254話 エルの奮闘
翌日。
エルはいつも通り仕事に勤しんでいた。それは周りからの信頼を得る為か、はたまた元来の真面目さ故か。
せっせと箒で床を掃き、窓を拭き、誰よりも真剣に掃除をしていると、一人の侍女がエルに勢いよく駆け寄って来た。
「ふえーん、助けてよフラム」
「どうしたんだアン?」
両目に涙を浮かべ、けたたましくエルに泣き付いてきたのは、二つ結びをした一見子供のような容姿の小柄な少女で、名をアンと言った。
「蜘蛛が……あそこにすんごく大きい蜘蛛が!」
アンが、自身が先程まで掃除をしていた窓を指差すと、そこにはアンが言う通り大きな蜘蛛の姿があった。
「何だ、ただの蜘蛛じゃないか」
「『何だ』って、私あんな大きい蜘蛛初めて見たよっ!」
「少し待っていろ」
狼狽えるアンに、エルは冷静にそう言うと、箒を持って蜘蛛の居る窓の元へ歩いていく。そしてそっと差し出した箒に蜘蛛を上手く乗せ、手早く窓を開けて外に投げ捨てた。
「ほら、もう大丈夫だ」
エルがアンに優しく微笑みかけながら伝えると、蜘蛛がいなくなった事に安堵したアンが、思わずエルに抱き着いた。
「本当にありがとフラム、私虫が大の苦手で!」
「このくらい何て事無い、困った事があったら何でも言ったらいい」
エルの優しい笑顔と、心強い言葉に、アンは顔を真っ赤にさせながら言う。
「……フラムは凄いなあ」
「え?」
「綺麗で可愛くて、仕事も出来て、いつも一生懸命で……この王宮の侍女として働き始めてたった三ヵ月しか経ってないのに皆からの信頼も厚くて、私なんか先輩なのに立場が無いよお」
「か、かか、可愛い? 私が? し、しかも色々と買い被り過ぎだ」
アンの不意打ちに、頬を赤くしながら狼狽えるエル。するとアンが返した。
「そんな事無いよ、フラムにはいつも助けられてるし、私はフラムがここに来てくれて本当に良かったって思ってるんだよ」
「……アン」
アンの心からの言葉に、エルもまた返す。
「私こそアンには感謝しているんだ」
「ほえ?」
「今まで剣の事ばかりやって来て右も左も分からない私に、侍女としての仕事や振る舞いを優しく教えてくれた。君の優しさや笑顔に何度救われたか分からない。私もアンに会えて良かったと思っている」
言いながらエルはハッとする、何故そのような言葉をアンにかけてしまったのだろうと自分の感情が不思議だったからだ。
次の瞬間、エルの言葉にアンは両目を潤ませ、再びエルに抱き着いた。
「ふえーん、ありがとうフラム!」
「ちょっ! ……皆に何事かと思われるだろ」
――どうして私はあんな事……誰かの心に残るような事をしては駄目だ。私はいずれここに居る人達を裏切らなくてはならないのだから。
エルは自分に言い聞かせるかのように、自分の中に生じている感情との矛盾を必死で消そうとした。
それから、再びエルが自分の仕事に戻り掃除をしていると一人の壮年の女性が二階からエルに声をかけた。
「フラム、ちょっといいですか」
その女性は眼鏡をかけており、髪を後ろに一つでまとめ、常に姿勢良く厳粛な雰囲気を漂わせている。名をセリーヌといい、この王宮の侍女たちをまとめ上げる侍女頭であった。
「はい、何でしょうかセリーヌ様?」
礼儀や作法に厳しく、侍女達が恐れる存在であるセリーヌ。それはエルもまた例外では無く……そしてそんな彼女に呼ばれ、エルが少しだけ緊張しながら絢爛な赤い階段を上がると、セリーヌがエルに要件を手短に伝える。
「ルージュ様があなたをお呼びです、すぐにお部屋に行ってください」
「わ、私ですか?」
王女直々の呼び出し、余程の大事か、何か素性のバレるようなミスでも犯したのかと少し戸惑いながらも、エルはルージュの部屋の扉をノックした。
「入りなさい」
入室の許可が下り、エルは恐る恐る扉を開ける。そこにはレファノス王国第一王女、ルージュ=ルノス=レファノスが何かを真剣に見つめていた。
「殿下、私に何か御用でしょうか?」
扉を開け、エルが片膝を着きながら尋ねると、ルージュはすぐに振り返り、それを見て吹き出しながら返した。
「ぷっ、あっはははは」
「……殿下?」
「相変わらず堅っ苦しい子ね、まるで一昔前の騎士じゃない」
「そ、それは、私は今も心は騎士ですので!」
騎士である事に誇りを持つかのようなエルの態度を見て、ルージュは柔らかな笑顔を浮かべながら申し訳なさそうに続けた。
「冗談よ冗談、あなたを近衛騎士じゃなくて侍女として雇ってしまったのは悪かったって思ってるわよ。だってその恰好の方が似合うかなって思って……でも何かあったらきっと守ってくれるんでしょ?」
「勿論です殿下」
「あととりあえずその殿下っていうのは止めてくれる? 何かこうむず痒くて」
「し、失礼致しました。それではルージュ様、改めて私に何か御用でしょうか?」
再度エルが尋ねると、ルージュはしかめっ面を浮かべ、目の前に並んでいるとあるものに再度視線を送った。そこにあったのは二つのドレス。一つは華やかな印象持つ真紅のドレス、一つは胸元にレースをあしらった妖艶さを演出する黒いドレスであった。
「今度の舞踏会、どちらのドレスを着て行こうか悩んでいてね、あなたの意見を聞きたくて」
「わ、私の意見ですか? め、滅相もございません、私など口を挟めるような立場ではございません」
ルージュの提案をエルが渋ると、ルージュは肩を竦めて返す。
「そう言うと思ったわ、ならもう自分で決めるからいいわ。とりあえずまずはそっちの赤いドレスから着てちょうだい」
「はい?」
ルージュの突拍子も無い提案に、素っ頓狂な声を出すエル。
「自分で着て鏡で見るより、誰かが着てるのを見る方がしっくりくるのよ私は」
「だ、だからと言って、私が殿下……ルージュ様のお召し物を着るなど許される筈がありません! セリーヌ様にばれたらどれ程叱られるか」
「私とセリーヌ、どっちが偉いと思ってるの?」
「そ、それは勿論ルージュ様ですが……」
「宜しい、ではこれは王女としての命令よ」
「い、いや、しかし」
「ほらほらすぐ終わるから、私がちゃんと着るの手伝ってあげるし」
そしてルージュに半ば強引に着替えさせられ、メイド服を脱いで赤いドレスを着させられるエル。
罪悪感と、恥じらいで顔を赤くしながら佇むエルを見て、ルージュは思わずエルを抱き寄せた。
「ああもう! 何て可愛いのかしら」
「ちょっ!」
突然のルージュの奇行にエルはたじろぐ。
「ああ、ごめんごめん、でも凄く似合ってるわよフラム」
「も、もも勿体無いお言葉です」
「はい、じゃあ次はこっちを着てみて」
ルージュに再度促され、今度は黒い方のドレスを着るエル。更には髪型も勝手にポニーテールに変えられていた。
「ああ、そっちも素敵よ、凄く似合ってるわ!」
エルの黒いドレス姿に、ルージュはまた目を輝かせていた。
「あの、それでどちらのドレスにするか決められましたか?」
「ちょっと待って!」
「え?」
すると、ルージュは奥のクローゼットから様々な種類のドレスや服をいくつも手に取り持ってくる。
「こっちも、こっちもきっと似合う筈だから、ねっ!」
鼻息荒く興奮気味に着せ替えを要求してくるルージュを見て、エルは呆れ気味に呟いた。
「……る、ルージュ様、趣旨が変わってると思うのですが」
※
その後、数えきれない程の着せ替えをさせられ、ひとしきり満足し終えたルージュから解放されたエルは、おぼつかない足取りで自室に辿り着くと、一気にベッドに倒れ込む。
「つ、疲れた」
――だ、だがこれも、いずれはデュランダルを奪取する為……周囲の信頼を得ておく為だ。
そして自分にそう言い聞かせながら、エルは眠りにつくのだった。
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