219話 餓える竜
場面はツァリス島。
連合騎士師団の進軍開始から五時間。〈因果の鮮血〉との戦闘開始からは二時間が経過していた。
シェールは〈裂砂の爪〉部隊でツァリス島を包囲しながら、戦況を把握しつつ、自身が動くその時を待つ。そして、レファノスとメルグレインの壊滅こそが、シェールが理想とする“その時”であった。
しかし、現在の戦況は、メルグレイン側が残存戦力約百五十、メルグレインと相対する連合騎士師団側が約三百八十。レファノス側が残存戦力約百四十、レファノスと相対する連合騎士師団側が約三百五十。
増援が到着し、やや攻勢に出たとはいえ、このまま戦闘が続けば、連合騎士団側の勝利は確定的である。
その危機的状況に、シェールの出方を伺っていた翼羽は、遂に打って出る事を決意する。だが、先に動いたのはシェールであった。
シェールは、島を包囲している部隊を接近させ、自身もまた翼羽の叢雲から視認出来る位置まで接近をすると、翼羽へと嘆息混じりの伝声を送る。
『これ程の戦力差でここまで粘られるなんて思わなかった。メルグレインには風の大聖霊獣が出現し、戦況は停滞しているどころか手こずらされている。レファノスにはあの“金色の死神”と思わしき騎士も出現し、王城まで到達した部隊を殲滅された』
「…………」
『まあ結末は変わらないだろうから当初の予定通りこのまま待っててもいいんだけど、ご馳走を前にこれ以上“待て”されるのも限界だなあ……君もそうなんだろ?』
打って出ようとした翼羽を見透かすようにシェールは問う。
「貴様と一緒にするな……だが我慢の限界と言うのは概ね同意する」
直後、翼羽は叢雲の左右の腰から羽刀型刃力剣を抜かせて構えた。すると、シェールは未だ構えもせず、伝声を続ける。
『ラドウィードの騎士の事たくさん調べさせてもらったよ』
「……ほう」
『こないだ君のその宝剣が見せた凄まじい性能と紅蓮の片翼、あれは恐らく萠刃力を糧にして飛躍的に性能を上昇させる器能なんだろ?』
シェールの言葉に、翼羽の顔色が変わる。
『だけどあれだけの力だ、当然代償はある。体内の刃力の種を開花させて萠刃力を生み出せば、およそ七日間は刃力の種が生まれず刃力が回復しない。君は前回の戦いでは殆ど戦ってないから通常の刃力はまだ残ってる状態だけど、刃力の種が存在しないから萠刃力を生み出せない――つまり前回の戦いで見せた紅蓮の片翼は使えない……違う?』
そして確信めいたシェールの指摘に、翼羽は口を噤む事しか出来なかった。しかし、翼羽にはまだ切札が残されていた。
萠刃力呼応式殲滅形態がソードとしての切札であるならば、“それ”は騎士としての……ラドウィードの騎士としての切札。
翼羽はそれを使用し、シェールのアパラージタを一気に撃破する事を初めから決意していた。そしてそれを今正に実行しようとしたその時。シェールと、シェールのアパラージタの額に剣の紋章が輝き、アパラージタと、アパラージタの隣に浮遊する一騎のタルワールの色が消失し始める。
それはシェールの竜殲術〈搾取〉でコピーしたディオンの竜殲術〈血闘〉の能力であった。
使用者と対象者の二名を世界から隔絶し、強制的な一騎討ちを強いるというその能力を味方に利用し、翼羽から攻撃を受ける事を避ける算段である。
更には、周囲を包囲するシャムシールとタルワール部隊がそれぞれ刃力剣や刃力弓を抜き戦闘態勢を取り始める。
そして、次第に色を失っていくアパラージタを見て翼羽はシェールの思惑を理解し、憤慨と共に伝声を送る。
「神剣を駆り、更にはこれ程の戦力差がありながら身を隠す。貴様に騎士としての誇りは欠片も無いのか!?」
『うん無いよ。僕はさ、君が一番苦しむ方法は何だろうって常に吟味した上で遂行しているだけだから。どうせ一か八か別の奥の手でも使って僕を討ち取ろうって算段だったんでしょ?」
確信めいた問いかけをしながら、シェールは破顔して続ける。
『萠刃力の開花が出来なくてもまだ奥の手が残ってる、だからたった一人でこの島に残った……でも残念だったね、目論見が外れてどんな気持ち? ねえ、今どんな気持ち?』
その言葉を最後に、シェールとの伝声と伝映が途切れ、目の前のアパラージタは完全に色を消失した。
またしても手の内を見透かされ、シェールだけを討ち取るという作戦は崩れた。そして目の前には百五十騎ものソードが武器を取り立ちはだかる。
窮地、苦境、死地、絶体絶命……それら全てが当てはまるこの状況で、翼羽は心の中で想いを吐露した。
――もう出し惜しみしている余裕は無い。ううん……全てを出し尽くしたとしてもこの状況を打破出来るかは分らない。でも……不思議と恐怖は無い。それはきっと……零、あの時の君と一緒になれたからなんだ。今はただ、それを嬉しく思う。
翼羽は穏やかな笑みを浮かべ、そっと閉じた目を勢いよく開眼させると、瞳孔が縦に割れ、竜域へと至った事を示した。
そして続けざま〈裂砂の爪〉全騎に伝声する。
「覚えておけ、後悔はしている時には既に手遅れだという事を。朽ちたければ来い、果てたければ背を向けろ。どちらにせよ私の前に立ちはだかった以上、貴様らの未来にあるのは死だ!」
更に翼羽の白眼が紅く染まり、縦割れの瞳孔と相まって異形の姿へと変わる。
それはかつて、翼羽の母である和羽が八岐大蛇の転生者――竜醒の民である八神 咬真と戦った時、そして零が全盛期の神鷹と戦った時に至った状態。竜域を超える竜域、命を削る程の極限を越えた集中状態にて人成らざる力を発揮する“臨餓の竜域”と呼ばれる状態であった。
一方、臨餓の竜域に至った翼羽が操刃する叢雲から発せられる途轍もない威圧感に〈裂砂の爪〉の歴戦の騎士達は戦慄した。殺意も怒気も感じない、しかし目の前のそれは、自分達よりも遥か上、圧倒的な捕食者の存在を想起させた。虎……獅子……魔獣……或いはそれ以上の。
「……竜?」
一人の騎士が呟く。
次の瞬間、叢雲は一騎のシャムシールと擦れ違いざまに剣を奔らせる。すると、叢雲の優位属性であり、量産剣の中では最も防御力の高いシャムシールが――まるで紙屑のように一瞬で千切られた。
一騎、二騎、三騎、叢雲の持つ金色の刀身の羽刀型刃力剣が振るわれる度に〈裂砂の爪〉のソードが斬り裂かれ爆散していく。
一刀両断、二刀四散、ソードとソードの間を擦り抜けるように駆け抜けながら、奔る閃光が騎体の胴を断つ。
斬りかかれば刃力剣を振るよりも疾く頭部を断たれ、後退しようと背を向ければ胸部を穿たれた。十騎、二十騎、叢雲の勢いは尚も衰えない。
近付けば死、触れれば死、その姿はまるで、〈裂砂の爪〉の騎士達にとって恐怖の具現化そのものであった。
恐怖は伝染し、やがて〈裂砂の爪〉の騎士達の逃避衝動が思考を停止させていく。それでも背を向ければ死しかない、〈裂砂の爪〉の騎士達は接近戦を放棄し、叢雲に向けて刃力弓や炎装式刃力弓を用い一斉射撃を開始する。
百騎以上のソードから放たれる数多の光矢は、まるで暴風雨の如く叢雲に押し寄せる。
しかし次の瞬間、叢雲から放たれた幾重もの閃光が、それを掻き消していった。目にも映らない程の高速斬撃が、光矢を斬り払い続けているのだ。
やがて、〈裂砂の爪〉部隊の射撃の継続も限界を迎え始め、勢いが収まっていくと、叢雲はその間隙を利用して回転しながら金色の羽刀型刃力剣を振るった。
すると叢雲を中心に放たれた円状の光刃が広がっていき、周囲のソードの頸部を一気に断つ。
更に叢雲からは無数の光の刃が飛び交い、更に〈裂砂の爪〉部隊のソードを刻んでいく。
三十騎、四十騎、翼羽の敵騎撃破数は五十にまで達しようとしていた。
その光景を、シェールは世界から隔絶された状態で傍観していた。
「はいはい、強い強い、知ってるよそんな事。でもさ……いつまで持つのそれ?」
翼羽の圧倒的な力を前にしても、シェールはその笑みを絶やさなかった。
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