自分に気付きお茶を濁す。
「すみませんラッザ、突然こんなこと言われても困りますよね、忘れてください今の話は――」
すると、ラッザは僕の言葉を遮るようにして返す。
「俺には何となくは解るよ、ウィン先生がしようとしていること」
「…………」
ラッザの不意の言葉に、僕は何故この話をしてしまったのだろうと後悔した。止められるかもしれないし、僕が何かを企んでいると報告されればリスクが増すだけである。しかしそんな不安をよそに、ラッザは僕に穏やかな声で言う。
「ウィン先生は昔から優しかったけど、瞳の奥はどこか闇を抱えているかのように冷たかった。でも今は、光を抱くように温かい。きっとそれは、あの子のおかげなんだろう」
「……ラッザ」
ずっと子供だと思っていた弟子が、自分以上に自分のことを理解していくれていた、それが嬉しかった。
するとラッザは、嘆息混じりに続けた。
「でもウィン先生らしくないな」
「え?」
「俺が射術騎士の道を諦めて白刃騎士の道を進むと決めた時、射術を叩き込んでくれたウィン先生を裏切ることになると葛藤していた俺に言ってくれただろ? 『道に迷った時は、どちらが正しいかを考える必要はない、どちらに行きたいかを考えればいい』と」
ラッザは、かつて僕が彼に送った言葉を返してくれた。忘れてしまっていた、ラッザに偉そうに言っておきながら、どちらが正しい道なのかをずっと考えてしまっていたんだ。
そうだ、正しいかなんて考える必要はない。相応しくなくてもいい、許されなくてもいい、ただ僕はアーラに未来を作ってあげたいんだ。
「俺は、ウィン先生がどんな道を選ぼうと、それがウィン先生の進みたい道ならそれでいい」
「ラッザ……ありがとう」
ラッザは、いつの間にか僕なんかより遥かに大きくなっていた。情けない師の心を救ってくれた、背中を押してくれた。
もしラッザがいつか誰かの師になったとしたら、きっと素晴らしい騎士を育てあげるだろう。
そして僕はこの数日後、遂に決意した。アーラと共にこのエリギウス王国から脱することをだ。僕と家族になることをアーラはとても喜んでくれた。
僕は愛刀であるフロレントに抗探知結界を装備し、アーラと共に闇に乗じて飛び立った。
特にトラブルもなく、追手もなく、驚くほどスムーズに僕達はエリギウス王国を脱することに成功した。僕は間違いなく離反者となり、この先追われ続けるだろうが、それでもやるべきことがある。
その後、藐の空域で発見した無人の孤島をルイン島と名付け、僕達はそこへ移住する。
僕はそこで、アーラと二人で暮らしていくための孤児院を建てた。テントで暮らしながら一ヶ月かけて建てた小さな教会兼孤児院を見上げながら、アーラは目を輝かせていた。
「わあ、おうちできたねおにいちゃん」
「ええ、ところで僕はもうお兄ちゃんなんて歳じゃないんですよね……あーでもそうですね、ここは一応教会兼孤児院ということなんで、僕のことは院長先生とでも呼んでください」
「いんちょーせんせい?」
僕がそう伝えると、アーラは少し首を傾げた後で、無邪気に言う。
「うんわかった、いんちょーせんせい!」
こうして僕とアーラはここで静かに暮らしながら、僕はアーラの不老という呪いを解くための研究を始めたのだった。
しかしその後、エリギウス王国を出る前に完全に廃棄した筈の聖霊石人体適合術法の方法論と、アーラから抽出した竜の細胞、スクアーロはそれを密かに手に入れており、僕に代わって竜魔騎兵計画を推し進めた。
そしてその竜魔騎兵計画が原因で、オルスティア統一戦役が勃発してしまった。
僕の犯した罪は永劫許されることはない。解っている。それでも僕は、アーラのことだけは守る。そしてアーラに未来だけは残してみせる。そしていつの日か、アーラが成長し、笑顔で天寿を全うするために己の全てを賭けようと誓った。
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