237話 フテラ=アルキュオネ
五年前、十一の歳に第五十三期騎士候補生としてこのアラネスク騎士養成所に入ったフテラは、類まれぬ剣の才を持ち、瞬く間に主席となり、誰もが将来を期待していた。
しかし、一年半前のとある出来事を境に、ひたすらに強さを追い求めるようになり、毎日のようにオルムからの個別訓練を受けるようになった。だが運命の悪戯か、誰よりも剣の才覚に溢れ、誰よりも強さを必要としていた筈のフテラは、銀衣騎士に覚醒する事の無いまま十五の誕生日を迎えてしまう。
通常なら覚醒騎士になれないまま十五の誕生日を迎えてしまった騎士候補生は、その時点で騎士の道は諦め、伝令員や鍛治、或いは全く別の道を選ぶ。だがフテラには騎士の道を諦める事が出来ない……いや諦める訳にはいかない理由があった。
「フテラ君……本当に、一ヶ月後の剣闘祭に参加するのかい?」
「はい、剣闘祭で優勝する事が出来ればすぐにでも騎士師団への入団が認められます。私は必ず剣闘祭で優勝し、帝国直属の正騎士になってみせます……いえ、ならなくてはならないんです」
三つの内いずれかの騎士養成所にて毎年行われる剣闘祭、それはエリギウス帝国皇帝アークトゥルス=ギオ=オルスティアが観覧に訪れる、ソード同士による御前試合でもある。
また、その試合の優勝者はすぐに帝国直属騎士師団に登用される事が約束されている。その為、正騎士を目指す騎士候補生達の中でも選りすぐりの実力者が参加する。
そして、今年はこのアラネスク騎士養成所で開催される剣闘祭に向け、並々ならぬ決意を示すフテラを見て、オルムは何処か不安げな目をしながら小さく溜め息を吐いた。
「でもフテラ君、残念だけど僕は明日からこの養成所の“行方不明事件”の調査を行うように上から指示されていて、暫くは君の訓練に付き合ってあげる事が出来ないんだ」
「ここで二年前から噂されていた行方不明事件……やっぱり単なる噂じゃなかったって事なんですね?」
「ああ、でもこれはまだ機密事項で混乱を避ける為に公表されていない。下手に他言しないよう宜しく頼むよ」
「そうですか、分かりました。でもあまり無理しないでくださいね」
「ありがとうフテラ君、それじゃあまた明日」
「はい、おやすみなさいオルム教官」
そしてフテラはオルムと別れ、養成所の宿舎へと向かうのだった。
翌日の午前中。
養成所の講義場にて、フテラ達の期生約五十名程の騎士候補生が聖霊学の講義を受けていた。そしてフテラにとって、この日も苛立ちの種はアーウィルにあった。
隣の席に座るアーウィルが明らかに睡魔に負け、机に突っ伏して寝ていたからだ。
三カ月前、アーウィルがエリギウス大陸にあるディオローン騎士養成所から編入して来てからいつもそうだった。
当初から、模擬戦闘で相手の同情を買う為か体の至る所に包帯を巻き、怪我人を装い続けている。更には模擬戦闘では開始早々に負けを認め、鍛錬ではすぐに音を上げる。座学に至っては起きている所を見た事が無い。
必ず騎士になるという信念を持って研鑽を続けるフテラにとって、ただ親の顔色を伺う為だけにこの騎士養成所に居続けるアーウィルが理解し難く、何よりも許せなかった。
フテラはそんな自分の中の怒りと共に、おもむろにアーウィルの二の腕をつねりあげた。
「ひぎぃっ!」
瞬間、アーウィルは寄声と共に勢い良くその場に立ち上がり、講義場中の注目を浴びてしまった。
するとアーウィルは気恥ずかしそうに顔を真っ赤にし、咳払いをしてからゆっくりと席に座るのだった。
「き、急に酷いじゃないかフテラちゃん」
「あなたが真面目に講義を聞かないからでしょ」
「い、いやあ……実は昨日遅くまで剣を振ってたもんだから」
そんなあからさまな嘘に、フテラは取り合わず、呆れたように肩を竦めてみせた。
数日後。
屋外のソード用訓練場にて、ソード操刃に関する訓練が行われていた。
そこにはエリギウス大陸産の主力量産剣グラディウスが一振り、イェスディラン群島産の主力量産剣スクラマサクスが一振り、ディナイン群島産の主力量産剣タルワールが一振り、計三振りが立ち並んでいた。
三振りはいずれも演習騎であり、刃力剣が一本と、出力が極限まで抑えられた刃力弓が一丁しか備えられていない。
そしてそんなソードを見上げ、ソードの操刃訓練を前にしてフテラは気が重そうに溜め息を吐いた。
フテラにとって、ソード操刃の訓練を行う時が一番憂鬱であったのだ。何故なら、蒼衣騎士と銀衣騎士は生身であれば見た目では見分けが付かないが、ソードに搭乗し動力を起動させれば騎装衣の色でそれが一目瞭然となる。それはフテラにとって劣等感を目に見える形で突き付けられる場となってしまうからだ。
「さあ次はフテラ君、グラディウスに搭乗するんだ」
「……はい」
オルムに促され、フテラはグラディウスの操刃室に入り、操刃柄を握り締めて刃力を注入した。動力が起動し、グラディウスの推進刃から放出される刃力により蒼い騎装衣が形成される。
瞬間、周囲の騎士候補生達から哀れみと蔑みに満ちた眼差しが向けられ、それを払拭するようにフテラはグラディウスを操る。すると、それらはすぐに驚嘆のものへと変貌を遂げた。
フテラが足元の操刃鍔を最大に踏み込むと、グラディウスが最大速力を発揮し、更には広大なソード用訓練場に設置された柱状の障害物を、巧みな操刃技能で次々と躱しながら潜り抜けていく。
そして空中へと舞い上がると、雲の聖霊石が取り付けられ宙に浮遊する突起の付いた球体を、騎体を廻旋させながら高速で推進させて躱していった。
その天才的な操刃技能は、養成所の中でも頭一つ抜けており、フテラがかつて主席としての地位を確立させていた要員の一つでもあった。
また、イーシャはフテラの見せるソードの操刃技能を眺めながら、悔しそうに歯を軋ませる。
ここまではソード操刃訓練でのいつもの光景である。そしてこの次に起きる事もまた……である。
基本の操刃訓練が終了し、ソードを操刃した状態での模擬戦闘訓練が開始され、フテラの操刃するグラディウスとイーシャの操刃するタルワールが刃を交えてから僅か一分後。
「きゃあああっ!」
フテラの操刃するグラディウスが、衝撃音と共に尻餅を着かせた。そして目の前にはイーシャが操刃するタルワールが刃力剣を振り切った状態で悠然と立っている。
『いくら操刃技能が優れてても、それを戦闘で活かせないんじゃ意味無いよねえ』
「くっ!」
イーシャの嘲笑に、模擬戦で手も足も出なかったフテラは何も言い返せず、ただ悔しさを惑わすように操刃柄を強く握り締めるしか出来なかった。
※
「……はあ」
訓練が終了しフテラはこの日も、突き付けられる現実に、そして自分の限界に、苛まれていた。
口ではどんなに強がってみせても、心の奥底では気付いてしまっている。蒼衣騎士の自分が正騎士になる事など無理なのではないかと。しかしそれでも、フテラは自分の道を諦める訳にはいかなかった。投げ出す訳にはいかなかった。
そんな苦悩を抱きながら、養成所から寮までの薄暗い道のりを歩いている時だった。
――あれは……
「アーウィル?」
針葉樹の大木の脇で、誰かと話している様子のアーウィルの姿があり、フテラは咄嗟に別の針葉樹の影に隠れた。
「なあアーウィル、何で俺達の事避けるんだ?」
「え、いやあそれは誤解というか考えすぎっていうか」
「アーウィル君、この養成所に編入してきてからどのくらい経ったっけ?」
アーウィルと話していたのは同じ期生の二人。赤い坊主髪と金色の瞳の大柄な少年はウォーレン、癖毛の銀髪と先端の尖った耳を持つやや垂れ目の小柄な少年はエリオットという名である。
「えっと、ちょうど三ヵ月だと思うけど」
おどおどとしながらアーウィルが答えると、ウォーレンがアーウィルの肩へ強引に腕を回し、エリオットはにやにやと悪意のある笑みを浮かべた。
「三ヵ月も共に過ごしたんなら僕達はもう親友と言っても過言では無いと思うんだけど」
「親友が困ってるんなら、助けるのが当たり前ってもんじゃねえか?」
「は、はあ……いや、でもそれは」
「アーウィル君の家、すごい名家って聞いたよ。確かにディオローン騎士養成所で上手くいかなかったからってすぐにこのアラネスク騎士養成所に編入出来ちゃうくらいだもんな」
「そ、それとこれとは」
何やらアーウィルによからぬ持ち掛けをするウォーレンとエリオット。フテラは薄々勘付き始める。
「とりあえず週に金貨五枚でいいぜ、家からの仕送りがあるだろ? 足りなければパパにお願いでもすれば、な?」
「…………」
言葉巧みかつストレートな金銭の要求に、アーウィルが渋っていると、エリオットが畳みかけるように続けた。
「あ、そういえばさ、このアラネスク騎士要請所って二年くらい前から行方不明者が多発してるって噂聞いた事ある?」
「えぇっ!?」
エリオットの言葉を聞き、驚いたように目を丸くするアーウィル。すると、エリオットはにやりと笑みを浮かべてみせた。
「もしかして知らなかった? この二年間で十人近くが消えてるらしいんだけどさ、アーウィル君も消えたくなんてないだろ?」
次の瞬間、思わず木の影からフテラが飛び出した。
「そこまでにした方がいいんじゃない?」
その声に、三人がフテラの方に視線を向ける。
「……フテラ、何でてめえが?」
「はあ、めんどくさいのが現れた」
「フテラちゃん?」
すると、フテラはウォーレンとエリオットに対し毅然とした態度で言う。
「仮にも騎士を志す者が弱者を狙って恐喝行為なんて恥を知れば? しかも養成所での行方不明事件に関わってるかのような発言、冗談じゃ済まされないわよ」
そんなフテラの指摘に、ウォーレンとエリオットは面倒くさそうに肩を竦めた。
「馬鹿じゃねえの、んなのこいつを脅す為のブラフに決まってんだろ」
「それでも恐喝行為は許される事じゃないわ、この事はオルム教官に報告させてもらうから」
それを聞き、ウォーレンとエリオットは顔を見合わせ、再び面倒くさそうに嘆息すると、フテラとアーウィルに背を向けその場から立ち去ろうとする。
「報告なんて好きにしたらいいよ、だって僕達が恐喝行為をしていたなんて証拠はどこにも無いんだからさ」
「うぜえ、本当お前オルム教官大好きだよな」
「なっ!」
ウォーレンの言葉に、動揺しながら顔を赤くするフテラ。すると、去り際にエリオットがフテラへと言葉を投げかける。
「あとさ、恥を知った方がいいのは君の方じゃない? 蒼衣騎士のくせにいつまでもここにしがみついてさ。元天才、元主席、過去の栄光にすがってなれもしない騎士を目指してるなんて滑稽だね」
対し、フテラは目を伏せ両の拳を握り締め続ける事しか出来なかった。
やがてウォーレンとエリオットの姿が視界から消えた頃――
「あの、フテラちゃん」
「……何?」
「その、何で俺なんて助けてくれたの?」
「別にあなたなんてどうなったって知った事じゃない、ただ……騎士候補生にあいつらみたいなのがいる事が許せなかっただけよ」
謝意を示そうとするアーウィルに、フテラはそっぽを向きながらそう言い残すと、寮へと帰っていくのだった。
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