276話 決別
しかし、それから一ヶ月、アラシェヒルから抽出した細胞を被験者へと注入するも変化は訪れなかった。おかしいと思い、アラシェヒルから抽出した細胞を詳しく検査してみると、その細胞は通常の覚醒騎士のものと特段変わったところは見られなかった。
この子が本当に竜醒の民なのだとしても、人へと転生した竜はいわば人、覚醒騎士としての力はあるかもしれないが、他者を覚醒騎士に……ましてや聖衣騎士にまで到達させるほどの竜の因子があるとは到底思えなかった。
恐らくこれ以上続けても、竜魔騎兵計画は進むことはない、その事実は心の奥底で僕に安堵を与えていたのかもしれない。
そんなある日のことだった。それはほんの気まぐれだった。アラシェヒルは僕にとってただの研究のための道具、当然そこに情などあるはずもなく、研究の時以外僕はアラシェヒルに接触することもなく、栄養に関して考えているとはいえ食事は簡素で、必要最低限のものだった。
そう、本当にただの気まぐれだった。竜魔騎兵計画がこれ以上進行することはないと確信したその日、恐らくすぐにやってくるだろう別れの意味も込めて、僕はアラシェヒルに人参のケーキを持って行った。初めて与える甘い物だった。
一人過ごす小さな部屋のテーブルで、皿に乗せられたケーキを見て首を傾げるアラシェヒル。
「これなあに?」
「ケーキですよ」
「食べてもいいの?」
「勿論です」
僕がそう言うと、アラシェヒルは目を輝かせてケーキにかぶりついた。
「おいしい!」
ケーキを頬張りながら、笑顔でそう言うアラシェヒル。そしてその姿に僕は驚愕した。
なぜなら、アラシェヒルの臀部からは鱗に覆われた尾が出現しており、感情を表すかのように左右に振っていたからだ。
「なっ、その尾は!」
僕の指摘に、アラシェヒルは恥ずかしそうに頬を赤くしながら俯いて呟いた。
「アーラ、嬉しくなるとすぐにしっぽが出ちゃうの」
その尾はまさしく竜の尾。この子は、竜醒の民どころか、身体の一部を竜にすることが出来る個体なのだとこの時初めて気が付いた。
「もしかしてあなた、竜になる……いえ、竜に戻ることが出来るのですか?」
「うん……これね“りゅうせいかいき”って言うんだって」
りゅうせいかいき……竜醒回帰。確かに文献では読んだことがある。その中の記載によると、竜から人へと転生した竜醒の民は、竜の力を持つ人間であるが、稀に竜醒回帰と呼ばれる力を有し、身体の一部、或いは全身を竜の姿へと回帰することが出来るのだという。
そして僕は、竜化したアラシェヒルの身体から細胞を抽出し、検査を行った。するとその細胞は明らかに元のアラシェヒルの細胞とは変異しており、魔獣とも幻獣とも違う、そうこれこそが現代では得ることの出来ない、竜の細胞であったのだ。
それから……アラシェヒルから竜の細胞を得ることに成功した僕は、研究を進めていった。
被験者は主に、殺人、強盗、強姦、重い罪を犯し投獄されている罪人達だった。
実験に次ぐ実験、数多の罪人達が命を落としていった。とはいえ、生きる価値もない罪人が命をもって罪を償っているのだとしたらそれは実に合理的だと言える。
……じゃあ僕は? 僕の罪は誰が裁く? 他者を裁く資格も無い自分が、裁きだと己に言い聞かせ命を摘む。その行為は誰が裁く? いやそもそも戦場で無慈悲に命を刈り取って来た僕は初めから誰よりも重い咎を背負っているのでは?
そして、答の出ない自問自答を繰り返しながら月日は進み、三年の歳月が流れていた。
三年が経ってもアラシェヒルは成長する素振りを全く見せず、肉体も精神も幼いままだ。竜祖の血晶を取り入れているというのはどうやら本当のようだ。
また、これまでの実験と研究でわかったことがいくつかあった。元々、刃力が低い者は覚醒騎士へ覚醒することが出来ないのは通説であったのだが、刃力が低い者には竜の細胞が適合しない、そして例え刃力が高い者だとしても肉体の成長度合いに応じて竜の細胞投与による拒絶反応が強く生じるということが判明したのだ。
そしてこれは仮説なのだが、竜の細胞事体も成長した竜の細胞では人に適合することは無い。だからアラシェヒルは幼体の内に竜祖の血晶を体内に取り入れられたのだとしたら……道具として利用される為だけに、未来も奪われ、百年以上も無為に生きてきたのだろう。
そして、竜魔騎兵計画を遂行する為に必要なのは、高い刃力を持った子供である。
後天的に刃力を高める人間を造り出すには聖霊石を体内に埋め込む必要がある。そのための術法は既に考案していた。しかし、直接人体に聖霊石を埋め込めば一時的に高い刃力を得られるものの拒絶反応によりやがて人は死に至る。
ならどうするか? 刃力の高さは子へと遺伝する。つまり、子を宿す母体に聖霊石を埋め込み、拒絶反応により死ぬ前に出産させればいい。それから刃力を高められた赤子に竜の細胞を埋め込めば、拒絶反応も無く、理論上は聖衣騎士に覚醒する可能性のある騎士を人工的に生み出せる。つまりは竜魔騎兵計画の成功である。
しかしそれは……あまりにも残虐非道な行為であり、犯してはならない禁忌である。
それでも僕は、与えられた使命を果たすだけの道具だ。これまでも、これからも。戦場では金色の死神などと恐れられ、数多の命を奪って来た。その僕が今更何を躊躇う必要がある、今更何に慈悲しようというのだ? そうだ、僕はエリギウス帝国の道具、何も考えるな、何も……道具に心は無いのだから。
「ねえおにいちゃん」
そう僕が自分を言い聞かせた直後、アラシェヒルは僕にふと声をかけた。
「どこか痛いの? 苦しいの?」
その言葉の意味が解らなかった。この子は何を言っているのだろうか? 痛い? 苦しい? 何のことを言っている?
「おにいちゃん、出会った日からずっと苦しそうな目をしてる……アーラ、ずっと心配してたんだよ」
心配? 僕を?
「嫌ならね、逃げたっていいんだよ、アーラもね人参嫌いだからいつも食べないで残しちゃうんだよ」
その一言に、僕はついカッとなり大声で怒鳴ってしまった。
「そんなものと……そんなものと一緒にしないでください!」
そしてすぐに我に帰り、冷静になる。
「す、すみません。大人げなかったですね」
しかし、アラシェヒルは無邪気な笑顔のままで僕に言う。
「ほらあ、おにいちゃんやっぱり嫌だったんだね」
「……え?」
「今やってること? やろうとしてること? おにいちゃんはやりたくないんだよ、やりたくないことはね、やらなくたっていいんだよ」
その何気ない言葉は、僕に何かを気付かせた。心に蓋をして、気付かないようにしていた真実を。
――ああ……そうか……初めて気付いた……僕は竜魔騎兵計画なんてやりたくなかった……僕にはちゃんと心があったんだ……僕は道具じゃない……そんな当たり前のことを、こんな幼い子に気付かされるなんて。
いつの間にか僕の頬を涙が伝っていた。物心付いた頃から涙を流した記憶なんてなかったのに、それは止めどなく流れ続けた。
「おにいちゃんごめんね、アーラがおにいちゃん泣かせちゃった?」
そんな僕を心配そうに覗き込みながら涙ぐむアラシェヒルを、僕は優しく抱き寄せた。
この子と僕は同じだ。道具のように育てられ、道具のように利用される。それなのにこの子は、ずっと僕を心配してくれていたんだ。
「いえ、いいんです……アーラは優しいですね」
「本当? えへへ」
そうだ、道具じゃない……僕も、この子も。そう教えられた。道具として育てられた僕が、道具として利用され続けるこの子に。
そして自分の気持ちに気付いてしまった。もう嘘は吐けない。僕はこれ以上この子を利用したくない、竜魔騎兵計画のために新たな犠牲も出したくない。
僕はこの日、竜魔騎兵計画との決別を密かに決意した。
276話まで読んでいただき本当にありがとうございます。
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