255話 歩むべき道
翌日。
エルがこの日も、いつも通り侍女としての仕事に勤しんでいると、背後から声をかけられた。
「フラム、ちょっとよろしいですか?」
そこに立っていたのは侍女頭のセリーヌであった。セリーヌの表情がどこかしかめっ面に見えたエルは、セリーヌの後を付いていきながら嫌な予感を募らせる。
――まさか昨日、ルージュ様の命令とはいえ、ルージュ様の召し物を着てしまった事がばれたのだろうか? それでセリーヌ様は怒っているのか?
そうエルが危惧していると、セリーヌは人気のない階段の脇で立ち止まった。
「あの、私何か阻喪を――」
するとセリーヌはエルの方を振り返り、お辞儀をしながら言った。
「ありがとう」
「え?」
突然のセリーヌの礼に、戸惑うように返すエル。すると、セリーヌが表情を変えずにエルへと伝える。
「あなたにはずっと言えてなかったから。三ヵ月前、上位魔獣の襲撃があった時、あなたが居なかったらルージュ様はどうなっていた事か」
それを聞き、エルは無意識の罪悪感からやや視線を落とし何も返せずにいた。そんなエルにセリーヌが続けた。
「あの日から、ルージュ様は騎士としてのあなたに全幅の信頼を寄せているのですよ」
「私に……ですか? ですがルージュ様は私を近衛騎士ではなく侍女として――」
「あなたを近衛騎士として雇うにはルキゥール陛下の承諾が必要となる、そうなればあなた程の力を持つ騎士は必ずこのレファノスの正騎士としてルキゥール陛下が登用する事になるでしょう」
「…………」
「しかし侍女の登用はルージュ様に一任されている。だからルージュ様はあなたをあえて侍女として雇ったのよ。あなたさえいてくれればこの王宮は安泰だからと……まあ他の理由もあったようですが」
セリーヌは、エルの顔と衣装に視線を向けながらそう言うと、更に続けた。
「それにあなたがこの王宮で働き始めてからルージュ様はとても明るくなられました」
「そ、そうなのですか?」
「王妃……つまりルージュ様の母君が、長く患っていた病で一年前にご逝去されてから、ルージュ様はずっと塞ぎ込んでおられました」
「……ルージュ様が?」
「それでもルージュ様は、普段は気丈に振る舞い、王女として立派に責務を果たしてこられました。ですが私はこの一年、あのお方の心からの笑顔を見た事が無かった。長年お伝えして来たのに私にはルージュ様を元気付ける術が無かった」
いつも無表情なセリーヌが、少しだけ俯き寂しげな表情を浮かべた。しかしすぐに顔を上げ、エルの目を見ながら微笑む。
「でも昨日、ルージュ様が楽しそうにあなたの事を話しておられました。強くて頼りになって、でも素直で生真面目でからかい甲斐があって、まるで本当の妹が出来たみたいで嬉しいと……心からの笑顔で」
そう伝えると、セリーヌは咳払いをし、いつもの無表情に戻すとエルに背を向けた。
「かく言う私も、あなたの事は信頼しております」
「……セリーヌ様」
「まあ騎士としてのあなたは知らないので、仕事に真摯に向き合う侍女としてのあなたに対してですが」
そしてそう言い終えると、セリーヌは背筋を伸ばし自分の仕事場へと戻って行くのだった。
エルは胸の奥に激しい痛みが走ったような錯覚に陥った。張り裂けそうな心が彷徨い揺れていた。押し寄せる罪悪感に己が押し潰されそうになった。
――私はこれから、私を信じている人達を裏切らなくてはならない。傷付けなくてはならない。……なのに何故誰かの心に居座るような真似をした? 何故無自覚に誰かの心に寄り添った?
叱責するかのような自分自身への問いに、静かに答を出すエル。
――暖かな心に酔いしれた、気付かない内に心地の良い温もりに身を委ねてしまった。
そして、そんな自分に言い聞かせるように、エルは誓う。
――迷うな、甘さを捨てろ、私にはやらなければならない事がある。これまでも竜祖の血晶をちらつかされ使命を果たしてきた。だが私にはもう時間が残されていない、恐らくこれがオルタナ=ティーバとしての最後の使命。
エルは、鋭い眼光で天を仰ぎ見る。
――この任務達成の暁に竜祖の血晶の譲渡が反故にされたなら、私は“彼女”と刺し違えてでもそれを手に入れて見せる。
静かで、それでいて激しく燃え盛るような決意と共に、エルは自分の歩むべき道を見据えるのだった。
※
終焉は突如としてやって来る。
そして、この任務が〈亡国の咆哮〉としての最後の任務となる事を、ソラはまだ知る由も無かった。
ウルは、ソラとアレッタに今回行おうとしている任務についての詳細を伝え終えた。
「――今伝えたのが、今回あたし達が行う任務だ。明日、日の出と共に決行する」
すると、それを聞いたソラが唖然とした様子で問う。
「あんた本気で言ってるのか?」
「ああ、理由はさっき説明した通りだ。あたし達にはもう時間が残されてねえ、やるなら今しかねえんだ」
ウルの強い提言に対し、ソラは俯き難色を示す。
「俺には……出来ない、そんな事をすれば例え目的を果たしたとしても互いに禍根を残すだけだ」
「逃げんのか?」
その問いに、ソラはウルを睨み付けながら返した。
「……逃げる?」
「これはお前の言う“お前の師が守ろうとしたものを守る”為の戦いだ。それでもお前は業を背負うのが嫌で、咎を受けるのが怖くて、逃げ出そうとしている。結局お前の覚悟なんてその程度のものだってこった」
「…………」
「別にお前が降りたとしても、あたしとアレッタとオズ、例えあたし達だけでもこの任務は遂行する。それが嫌なら今この場で、力づくであたしを止めてみるんだな」
挑発じみたウルの提案に応戦するかのように、左腰に帯びた剣の鞘の鯉口を切るソラ。
「射術騎士のあんたが、剣で俺に勝てると思ってるのか?」
「図に乗んなよクソガキ、なら賭けだ……一本勝負でお前が勝ったら今回の任務は中止してやる。だが、あたしが勝ったら団長命令に従いお前も任務に参加しろ」
「……分かった、約束してもらう」
そう言いながら、剣を抜き放ち、ソラは構えた。
「おいおい、誰が生身でやり合うなんて言った?」
しかしウルは、軽く嘆息しながら更に提案する。
「ソードでの模擬戦だ」
「…………」
「う、ウル団長、それはいくらなんでも」
二人のやり取りに、思わず割って入るアレッタ。しかしウルは、更にソラを挑発するかのように問う。
「あのポンコツに乗れよ。それとも意地張って使い続けてるあの宝剣はただのガラクタなのか? あ?」
対し、翼羽の愛刀を侮辱され、ソラは拳を強く握り締め歯を軋ませた。
「わかった……やるよ」
そしてソードを使用しての模擬戦を承諾するのだった。
数十分後。
ソラとウルはそれぞれ愛刀へと搭乗し、島の端で相対していた。そして互いに模擬刃力剣を構えた。
雲海の中の島であるが故、視界は非常に悪く、周囲は白い靄のようなものに包まれている。その点においても非覚醒騎士であるソラには不利な状況であった。
しかしソラは決して退こうとせず、戦闘開始の合図を待つ。
すると、叢雲を操刃するソラに、ウルフバートを操刃するウルから伝声が入る。
『んじゃあ、おっぱじめるか。ルールは単純、模擬刃力剣のみを使用した一本勝負、飛び道具は無しだ。ジャッジはアレッタに任せる、依存は無いな?』
「ああ」
直後、アレッタが本拠地から伝声で試合開始の合図をする。
『一本勝負、始めてください!』
次の瞬間、ソラは即座に竜域に入ると、叢雲を全開で突撃させ、ウルフバートとの間合いを一息に潰した。そして擦れ違いざまに模擬刃力剣を振るいウルフバートの胴を狙う。
「ちっ」
しかし、その一撃はウルに読まれており、ウルフバートの模擬刃力剣で防がれていた。
『今ので決まるとでも思ったのか? あたしも随分と嘗められたもんだ』
ウルはそう言うと、ウルフバートを飛翔させ雲海の中に潜む。
――初手で決められなかったか、厄介だな。
雲海はただでさえ探知器を狂わせる上に、〈亡国の咆哮〉のソードは抗探知結界を装備している。探知器を使えない以上、非覚醒騎士のソラは肉眼でウルフバート捉えるしかない為、ソラは何処から攻撃が来るか五感を研ぎ澄ませ、警戒を最大限に敷いた。
――真上!。
直後、ウルフバートが叢雲の真上から降下と共に斬撃を放つも、反応し防御に成功するソラ。ウルフバートと叢雲の模擬刃力が交叉し、鍔迫り合いを行う両者。
「くっ!」
しかし、属性相性的にも劣位であり尚且つ性能を発揮出来ていない叢雲では、押し合いでは圧倒的に不利である。
交わせた刃が一瞬で押し切られ、自身の模擬刃力剣の刀身が頸部へと迫る。
するとソラは込めていた力を咄嗟に解き、相手の力を受け流すと、騎体を回転させて背後へと回った。
『ベルフェイユ流剣術か、小賢しいんだよ!』
対し、ウルのウルフバートは即座に振り返りながら、背後に居る叢雲へと振り向きざまの横薙ぎを繰り出した。その斬撃を受け止めるも、威力を相殺し切れず弾き飛ばされる叢雲。
次の瞬間、再び雲海へと身を潜めようと飛翔するウルのウルフバート。
――見失えば不利になる……でも今度は逃がさない。
ソラは叢雲を全速で飛翔させ、叢雲から距離を取ろうとするウルフバートを追う。
性能を半分しか引き出せないとはいえ飛翔力の最も高い雲の宝剣である叢雲、飛翔力が最も低い土の宝剣であるウルフバート。飛翔力だけ見れば両騎体は互角。
ソラの叢雲はウルフバートに引き離される事なく食らい付いていく。刹那、ウルフバートは突然向きを切り返し、左手に逆手で持ち替えた模擬刃力剣でソラの叢雲の頸部へと斬り掛かった。
突然の奇襲に、反応が遅れるも咄嗟に盾でその一撃を防ぐソラ。しかし、盾を装備した左手が大きく弾かれ態勢を崩された。
直後、ウルフバートは左前腕に装備された盾の内側からとあるものを抜く。
それは模擬刃力剣の柄であり、ウルがその柄を左腰の鞘に納めた後、鞘内部で刀身が形成された二本目の模擬刃力剣を手にする。そして二刀流となったウルのウルフバートと対峙するソラの叢雲。
「……二刀流」
『イェスディランの一部となったタリエラのスプレッツァトゥーラ流は、イェスディランの民なら修得している者は少なくねえ。ついでに言っとくがな、アレッタとオズにスプレッツァトゥーラ流を教えたのはあたしだ!』
ウルフバートが一気に叢雲の間合いに入り、双剣からの連撃を叩き込んだ。その精度と速さは凄まじく、防戦一方に陥るソラ。
一本の模擬刃力剣で何とか凌ぐも、性能を引き出せない叢雲にとって、その一撃一撃はあまりにも重く強力で、その衝撃に次第に叢雲の防御が追い付かなくなっていく。
「ぐうっ!」
しかしそれでも、ソラはラムイステラーハ流剣術の嵐のような手数で何とか対抗してみせる。
激しく交わる剣戟と剣戟、雲海の中に瞬く閃光。ソラが押されているのは事実とはいえ、それでも戦局は拮抗している――かに思えた。
すると突如ウルは、ウルフバートの左前腕の盾を叢雲の顔面の前で解除させ、視界を一瞬削ぐと、右手の模擬刃力剣を再び逆手持ちにし、空中で獣のように低い体勢となり叢雲の脇を斬り抜けた。
「な……に!」
そしてその一撃は、叢雲の胴へと直撃していた。
あらゆる手段を用い、相手の虚を突く変則的な剣技こそ、イェスディランの民に伝わるアイノアカーリオ流の真骨頂であった。
『一本、それまでです』
決着を告げるアレッタの伝声が双方の操刃室に響いた。
敗北の現実を叩きつけられ、竜域を解除したソラが叢雲の操刃室の中で呆然としていると、ウルからの伝声が入る。
『まだまだ青いな。安い挑発に乗り、自分が不利な戦いの場にのこのこと上がっちまった時点でお前の敗けだ』
勝者であるウルの厳しい指摘に、ソラは何も言い返す事が出来ず、ただ悔しさを滲ませるように拳を握り締め歯を軋ませた。
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