273話 竜
その日の夜。
ソラは一人、薄暗い格納庫にいた。
格納庫の隅に片膝を付いて佇む叢雲の足元で、叢雲を背にしながら腰を下ろすソラ。どれくらいの時間そうしていただろうか、幾度も幾度も自分へと問いかけていた。
どちらの選択が戦力の増強になる? この騎士団にとって最善は? 叢雲を残す意味は? 翼羽ならどうしろと言う? 自分はどうしたい?
選択肢など結局一つしかない、それでも決断しきれない自分の弱さが憎かった。
「なあ叢雲……翼羽団長が今の俺を見たら何て言うと思う?」
背中越しの問いかけ、ソードから返答がある筈も無く、ただ暗い静寂だけがそこに在った。
大掃除二日目。
初日にそれぞれの持ち場を終え、全団員で手分けして聖堂と騎士宿舎全体の掃除へと取りかかる。
そしてこの日は、想定よりも早く作業が進んでいるのだった、何故なら――
「おおっ!」
聖堂でのその光景にソラは目を丸くしていた。誰も持ち手のいない複数のモップが床を磨き、数多の雑巾が床や壁を一斉に拭き上げていたのだ。
当然それをやっているのはプルームであり、プルームは竜殲術〈念導〉を使用し、掃除用具を操って掃除を行っていたのだ。
これにより、あっという間に綺麗になっていく聖堂を見て、ソラは呟く。
「もう、全部プルームちゃん一人でいいんじゃないかな?」
そんなソラに苦言を呈するエイラリィ。
「馬鹿なこと言ってないでソラさんも手を動かしてください、あと姉さんも調子に乗って無理しないでくださいね」
「あはは、これも訓練の内だから心配しないでエイラ、ソラ君」
気丈なプルームに、ソラは目を潤ませて進言する。
「プルームちゃん、役立たずの団長に出来ることがあるなら何でも言ってくれよ」
そう自虐するソラに、エイラリィとシーベットとフリューゲルがすかさず言った。
「では冷たいドリンクを持ってきてください団長」
「シバさんのブラッシングを頼むぞ団長」
「じゃあ団長に俺の肩でも揉んでもらうかなあ」
己の欲望を満たすだけの依頼を口々に告げられ、ソラは思わず漏らした。
「……あの君達、都合の良い時だけ団長扱いしてパシらないでくれます?」
こうして二日目の大掃除も順調に終了し、残すは島全体のみとなった。
そして三日目に、ある重大な事件が起こるのだった。
この日も、プルームの無双は止まらない。〈念導〉で操られた無数の鎌が、島中の雑草を次々と刈り取っていき、更には刈り取られた雑草が一ヵ所へと集められていく。
一方、範囲を広げてしまった竹林も、他の団員がソードを操刃し、刈り取っていく。
それにより、荒れ放題であったツァリス島は次第に整っていく。
そして遂に――
「あーやっと終わった」
三日間に渡る大掃除が終了し、〈寄集の隻翼〉の本拠地は完全に元の姿を取り戻した。
陽光が雲の中に隠れる小さな島を照らし、佇む聖堂と、那羽地の雰囲気を持つ宿舎が映える。そして島の中央にそびえる葉桜が風に揺れていた。
ソラ達は、ツァリス島の中央、巨大な葉桜の前に集合し、労を労い合う。
島全体を見渡しながら満足気な様子のフリューゲルとプルーム。
「これでようやくゆっくりできるぜ、暫く忙しなかったからな」
「うん、それにもしかして二年前よりも綺麗になっちゃったんじゃないかな?」
額の汗を拭いながら明るい表情を浮かべるアレッタとデゼル。
「これがこの島の本当の姿なんですね、見違えました」
「うん、凄く大変だったけど清々しい気持ちだよね」
自画自賛するシーベットと、軽くあしらうパルナ。
「今回、一番頑張ったのはこのシーベットだろうな」
「はいはい、じゃあ後でご褒美に飴あげるから」
「シーベットを子供扱いするとは……許すまじパルニャ」
安堵を口にするエイラリィと、冷静に分析するカナフ。
「それにしても、この場所が奪われてなかったのは嬉しい誤算でしたね」
「ツァリス島は単なる隠れ孤島だ。放置されていたとはいえエリギウス側がリスクを犯してまで占領下に置いたところで、あまりメリットはないだろうからな」
翅音は目の前の葉桜を眺めながらゆっくりと煙草を吹かした。
「ま、でもまあとりあえずはこの桜が枯れずに残っててくれててよかったぜ。ツァリス島のシンボルみたいなもんだからなこいつは」
するとソラは、桜の幹に手を置き、感慨深げに目を瞑り、言う。
「ただいま」
二年に渡り放置されていた本拠地、今本当の意味での帰還を果たしたのであった。
その時であった、パルナが付けている耳飾りの宝玉部分が輝き、パルナに音を届けていた。雷の聖霊石を加工して作られたそれは、耳飾り型の受信器である。
伝令員であるパルナが伝令室から離れる際、伝令室に何か通信等があった際に報せを入れる受信専用の装置。その音が示すものは――
「救援信号!」
パルナの言葉に全員の表情が強張る。大仕事を終えるや否や起きる一難に、団員達は疲労を振り払って聖堂へと走った。
そして伝令室に入り、救援信号の出所をまずは確かめるパルナ。
「これは!」
「どうしたパルナちゃん? 誰からの救援信号なんだ?」
ソラが尋ねると、すかさずパルナが答える。
「藐の空域、イルデベルク島――」
そこまで聞いて察するソラに、パルナは続けた。
「救援信号は……フロレント! 恐らくウィンさんからよ!」
※
場面は藐の空域、イルデベルク島の空。
そこには、右腕部と推進刃を一本失い、崩れた形状になった光の騎装衣で何とか浮遊を保つフロレントの姿と、その背後で羽ばたくある一頭の生物がいた。
鋭い牙、縦割れの瞳孔の瞳、全身には赤い鱗を持ち、背中に大きな二枚の翼を持つ雄々しく巨大な生物……それはこのオルスティアには存在する筈もない“竜”の姿であった。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ!」
半壊したフロレントの中で、肩で息をし、額から流れる血に片目を塞がれ、満身創痍の状態のウィンと、傷だらけの竜。
そして一騎と一人、一頭の前に立ち塞がっていたのは、レイピアという名の量産剣三十騎とそれを率いる一騎の白い宝剣から成るソードの部隊。
左胸には竜の巣を抽象的に描いた紋章が刻まれている……その部隊は醒玄竜教団専属騎士団〈玄孕の巣〉であった。
「やれやれ、今度は醒玄竜教団に追われることになるとは……」
ウィンは額に冷たい汗を滲ませながら、嘆息混じりにぼやいた。
「それにしても参りましたね、どうやら向こうの伝令室は不在のようです。さっきの救援要請が届いていることを願いますが」
突如として醒玄竜教団専属騎士団〈玄孕の巣〉の襲撃を受けたウィン。その戦力差はあまりにも大きく、さすがのウィンでも退けるのは困難であったため、すぐに〈寄集の隻翼〉の本拠地伝令室へと助けを求める為交信しようとしたのだが、伝令室にパルナが不在であったため救援信号だけを送り、交戦状態となった。そして今に至る。
すると部隊の隊長騎と思わしき、宝剣を操刃する騎士からウィンに伝声と伝映が行われた。
宝剣の名はフラガラッハ。光の聖霊石を核とするこの部隊の隊長専用騎である。
そして、フロレントの晶板に映し出された銀髪金眼の老齢の男性は、かつてエリギウス王国時代に北天騎士師団長を務め、エリギウスが帝国となってからは帝国直属ディオローン騎士養成所の所長を務めた。そう、その男はソラを騎士養成所から追放した張本人、ディラン=ラトクリフであったのだ。
『久しぶりだなウィン=クレイン。若造が騎士師団長を務めるなど荷が重いだろうと思っていたが、予想通り投げ出したな』
「そう言うディランさんこそ、醒玄竜教団に入団してるなんて意外ですね」
かつて王国の西天騎士師団長を務めたウィンにとって、ディランは知らない顔ではなかった。とはいえ事あるごとに突っかかって来くる鬱陶しい存在ではあったのだが、二十年ぶりの再会は予想外の形で果たされるのだった。
『ウィン=クレイン、さすがのお前でもこの戦力差はどうにもなるまい。それに、そこの竜は生け取りにしろと命令されている。そろそろ観念したらどうだ?』
「お断りします……」
『そうか……ならまずはお前から片付けさせてもらおうか!』
ディランの指示で、レイピアが一斉にウィンのフロレントに向かおうとした瞬間、フロレントの後方で羽ばたいていた一頭の竜が前に出ると、口を大きく開けた。
次の瞬間、竜の口に光が収束されていき、光の奔流となってディラン達の部隊に向かって放たれた。
『全騎、散開!』
しかし、ディランの指示で全騎が散り散りとなり、その一撃を咄嗟に回避した。
「駄目です! あなたは逃げなさい!」
すると、部隊と交戦しようとする竜へとウィンがそう叫ぶも、竜は決してその場から離脱しようとせず、ディラン達の部隊に立ちはだかり続けた。
『竜か……まさかこのオルスティアに、本当に存在するとは少々驚いたが――』
ディランは、目の前の竜に視線を向けて呟きながら、口の端を上げる。
『かつて竜は人類の最大の脅威であった、しかしソードとは駆動竜殲騎。竜を殲滅する為に製造された兵器だ。たかが竜一匹が今更歯向かってきたところで恐るるに足りん!』
次の瞬間、刃力剣を抜いたディランのフラガラッハが竜へと向かって行く。
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