220話 一騎当千
一方、本拠地聖堂の伝令室にて、翼羽の凄まじい戦いぶりを見守りながら、ただただ唖然とするパルナの姿が在った。
「す、凄い、圧倒的すぎる」
しかし、翅音は顔を渋らせたまま呟く。
「……このままじゃやべえなあいつ」
「え?」
「あいつは今、臨餓の竜域に入ってやがる」
「りんがの竜域?」
竜域を超える竜域、極限を越えた集中状態。それは自我と理性を捨て、痛覚を捨て、心臓の鼓動を限界まで速め、呼吸すら厭わず、ただ目の前の敵を倒す、命を削りながらただその一点だけを遂行する状態だと翅音は説明する。
「そ、それって……」
半ば理解しながらもパルナが言い淀む。
「臨餓の竜域が長く続けば死ぬ、実際あいつの母親はそれで死んだ」
「そんな!」
パルナが絶望したように叫んだ。
「だが、あれは自分の意思じゃ解除出来ねえんだ。少なくとも目の前の敵を倒し切るまでは」
悲痛な様子で告げる翅音の言葉を聞き、パルナがすぐに翼羽に伝声を送った。
「団長! 翼羽団長! お願い答えて、もういいから! 竜域を解除して!」
しかし、パルナの叫びは翼羽に届く事は無かった。
※
翼羽の勢いは尚も止まらない。
烈火の如き一太刀が敵騎を薙ぎ払い。流星の如き連撃が切り刻む。七十騎、八十騎。
遂に〈裂砂の爪〉部隊の半数が撃墜された。
それを傍観するシェールから、この決戦開始から初めて笑みが消えた。
「は? 何してんだよあの蛆虫共、敵は一騎だよ? っていうかさっさと本拠地を破壊しろって言っておいたのに何を律儀にヨクハだけ狙ってるのかなあ?」
苛立ちを募らせながらシェールはそう漏らしたが、本拠地の破壊の選択をする余裕はもはや〈裂砂の爪〉の騎士達には無かった。
目の前の圧倒的な存在から意識を逸らした瞬間に死が訪れる。その恐怖を脳裏と心に植え付けられた以上、翼羽の叢雲を倒すしか生きる道が無い。そしてそれこそが翼羽の目論見であったのだ。
勿論、刃力核直結式聖霊騎装による砲撃を試みる騎士も居るが、砲撃開始までの溜めを叢雲は許さず、それどころか砲身を展開させたソードは光の刃にて悉く、即座に斬り裂かれ撃墜されていた。
そして遂には、翼羽の叢雲の敵騎撃墜数は百にまで達する。
しかし、ここで翼羽の叢雲が敵の攻撃を被弾し始めた。光矢を左腕部の盾で受け止め弾かれ、斬撃が鎧胸部を掠め、斬撃痕が刻まれていく。
それを見たシェールは、再び笑みを浮かべた。
「動きに精彩さが欠けて来たね、光の刃を放つ頻度も少なくなり、刃力剣の刀身も時々歪む。あはあ、やっと限界が来たみたいだね」
だが、それでも尚、叢雲の剣は止まらない。タルワールの斬撃を受け止め、反撃の斬撃で胸部を断ち、シャムシールの刃力弓から放たれた光矢を斬り払うと即座に距離を殺し、袈裟斬りが胴を斬り落とす。
百十騎、百二十騎、百三十騎。当初百五十騎から成る〈裂砂の爪〉部隊は、気付けば残り二十騎まで撃滅されていたのだ。
するとシェールは、笑顔を絶やさぬまま冷汗を頬に伝わせた。
「嘘……だろ、紅蓮の片翼も使わずに、たった一騎にこの〈裂砂の爪〉が壊滅寸前?」
そして、激しく歯を軋ませ、呟く。
「化……物が!」
それは、いずれも翼羽に植え付けられた感情。シェールが生まれて二度目の恐怖であった。
百四十騎……叢雲には無数の斬撃痕が刻まれ、盾が崩壊していた。兜飾りである額の鍬形も片方が折れ、更には刀身に纏う刃力も消失し、羽刀型刃力剣の刀身は金色では無く通常のそれへとなっている。
すると、一騎のシャムシールが満身創痍の叢雲へと斬りかかる。叢雲はその一撃を捌いて弾くと、シャムシールを横蹴りで吹き飛ばした。更に高速でシャムシールとの間合いを詰めると、渾身の真向斬りを放つ。
それを受け止めようと剣を水平に構えるシャムシール、次の瞬間、叢雲の羽刀型刃力剣の刀身が消失し、シャムシールの受け太刀を擦り抜けると、再度刀身が出現、羽刀型刃力剣の刀身がシャムシールの頭部に食い込んだ。
しかし憑閃を使用していない羽刀型刃力剣では、叢雲の優位属性であり防御力に長けるシャムシールは斬り裂けない――筈であった。だが翼羽の叢雲は食い込んだ状態の刃に渾身の力を込めると、叢雲の両腕部が軋み、電流が走る程強引に振り切った。
次の瞬間、シャムシールは縦に両断され、空中で爆散する。
百五十騎目――それが〈裂砂の爪〉の最後の一騎であった。
……世界から隔絶されている二騎のソード、タルワールとシェールのアパラージタを除いては、である。
すると翼羽は、色を失い攻撃が擦り抜けるタルワールとアパラージタに目標を定めると、叢雲で一気に距離を詰め、斬りかかった。
だが、〈血闘〉の効果で世界から隔絶されている二騎には攻撃は通らない。それでも翼羽は叢雲で幾度となく攻撃を仕掛ける。
その様子を見ながら、肩を竦め嘆息するシェール。
「まるで……理性の無い獣、餓えた竜にでもなったつもりなのかな?」
一方、翼羽は一人、暗い闇の中に居た。
――深い、暗い……まるで真っ黒な闇の底へ落ちていくかのようだ。体が動かない、意識が薄れていく。……ああ、そうか。……私は、きっとこのまま……
その時、何処からか声が聞こえてくる。
「クハ……ヨクハ……翼羽!」
それは自分の名を呼ぶ声、そしてそれは何処かで聞いた事のある――自身が知る者の声だった。
――声が……聞こえる。何だろう……凄く懐かしい気がする。
そして暗闇の中、目の前に差し込む光と、そこから差し伸べられる手に気付く。
――光?
その光と手を見て、翼羽ははっきりと思い出した。
「そうだ、私にはまだやらなきゃならない事がある……あるんだ!」
翼羽は、光の向こうから自身に差し伸べられた手を握り締めた。
臨餓の竜域に入り、無我の状態となって戦っていた翼羽に意識が戻る。同時に臨餓の竜域が解除され、自身が叢雲の操刃室に居る事に気付いた。
「カハッ! ハアッハアッハッハアッ……ガハッ!」
激しく咳込み、そして全身を襲う激痛に悶える翼羽。
――敵はどうした? 〈裂砂の爪〉の部隊が見当たらない、私が倒したの? くっ、頭が回らない。私はどれ程の間戦っていた? 視界がぼやける、肺が灼け、心臓が裂けそうだ。これが臨餓の竜域、もし後数秒解除が遅ければ今頃私は……
思考を巡らせながら、かろうじて叢雲を浮遊させる翼羽であったが、最も重要な相手の事を思い浮かべる。
――いや、そんな事よりもシェール……アパラージタは!
『団長、後ろ!』
その時、伝声器越しのパルナの声に、翼羽は咄嗟に振り返りながら羽刀型刃力剣を構える。瞬間、アパラージタが放つ裂爪式斬竜剣から振り下ろしが放たれ、翼羽の叢雲はそれを寸前で受け止めた。
「ぐううううっ!」
しかし、その一撃の威力を受け流しきれず、不安定な体制のまま吹き飛ばされる叢雲は、何とか騎体を制動させ、アパラージタへと向き直る。
〈血闘〉の能力により世界から隔絶され、安置から翼羽の戦いを傍観していたシェールであったが、翼羽が限界を迎えている事を覚るや否や、共に世界から隔絶されていた味方騎であるタルワールを撃墜して能力を解除し、翼羽への攻撃を開始したのだった。
「そうだよ、そうだよね? あんな馬鹿げた強さをいつまでも維持出来る筈がないよね? あはあ、もう既に虫の息じゃないかヨクハ」
翼羽は震える両手で操刃柄を握り締めながら、それでもアパラージタの前に立ち塞がる。
「まだ……だ……まだ私は!」
しかし、臨餓の竜域の反動で全身は鉛のように重く、刃力も枯渇寸前である。それでも翼羽は逃げる訳にはいかなかった。諦める訳にはいかなかった。守るべき者の為に、守るべき場所の為に。
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