238話 フテラとアーウィル
翌日。
剣闘祭まで残すところ丁度一ヵ月となった。その日の昼、養成所の食堂にはイーシャに絡まれるフテラの姿が在った。
「聞いたよフテラ、あんた一ヵ月後の剣闘祭に出るんだって?」
「それが何?」
すると、イーシャは口の端を上げ、食堂に居る候補生達に向かって大きな声で叫ぶ。
「ねえ聞いてよ皆、フテラが一ヵ月後の剣闘祭に出るんだってさ、応援してあげなきゃね」
「イーシャ、あなた!」
次の瞬間、食堂中がどよめいた。そしてその場に居合わせたウォーレンとエリオットも笑いを零す。
「フテラが剣闘祭って。ははは、マジかよ」
「やっぱり恥を知るべきは彼女の方だったみたいだね」
「ねえフテラ、解ってる? 剣闘祭はアークトゥルス陛下が観覧に来る御前試合で、候補生の中でも成績上位の選りすぐりの者達が競い合う場なんだよ?」
「だから……何?」
「確かに一度主席を取った経験のある候補生は無条件で参加出来る決まりだけど、あんたみたいな弱っちい奴が参加したら恥をかくのはオルム教官なんだよ」
イーシャの尤もな指摘にフテラが何も返せずに口を噤んでいると、騒ぎを聞きつけたオルムが食堂へとやって来た。
「皆、何を騒いでいるんだい?」
オルムの姿を見た候補生達は騒ぐのを止め、何事も無かったかのようにテーブルに座り食事を始める。
すると、そこにはイーシャとフテラだけが向かい合って立っており、それを見たオルムが察したようにそこへと歩み寄る。
「フテラ君」
「オルム教官……何でもありませんから」
次の瞬間、フテラはオルムに背を向け、その場から足早に立ち去った。そんなフテラの姿を、オルムと……そしてアーウィルが見つめていた。
その日の深夜。
屋外の鍛錬場で黙々と剣を振るうフテラの姿が在った。薄く降り続ける粉雪を払うようにして、フテラは鬼気迫る様子で剣を振り続ける。
しかしその胸中は、不安や迷い、憤りや焦燥、様々な雑念で溢れていた。
――私はエリギウスの正騎士にならないといけない……その為には一ヵ月後の剣闘祭で優勝しなくちゃならない……ならないのに!
すると、突然フテラは振るっていた剣を止め、おもむろに俯く。
「ごめんね……父さん。私、父さんみたいにはなれないよ」
そして、悲壮に満ちたように一人呟いた。
「あの、フテラちゃん」
直後、背後から自分の名を呼ぶ声に驚き、フテラは咄嗟に振り向いた。
「あ、アーウィル?」
そこに立っていたのはアーウィルであり、突然振り返ったフテラにアーウィルもまた驚いた表情を浮かべていた。
「あ、いや、何か取り込み中だったみたいでごめん」
「何? 私に何か用?」
その問いに、アーウィルは少しだけ口ごもりながら伝える。
「昨日のお礼を……ずっと言いたくて」
「え?」
「昨日、ウォーレンとエリオットに絡まれてる時、フテラちゃんが助けてくれただろ? ちゃんとお礼言ってなかったから」
アーウィルの謝意に、少しだけ照れ臭そうに返すフテラ。
「別に、昨日も言ったでしょ。あいつらが許せなかっただけだって」
「それでも、嬉しかったんだ。前の騎士養成所でも、ここでも、俺みたいな奴なんて誰も相手にしてくれなかったから。だからありがとう」
「……アーウィル」
アーウィルの素直な言葉に、フテラは少しだけ優しく微笑んで返した。
その後、感謝の気持ちを伝えたアーウィルは寮へと戻ろうと歩を進めようとするが、ふと立ち止まり振り返った。
「あのさ」
「ん?」
「養成所での訓練が終わった後も、フテラちゃんはいつもこうして毎日剣を振っているよね?」
「…………」
「フテラちゃんも俺と同じで永久に蒼衣騎士なのに、何で騎士の道を諦めないで、こんなに必死になって頑張ってるの?」
「何であなたなんかにそんな事答えないと――」
アーウィルのその問いに、フテラはそう言いかけながら口を噤み、静かに俯いた。
諦めない、必死になって頑張っている。その言葉に、ついさっきまで心が折れかけていた自分が途端に恥ずかしくなり、たまらず強く当たりかけた。しかし同時に、誰かに聞いてほしかった。軽くなりたくなってしまった。それに気付きながらも、フテラはゆっくりと想いを吐露する。
「……私にはたった一人の家族が居た。オニキス=アルキュオネって言ってね、〈風導の鬣〉に所属していたしがない騎士だった。私が幼い頃に母さんが病気で死んで、それからずっと父さんは騎士として命懸けで戦いながら私を一人で育ててくれたんだ」
アーウィルは、どこか哀しい眼差しになり、フテラの語りに耳を傾けていた。
「真面目で堅物でね、融通も利かないし厳しい人だった」
そしてフテラは、とある小さな孤島にて、父に連れられ日の出を見に行った日の事を想い浮かべた。同時に脳裏に過る、幼い自分を肩に乗せる父の姿が……在りし日の父の声と笑顔が。
《この景色を一度でいいからお前に見せてやりたかったんだ、綺麗だろフテラ》
「でも……それ以上に、優しい人だった」
「…………」
「父さんはね、騎士師団長になるのが夢だったの。自分一人の力じゃこの国の惨状を変える事は出来なくても、騎士師団長になって、自分が空域を統治する事が出来れば、少なくともその空域に生きる人達を救う事が出来るんだって。そうやって馬鹿みたいに真っ直ぐにエリギウスの騎士として戦い抜いてきた」
フテラは少しだけ誇らしげに、笑みを浮かべて続けた。
「そんな父さんの背中を見て来たから、私もいつか父さんみたいな騎士になりたいって、父さんの反対を押し切って五年前にアラネスク騎士養成所の門を叩いた」
「そうだんったんだ」
そしてそれから月日が経ち、フテラは騎士養成所で、父であるオニキスは〈風導の鬣〉の騎士として、お互いに切磋琢磨歩みを進めて来た。
そんなある日、オニキスはとある任務での戦いの中で聖衣騎士に覚醒する事が出来た。そしてこれまでの功績も認められ、帝国が騎士師団再構築に力を注いでいるという背景も幸いし、新たに騎士師団長として任命される事になったのだった。
するとフテラは突然俯き、途端にその瞳が悲壮に満ちる。
「父さんが頑張って来た事が、父さんの想いが報われる時が来たんだって、嬉しかった、誇らしかった。そして私も今まで以上に努力して、いつか絶対父さんみたいに騎士師団長になるんだって、そう自分に誓った」
そして握り締めた拳を震わせ、言葉を続けるフテラ。
「でもね、父さんが新たな騎士師団長として任命されたその翌日、父さんは何者かに殺されたの」
「……え?」
フテラの口から告げられる過去に、アーウィルの表情が凍り付いた。直後、フテラは氷のように凍てついた瞳と、降りしきる雪のように冷たい声で言った。
「父さんを殺したのは“竜の瞳の騎士”」
「……竜の瞳の騎士?」
「解ってるのはそれだけ……でもそいつは必ず〈因果の鮮血〉か〈亡国の咆哮〉のどちらかにいる。だから私は必ず帝国直属の正騎士になってそいつを見つけ出し、必ず討つんだ」
「……フテラちゃん」
フテラの背負う物、そしてその覚悟が想像以上であったのか、アーウィルは言葉を詰まらせる。すると、フテラは語った後、何かに気付かされたようにハッとした。
――そうだ、私は竜の瞳の騎士を討たなきゃいけないんだ。
そして自覚した。折れている場合ではない。例え、何に代えてもエリギウス帝国の正騎士にならなくてはならない。その為にはどんな手を使ってでも強くなり、一ヶ月後の剣闘祭で優勝するしかないのだと。
するとフテラは顔を上げ、不意にアーウィルへと言う。
「あなた、私の修業に付き合いなさい」
「修行? えっ、な、何で俺が?」
突然の提案に、動揺しながら返すアーウィルへフテラが続ける。
オルムは多忙で剣闘祭まで手が空いていない。だが一人よりも誰かと訓練した方が効率的であるし、何よりアーウィルはいつも訓練で手を抜いてさぼっているのだから体力が有り余っていてちょうどいいと。
「それは……その」
「それにあなた私に感謝してるんでしょ? なら少しくらい協力してくれてもいいんじゃない?」
そんな追い打ちを食らい、アーウィルは観念したと言わんばかりに大きく嘆息した。
「わ、わかったよ、でも俺じゃ大して役に立てないと思うんだけど」
「それは知ってる、まあいないよりはいる方がましって事で」
「……酷い言い草だね」
こうしてフテラの提案を渋々受け入れたアーウィルは、翌日から、一ヵ月後の剣闘祭に向けたフテラの修業に付き合う事となるのだった。
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