236話 アラネスク騎士養成所
場面はイェスディラン群島、月長の空域、アラネスク島。
第二騎士師団〈凍餓の角〉が統治する月長の空域には重要な島が二つ存在する。一つは〈凍餓の角〉の本拠地である元王都キャヴィーレイク島。そしてもう一つはエリギウス帝国直属の帝立騎士養成所が存在するアラネスク島である。
また、エリギウス帝国は帝立騎士養成所を三つ所持している。エリギウス大陸に一つ、ディナイン群島に一つ、イェスディラン群島に一つである。そして、エリギウス大陸に存在するディオローン騎士養成所は最も大きな規模を持ち、反対にイェスディラン群島に存在するアラネスク騎士養成所は三つの養成所の中では、単純な規模は最小ではある。
しかしその反面、個の質の高さは随一と言われており、やがては精鋭となる騎士の候補が最も多い養成所でもあった。
そんなアラネスク騎士養成所の屋外鍛錬場にて、一人の少女が明らかに満身創痍の状態で膝を着きながら、肩で息を吐いていた。
「ハアッハアッハアッ……まだ……よ」
その少女は、腰まで流れるような艶やかな金色の髪と、美しく儚げでありながら、奥底に闘志を秘めたような金色の瞳を持つ。
少女の名はフテラ=アルキュオネ。アラネスク騎士養成所に所属する齢十六の騎士候補生であった。
「いい加減しつこいって、いくら足掻いたって蒼衣騎士のあんたじゃ銀衣騎士のあたしにゃ勝てないって解んないかなあ?」
そんなフテラを見下ろしながら肩に木剣を担ぎ、嘲笑の眼差しを向けていたのは、ショートカットにされた金色の髪と浅黒の肌を持つ長身の少女、名をイーシャといった。
模擬戦闘の後、膝まづくフテラと、それを見下ろすイーシャ。その光景はこの一年の間で幾度となく繰り返されて来た。非覚醒騎士であるフテラと、覚醒騎士であるイーシャ。戦闘能力の差は明らかであるからだ。いや、この騎士要請所に残っているフテラの同期の騎士候補生は、殆どが覚醒騎士である為、例えフテラの相手が誰であっても同じ結果となるのは必然であったのだ。
しかしフテラはそれでも退こうとしなかった。フテラは木剣を地に突き刺して体を支えながら、立ち上がって言う。
「銀衣騎士に覚醒してから随分と調子良いんだねイーシャは」
「は? あんた何が言いたいの?」
「一年前までは……私達がお互いに蒼衣騎士の頃は、あなたは私に一度も勝てなかったものね」
いつもはフテラの挑発に対し嘲笑って流してきたイーシャだったが、この日は虫の居所が悪かったのか、木剣を振り上げながら応じた。
「銀衣騎士に覚醒出来なかったからって僻んでんじゃねえよっ!」
そして、その木剣を真っ直ぐにフテラの頭部へと振り下ろした。迫り来る致命の一撃に、フテラは思わず目を瞑って顔を背ける。
しかし、その一撃は何物かによって遮られていた。
フテラが恐る恐る目を開けると、そこには肩の辺りまで伸びた銀色の髪と、先端の尖った長い耳を持つ細目の青年が立っており、イーシャからの一撃を受け止めていた。
「……オルム教官」
青年の名はオルム=ベルセリオス。アラネスク騎士養成所に所属する騎士であり、フテラとイーシャが在籍する第五十三期生の担当教官であった。
「これは模擬戦と言った筈だ、やりすぎだよイーシャ君」
オルムに咎められ、不満げにそっぽを向くイーシャ。
「フテラ君もだ、焦る気持ちは解るけど、模擬戦なんかで無理をして大怪我でもしたら、それこそ君の目標は遠のくだけだ」
「……すみません、オルム教官」
対象的に、フテラは俯きながら反省したように返した。
そんなフテラを見て、舌を打ちながら背を向けるイーシャ。
「これ以上醜態曝し続ける前に、さっさと騎士なんて諦めたらどう? 元天才さん」
するとオルムは、そう言い捨てて立ち去るイーシャの背中を見ながら大きく溜め息を吐くと、フテラに手を差し伸べた。
「立てるかいフテラ君?」
「は、はい」
フテラはオルムの手を取って立ち上がると、照れ臭そうにその手をすぐに放した。
直後、オルムは別の候補生同士の戦いへと視線を向けながら言う。
「フテラ君はいつも頑張りすぎて無茶をしすぎるのが玉に瑕だね、彼と足して二で割ったら丁度良くなると思うんだけどなあ」
オルムの視線の先を見ると、とある二人の騎士候補生同士が模擬戦を開始した所であった。
すると、一人の騎士候補生の振り下ろしを受け止めた騎士候補生が尻餅を着き、既に戦意喪失したと言わんばかりに木剣を離して両手を相手に突き出していた。
その光景を見たフテラが、模擬戦闘開始早々に戦意喪失した騎士候補生の元に歩み向かっていく。
「あっ、フテラ君!」
それを見たオルムが、余計な事を言ってしまったと口を抑えていたが時既に遅しであった。
「ま、待ってよ! 参った……こ、降参するから!」
尻餅を着きながら戦意喪失している騎士候補生は、金色の髪と金色の瞳を持つどこか気弱そうな少年。額や腕などあらゆる箇所に大げさに包帯を巻き、右頬や右手の甲には大きなガーゼが貼られている。名をアーウィル=アダインと言った。
「アーウィル、あなたまたすぐにそうやって諦めて! やる気あるの!?」
「ふ、フテラちゃん!」
自分を窘める声を聞き、ぎょっとした表情でフテラに視線を向けるアーウィル。また、そんなやり取りを見て、アーウィルの相手をしていた騎士候補生は、また始まったと言わんばかりに呆れた様子でその場を立ち去った。
「あ、いやあ、はは。勿論やる気はあるんだけどさ、蒼衣騎士の俺じゃやっぱり限界があるっていうか……」
アーウィルは後頭部を掻きながら気まずそうに返し、その言葉を聞いたフテラが苛立ちを顕わにするように拳を握り締め、問う。
「なら……あなたは何故まだこの騎士要請所で騎士なんて目指しているの?」
「あ、いや……その」
するとアーウィルはばつが悪そうに口ごもりながら答えるのだった。
「俺はただ……父さんと母さんが騎士を諦める事を許してくれないから、ほら俺の家って名家で厳しくて」
その言葉を聞き、フテラは失望したようにアーウィルに背を向け、言葉を零した。
「あなたには、何の信念も無いのね……あなたみたいな人がいるから蒼衣騎士ってだけで舐められるのよ」
「……フテラちゃん」
そしてアーウィルに一度も振り向く事もせず、その場を立ち去った。
その日の夕刻。粉雪を降らせる薄青い雲の隙間から、夕日の赤が僅かに漏れ出していた。
養成所での訓練が一通り終了した後、フテラは屋外にある鍛錬場にて、教官であるオルムに剣の師事を受けていた。
フテラの剣による猛攻を軽々と捌きながら、オルムはフテラに指示を出す。
「もっと細かく、もっと速く、そして出来るだけ思考せず攻撃を繰り出すんだ。相手の先読み能力を超え、感情を読ませないようにしないと覚醒騎士には太刀打ち出来ないよ」
「はい!」
幾度となく剣が激しい音を鳴らし、降り注ぐ粉雪が二人の肩に積もっていく。どれ程の時が流れただろう、雲の隙間からは赤い光では無く、淡く白い月の光が僅かに漏れている。
そして、何度も何度もオルムに向かって行ったフテラであったが、やがて力尽き跪く。
「ハアッハアッハアッハアッ!」
「よし、今日はここまでにしようフテラ君」
「いえ、まだ出来ますオルム教官!」
「フテラ君、今日言った筈だよ。君は無茶をしすぎる、それではかえって逆効果だ」
「……はい」
オルムに窘められ、フテラは俯きながら訓練の終了に応じると、ゆっくりと立ち上がって剣を腰の鞘に納めた。
「今日も遅くまでありがとうございました、オルム教官」
こうしてオルムとの個別の訓練が終了し、フテラは深々とオルムに頭を下げて礼を言う。
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