269話 新生〈寄集の隻翼〉
この日、ツァリス島には活気が戻っていた。
陰雲という特殊な雲の中にあるツァリス島は、かつて独立傭兵騎士団〈寄集の隻翼〉の本拠地となっていた。
しかし、シェール=ガルティの策略によりその場所がエリギウス帝国側に知れ、その後〈煉空の粛清〉による大規模戦闘で甚大な被害を受けた〈寄集の隻翼〉は、活動の休止を余儀無くされた。
敵国側の空域近くに位置し、しかも活動を休止している騎士団が居続けるには危険すぎるとの判断から、ツァリス島は二年もの間放棄されていた。とは言え、エリギウス帝国側からすれば、位置的や資源的な観点からもこの小さな孤島を占拠するメリットは無い為、制圧される事も無く放置され続けていたのだった。
そして、〈寄集の隻翼〉がソラ=レイウィングを新たな団長として活動を再開した事により、再びツァリス島を本拠地とすべく騎士団員達の奮闘が始まる。
聖堂には団長であるソラと、他十名の、全団員が集結していた。
「新たに生まれ変わった〈寄集の隻翼〉にとっての、最初の任務を皆に言い渡す」
団員達の前で、ソラは神妙な面持ちで伝える。
「えーこれより、この本拠地の大掃除を開始しまーす」
神妙な雰囲気から、突如砕けた雰囲気で命令を下すソラに、団員達はそれぞれ掃除道具を胸の前に掲げ、剣礼のような姿勢を取るのだった。
二年以上放置されていたこの本拠地、島は雑草や竹が生い茂っており、建物も砂埃や汚れが酷く、このまま再び本拠地として活動を再開するには、あまりにも荒れてしまっていた。そこでまずは全員一致団結し、数日かけての大掃除することとなったのだ。
「それじゃあ分担を発表するけど――」
掃除箇所は、格納庫だけは自分で綺麗にしながら整理したいという翅音以外は、公平にくじで決められた。
そして、各団員の担当箇所はこうだ。フリューゲルとパルナが食堂を、プルームとエイラリィが伝令室を、シーベットとカナフが浴室等を、デゼルとアレッタが翼獣小屋を、ソラが翅音と共に格納庫を。聖堂と騎士宿舎全体は翌日に全員で、島全体も翌々日に全員で行うこととなった。
それから、初日の大掃除が開始されてから約一時間が経過する。
場面は食堂、フリューゲルとパルナの担当箇所。せっせと調理場の釜土を磨くフリューゲルに、パルナはふと声をかける。
「ねえフリューゲル」
「あ?」
「あんたさ、プルームとは最近どうなの?」
その質問に、思わずフリューゲルは手を止め、明らかに動揺した様子で返した。
「ど、なっ! どうって……どういうあれだよ?」
「だいぶ前の話になるけど、目が覚めてからのプルーム、ずっと思い詰めてた様子だったでしょ? でもある日を境に昔みたいに前向きになって、吹っ切れた様子で努力して、遂に騎士への復帰を果たしたじゃない」
パルナの語りを、フリューゲルは背を向けつつ、釜土を磨く手を再び動かしながら黙って聞いていた。
「あの時辺りから、あんたとプルームの距離が凄く縮んだように思えてね。多分だけどあんたが何か言ってあげたんでしょ?」
「……べ、別に大したことは言ってねえよ」
その返しを聞き、パルナは思ったとおりだといった様子で告げる。
「あー、やっぱりあんたがきっかけだったんだね。そんな謙遜しなくてもいいじゃない、好きな子を元気付けたいって思うのは人として当然のことなんだし」
突然のパルナの不意打ちに、フリューゲルは堪らずむせ込み、これまでで最大の狼狽えを見せた。
「ばっ、おまっ! ゲホッ! 突然な……なに言いだしやがる!」
「別にそんな慌てなくてもいいでしょ? あんたの態度見てたら馬鹿だって気付くっての」
すると、フリューゲルは観念したように口を噤んだ後、すぐに返した。
「ぐっ! お、お前こそ人のこと言えんのかよ?」
「はあ?」
「惚けてんじゃねえよ、お前明らかにソラのこと――」
「わあああああっ!」
フリューゲルの思わぬ反撃に、パルナは赤面しながら咄嗟にフリューゲルの口を両手で塞ぐ。
「べ、別にあたしは、本当にそんなんじゃないんだから! ……本当にそんなんじゃ!」
すると、パルナは俯きながら、次第にか細くなった声で呟きながら、フリューゲルの口を押えていた手をゆっくりと離した。
「あたしはあいつより三つも年上だし……頑張り屋さんの弟くらいにしか思ってないし……それに……」
パルナは少しだけ悲し気に微笑みながら続ける。
「あいつには最初から……心に決めた誰よりも大切な人がいるみたいだしね」
そんなパルナを見て、フリューゲルは茶化すこともせず、再び作業に戻りながら呟いた。
「素直じゃねえ奴だな」
「あんたにだけは言われたくない!」
一方、場面は伝令室、プルームとエイラリィの担当箇所。
「へっくち!」
伝令室に備えられた大型の晶板を拭きながら突然くしゃみをするプルームは、原因を推測する。
「むむっ、さては……誰かが私の噂話をしてるな」
真剣な表情のそれに対し、冷静な指摘をするエイラリィ。
「それはただの迷信よ姉さん」
「えっ、そ、そうだったの? へっくち!」
「姉さんもしかして風邪? ちゃんと布団掛けて寝てる?」
妹に、まるで子供を心配するかのような態度を取られ、プルームは不満げに頬を膨らませた。
「もう、エイラリィは! 私寝相悪いから、確かに昔はよくエイラリィに布団掛けてもらってたけど、今はもう大人なんだからね」
そんな抗議の声を意に介さず、エイラリィが続ける。
「あ、もしかして埃でも吸い込んだ? ほら、この布で口と鼻を覆ってあげるから」
そう言いながら、懐から大きめの布を取り出し、プルームの顔に巻こうするエイラリィ。
「そ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ、エイラリィは私に過保護だなあ」
それを聞くと、エイラリィは我に帰ったようにハッとした表情を浮かべ、気まずそうに返す。
「……ごめんなさい姉さん、私つい……良い気分しないよね」
普段はどこかふわふわとしていて世話の焼ける姉。妹という立場とはいえ、自分がしっかりとして支えてあげなくてはと、元々やや過保護気味なところがあったのだが、プルームが生死の境を彷徨ったあの日から、それがより一層加速したのをエイラリィは自覚していた。
するとプルームは優しい笑みを、エイラリィに向けた。
「全然そんなことないよ、優しくていい妹を持って、お姉ちゃん幸せだなあって」
プルームはしみじみとそう言うと、今度は少しだけ申し訳なさそうに視線を下げ、表情に影を落とした。
「それに……エイラリィにはたくさん心配かけちゃったしね」
「……姉さん」
しかしすぐに、真っ直ぐエイラリィの目を見ると、プルームは満面の笑みで力強く続けた。
「でも私はもう大丈夫、二度と負けない、誰にも……自分にも……そう思わせてくれた人がいるから」
「うん」
その力強い言葉と、淀みの無い瞳を見て、心から安堵しながらエイラリィは頷いた。
「だからエイラリィ、これからは泥船に乗ったつもりで、姉さんを信じて見守ってて」
「姉さん泥船は沈むんだけど……しかもこれ二度目よ」
エイラリィの冷静な指摘に、思わず赤面し、顔を両手で覆うプルーム。
「は、恥ずかしい」
一方エイラリィは、昔のような明るさと“らしさ”を取り戻したプルームに、どこか複雑な想いを抱いていた。
――私の〈癒掌〉では、誰かの心の傷を癒すことはできない。だからフリューゲルには感謝しなくちゃいけませんね。でも……今後姉さんを悲しませるようなことをした日には、その時は覚悟しておいてくださいね。
そう心で呟きながら静かな決意を胸にするエイラリィであった。
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