256話 〈亡国の咆哮〉
模擬戦闘の決着が付き、格納庫へ互いのソードを格納させた後、操刃室から降りる二人。するとソラは、何も言わずウルに背を向け歩を進める。
「くそっ!」
そして、己の無力さを恥じるように壁に拳を打ち付け、格納庫を後にした。
そんなソラの背中を見た後、アレッタがウルに静かな不満を伝える。
「大人げないですよウル団長。視界の悪い雲海の中、半分しか性能を引き出せない宝剣、ソード同士の属性相性、しかも模擬刃力剣を自分だけ二本使ったりして……こんなのウル団長が勝つに決まってるじゃないですか」
するとアレッタは言いながら気付く。ウルが額に冷汗を滲ませ、肩で静かに息をしながら明らかに疲弊しきっている事に。
「勝つに決まってる? バーカ、んな訳ねえだろ」
「え?」
きょとんとするアレッタに、ウルは苦笑しながら漏らす。
「あいつに竜域に入られたら、あたしの竜殲術でも思考が読めねえんだ、正々堂々戦う余裕はねえ。そしてこれだけお膳立てして、ようやく勝ちをもぎ取っただけ、多分次やったらもう勝てねえ」
「……ウル団長」
「相性最悪のソードで、本気のあたしにあそこまで食らい付いて来たんだぞ。愛刀である宝剣をぼろぼろにしながらも、この〈亡国の咆哮〉を勝利に導いて来たのも納得だ。もしあいつが自分の守護聖霊である光属性の宝剣を操刃していたら……末恐ろしい野郎だ」
額の汗を拭いながら呟くウルを見て、アレッタは少しだけ安堵したように微笑みを浮かべた。
その日の夜。
様々な雑念を振り払おうとするかのように、ソラは鍛錬場にて一人、一心不乱に剣を振り続けていた。
ウルに指摘された通り、圧倒的に不利だと分かっていながら挑発に乗り舞台に上がってしまった己の未熟さ。模擬戦とはいえ叢雲という翼羽の愛刀を操刃しながら敗北してしまった事への悔恨。そして明日の任務に対する嫌悪が己を支配していたからだ。
すると、鍛錬場の扉が開かれ入って来る人物、それはアレッタであった。
ソラは、アレッタが鍛錬場を訪れた事に気付いたが、それでも一人黙々と剣を振り続けていた。
アレッタはそんなソラに、ふと言葉をかける。
「……ソラさんが、今回の任務に難色を示すのは当然だと思います。でも、このままエリギウスとの決戦の日を迎えれば多分、二年前と同じ結果になるかもしれません」
「…………」
「だからこそ、今回の任務のようにエリギウスの予測や想定を越える何かが必須なんだって、ウル団長もたくさん苦悩して決断したんです」
アレッタの言葉に、ソラは剣を振りながら答えた。
「解ってるよ、俺だって心の奥底では……そうじゃなきゃ口約束なんてすぐに反故にしてる。でも、やるしかないんだって思うから俺はまだここに居るんだ」
するとアレッタは、ソラを見ながら少しだけ寂しそうな目で尋ねる。
「ソラさん……ソラさんはどうして、いつもそんなに辛そうに戦ってるんですか?」
「辛……そう? 俺が?」
ソラは振っていた剣を止め、不思議そうにアレッタを見つながら呟いた。そんなソラに続けるアレッタ。
「思えばソラさんとは二年間も一緒に戦って来たのに、私とウル団長はソラさんの事を何も知らないし、ソラさんもきっと私達の事を何も知らないんですよね?」
その言葉に、ソラは視線を落として口を噤んだ。
「覚えていますか? ソラさんがここに来た当初は〈亡国の咆哮〉はもっとたくさんの団員達がいました。でも戦いの度に一人、また一人って死んでいって……ソラさんはいつの間にか誰に対しても壁を造るようになって、誰の心にも近付かなくなった」
「俺は……」
ソラが言葉を詰まらせた直後、哀しい笑顔で続けるアレッタ。
「でも、もしかしたら今回の任務で私達が一緒に戦えるのは最後になるかもしれません……だとしても、いえだからこそ、私達の事を少しだけでも知っておいて欲しいんです」
直後、アレッタは壁を背に、ゆっくりと腰を下ろした。するとソラは剣を腰の鞘に納め、おもむろにアレッタの隣で壁を背にして立った。
アレッタは、自身の願いを受け入れてくれた様子のソラを見て、薄紅色の髪にそっと触れながらゆっくりと語り始める。
「私は見ての通り異形種です。混血種のソラさんなら知ってるかもしれませんが、異形種は混血種以上に忌み嫌われて来ました」
かつての五大王国と、二つの孤島国家。この世界には大まかに七種の特徴を持つ民がおり、この世界においては同種族間同士以外の婚姻は禁忌とされて来た。その為七つの種族の内二つの民の特徴を合わせ持つ者を混血種、そしていずれの人種にも属さない特徴を持つ者を異形種と区分し、長年の間忌諱され疎まれて来た歴史がある。
「同時に希少な存在でもある私達異形種は、エリギウス王国の一部の貴族達の間では好奇の対象でもあり、高値で取引されました。だから私は生まれてからすぐ、親にエリギウス大陸の奴隷商へと売り渡されて、そこで育ったんです」
初めて聞くアレッタ壮絶な生い立ちに、ソラはただ押し黙る。
運が悪かったのか良かったのか、アレッタは五歳になるまで買い手が付かず奴隷商の元で育った。酷い事もたくさん見て来たし、酷い事もたくさんされてきたと語るアレッタ。彼女にとっての世界とは薄暗い牢の中で、彼女にとっての空とは何も無い無機質な天井だった。
何の為に生まれて来たのか、何の為にこの世界に居るのか解らず……ただ息を吸って生きているだけ、虚ろで空っぽで何も持たない自分がそこに居たのだという。
すると、しばらく悲し気な表情で語っていたアレッタが、微笑みながら続けた。
そんなある日のこと、突然そんな世界は壊れた……壊したのはウルだった。〈亡国の咆哮〉を結成する前の野良の傭兵騎士だったウルは、当時のエリギウス王国を危険視していたイェスデラン王国のエギル王に雇われ、エリギウス王国に潜入し諜報活動を行っていた。そこで異形種に対する人身売買が行われている情報を得たウルは、独断でアレッタ達が幽閉されていたとある地下施設を襲撃し、異形種を解放した。
アレッタは天を仰ぎながら、その瞳に薄っすらと涙を浮かべた。
「恐る恐る地下の施設を出ると、そこには初めて見る青い空が広がっていました。涙が止まらなかった……世界がこんなに広くて美しいものだってこの時初めて知る事が出来たんです」
「……アレッタちゃん」
それからイェスディラン王国が統一戦役でエリギウス王国に敗れた事でウルは故郷を失い、エリギウスの民となる事を拒んだウルはエリギウス王国を離反し、解放した異形種達と、ウルと同じようにエリギウスを倒したいと願う者達で〈亡国の咆哮〉を結成した。
「普段はがさつで適当ですけど、ウル団長は誰よりも優しくて、誰よりも真っ直ぐで、誰よりもこの空の事を想ってる。エリギウスを倒してこの空を守りたいんだって気高い信念で戦っている。そして、そんなウル団長だから私達は光を見出せたんです。そんなウル団長の為だから私も死んだ皆も気高く戦って来れたんです」
ソラにとって〈亡国の咆哮〉は、自分の目的を果たす為の足掛かりでしかなかった。いや、そう思う事でいずれは壊滅する未来しか無かったであろう反乱軍に感情移入をしないようにしていた。
しかし、この日初めてアレッタの生い立ち、〈亡国の咆哮〉の起源、ウルの心意を聞き、ソラの心が大きく揺れ動いていた。
すると、そんなソラを見てアレッタが言う。
「今度はソラさんの話を聞かせてくれませんか?」
しかし、ソラは口を噤み、自身を語る事はしなかった。そんなソラを見たアレッタはゆっくりと立ち上がり、続けた。
「さっきの話は私が勝手に語り始めただけなんで、お返しにソラさんも話せ――なんて言いませんよ。でも、もし次の任務が無事終わったならその時はソラさんの事教えてくれませんか? 知りたいんです……だって私達は仲間なんですから」
そう言い残し、アレッタは鍛錬場を後にした。
そして、表情に影を落とし、ソラは暫くその場に佇み続けるのだった
※
その後、ソラは自室にてとあるものを手にしていた。
それは、二年前に翼羽から渡された羽刀である。しかしソラは、その羽刀を一度も帯びた事が無かった。
かつてソラがアレッタに言った言葉。『託されたものを無駄にするのが怖い』それは嘘偽りの無い真実だった。この羽刀はまだ自分には扱う資格が無い、自分には重すぎる、そんな想いがそうさせた。
だが、それでも叢雲は無駄にしたくないと操刃した。叢雲は託されたものではなく残されたものだから。
そして……失う事が怖くて壁を造った。誰の心にも近付かなくなった。それも全て逃げだったのだと気付いた。否、気付いていながらそれを自覚せずに居た。
己の心の中にある矛盾、感情の揺れ、目的と行動のちぐはぐさ、どこまでも臆病である自分がただ許せなかった。
それからもう一つ、翼羽から渡されたものをソラは懐から取り出して見つめた。それは桔梗と翼を模した髪飾りであった。
《その髪飾りは、君の一番大事な人に渡してほしい》
翼羽のその言葉を思い出し、何も成せず逃げている自分がただ情けなかった。しかし、それでも己と向き合い、答を出す事は結局叶わなかった。
何故なら、運命の刻限は既に目前に迫っていたからだ。
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