209話 深淵の支配者達
翼羽は、五人と一匹の背中を見送ると、翅音とパルナに声をかける。
「翅音殿、パルナ、お主達はこの島に残る必要は無い。今からでも脱出しろ」
そんな翼羽の提言に、パルナは勢い良く頭を振り、翅音は腕を組みながら大きく溜め息を吐いた。
「プルームは今必死に戦ってる、エイラリィも戦ってる。皆も、団長も……だから私も戦う、逃げる訳にはいかない!」
「逃げる必要あんのか? さっき言ったばっかじゃねえか、死守してくれんだろ?」
二人の言葉を聞き、ずっと表情を強張らせていた翼羽は、ふと微笑んで返した。
「だね」
二人の言葉が、僅かに残っていた翼羽の心の迷いを吹き飛ばした。
戦える〈寄集の隻翼〉の騎士団員を全員増援に向かわせる。これは翼羽にとって苦肉の策、苦悩の末の選択であった。
〈裂砂の爪〉相手にたった一人で立ち向かう。普通に考えればそれは無謀を通り越してただの自殺行為である。それは、自身にとって絶対に守らなければならない存在、プルーム、エイラリィ、パルナの命を危険に曝す最悪手でもある。
しかしレファノスとメルグレインが制圧されれば、守らなければならない者達の生きる場所が奪われる。そうなってしまえば死と同義だ。だから翼羽は、どちらも守らなければならなかった。
だが、圧倒的な戦力差がある今回の戦いにおいて、レファノスとメルグレイン側には少しでも強力な突出戦力が必須である。故にこちら側に騎士を残す余裕は微塵も無かったのだ。
それだけではなく、こちら側に騎士を残せば再びシェールに〈血闘〉を使用され、誰かがシェールの犠牲になる可能性がある。翼羽は、それだけは絶対に避けたかった。あの時と同じ想いは二度としたくなかった。
つまりこの選択こそが最善、この島から動けないプルーム達を守り、守るべき存在の生きる場所も守る為には、それ以外の選択肢は無かったのだ。
そして一見無謀とも思えるこの戦い、当然翼羽には勝算が無い訳ではなかった。確かに叢雲の切札である萠刃力呼応式殲滅形態は現在使用出来ない。しかし、翼羽にはもう一つの切札が残されていた。その切札で乱戦に紛れシェールを討ち取る事が出来れば〈裂砂の爪〉も、もしかしたら連合騎士師団自体も撤退せざるを得なくなる可能性もある。それは正に……賭けであった。
その後、翼羽は格納庫にて叢雲の操刃室に乗り込み、出陣に備えながら想いを馳せる。
――あの時と同じだ……天花寺家が鳳龍院家に攻め入ったあの時と。戦いの規模は違う、でも圧倒的な戦力差、強大な敵、守らなくてはならない存在。何も……変わらない筈だ。だけど、あの時の私は何も出来ない、弱く矮小で、守られるだけの存在だった。
すると、翼羽はふと、懐からとあるものを取り出した。それは桔梗と翼を模した髪飾りであり、翼羽の母である和羽の形見であった。
翼羽は、これまで一度も身に着けた事の無いその髪飾りを見つめながら、祖母である飛美華に打ち明けたかつての想いを振り返る。
《だから翼羽は父様のようになりたいのです、父様のように立派な騎士になり、この髪飾りに相応しい女性になれた時が来たら、これを着けようと思っているのです》
直後、翼羽はおもむろに、その髪飾りを初めて髪に着けた。揺れた髪飾りがシャランと小気味良い音色を奏でる。
――私は父様のように立派な騎士になれたんだろうか? この髪飾りに相応しい女性になれたんだろうか? その答は多分まだ出せていない、でも! あの時とは違う……今度は私が守るんだ――零のように!
翼羽の決意と共に、叢雲の双眸が輝き、推進刃から放出される刃力が蒼い騎装衣を形成させた。
「鳳龍院 翼羽――叢雲、出陣する!」
そして、翼羽は叢雲と共に、運命の空へと翔び立った。
騎士宿舎の一室には、ベッドに寝たまま未だに意識が戻らず、生死の境を彷徨っているプルームと、〈癒掌〉による治癒を続けるエイラリィの姿があった。すると、エイラリィは窓の外から空を見上げ、飛び去った叢雲の残影をいつまでも眺めていた。
※
場面はとある空間。
そこは何処までも続くかのように広大で、白く何も無い場所だった。
先程まで自室のベッドの上で寝ていた筈のエルは、目が覚めるとその空間に居た。エルにとって初めて見る場所、しかしここに来るのが初めてでは無い事をエルは理解していた……そして何の為に今ここに居るのかも。エルは動揺する様子も無く体を起こし、辺りを見回した。
すると、目の前には二人の男女が立っており、エルはゆっくりとその男女の前に歩み寄る。
一人は黒い教団服を纏い、銀色の髪と金色の瞳を持った儚げな表情の老齢の男性、醒玄竜教団教皇ジーア=オフラハーティであった。
続けて、もう一人の人物である少女に視線を送る。腰まで伸びた黒紫色の髪と、人形のように整いながら幼さを残すその顔には、宝石のような真紅の瞳が輝いていた。
すると、黒紫髪の少女がエルに声をかける。
「やあナナツメ……いや、オルタナティーバ。ボクがこうしてここで君と会うための理由は一つだと理解しているね?」
それを聞き、エルは躊躇なく答えた。
「使命を……与えるため」
「ふふ、いい子だ」
どこか不敵にも見える笑みを浮かべ、黒紫髪の少女がエルに伝える。
「今回君には再び使命を与える」
「…………」
「次の君の果たすべき使命は、前回失敗に終わった〈寄集の隻翼〉のスクラマサクスという騎体を撃墜してもらう事だ。それを操刃している騎士と一緒に、目的である大聖霊獣が居る筈だからね」
すると、口を噤んだまま僅かに俯くエル。そんなエルに黒紫髪の少女は告げる。
「シェール=ガルティが連合騎士師団を結成させた。奴は今回の進攻で〈因果の鮮血〉と〈寄集の隻翼〉を潰し、レファノスとメルグレインをエリギウスに統一させるつもりだ」
「なっ!」
黒紫髪の少女がそう伝えた瞬間、エルは目を見開いて僅かに俯かせていた顔を上げた。
「順当に行けばそれでオルスティア統一戦役が終結する可能性が高い。そうなる前に、風の大聖霊獣を確実に仕留め、風の大聖霊石を顕現させておきたいんだ」
何かに動揺しているのか、エルは視線を泳がせていた。そんなエルに続ける黒紫髪の少女。
「今回の連合騎士師団の中に〈灼黎の眼〉は含まれてないからヤトノカミは参加させられないけど、特務遊撃騎士である君なら紛れて任務に参加出来る。そして今回の使命を果たす事が出来れば、君に竜祖の血晶を渡すつもりだ。だから頼んだよ……オルタナティーバ」
竜祖の血晶の譲渡を示唆され、エルは明らかに動揺したように表情を曇らせながら呼吸を早めた。
――竜祖の血晶が手に入る……そうだ……竜祖の血晶は絶対に手に入れなければならない。それは分かってる……でもこのままでは。
「さあおいで、オルタナティーバ」
直後、エルの考えがまとまらない内に、黒紫髪の少女が手招きを始め、エルはそれに従うように黒紫髪の少女の元に歩み寄る。
「そろそろ時間だ、ペルガモン」
すると、隣に立っていたジーアが黒紫髪の少女の指示を受け、エルの頭部を掴むと、ジーアの掌から淡い光が発せられた。
「それじゃあしばしのお別れだオルタナティーバ。いつも通り目が覚めた時には君は元の場所にいる。君は君自身のため、ただ使命を果たしてくれればそれでいい」
次の瞬間、エルは光に包まれると、崩れ落ちるように膝を着き意識を失った。
それから、白い空間からはエルの姿は消えており、黒紫髪の少女とジーアの姿だけがそこにあった。すると、ジーアが黒紫髪の少女に言う。
「ふっ、憐れな子ですね。毎回毎回ここに来るたびあなたにこう言われる。『今回の使命を果たせば竜祖の血晶を渡す』と」
「憐れなどと軽々しく言ってほしくはないねペルガモン、何故ならあの子は……ボク自身なんだから」
「ふっ、これは失敬」
黒紫髪の少女の苦言に、ジーアは肩をすくめてみせた。
「まあ、無駄な心を持ってしまったという意味では確かに憐れなのかもしれないね。でも心を持ってしまったのならそれを利用して動かすまでだ、ボクと一つになるその時まで」
「しかし、親友――恩人――そんな概念あなたにあったのですか? セリヲン」
「ある訳ないだろそんなもの、でもどんなものにも小さなイレギュラーは付き物だ。だからこうしてヒトツメからナナツメまでを監視しながら育てて来たんだ」
セリヲンと呼ばれた黒紫髪の少女は、何かを懐古するようにジーアに返した。
直後、ジーアは嘆息混じりに背後を振り返りながら呟く。
「それにしても、シェール=ガルティですか。私達が長い年月をかけて積み上げて来たものを平気で壊そうとする、少しいただけないですが、制御出来ていないのはあなたの責任では?」
するとジーアと、セリヲンと呼ばれた黒紫髪の少女の後ろには、第一騎士師団〈閃皇の牙〉師団長レオ=アークライトが立っており、気まずそうに引きつった笑いを浮かべ、後頭部を掻きながら返した。
「いやあ面目ない、でも相互不介入条約での統一引き延ばし……このやり方ではいずれ痺れを切らし反発する者が出て来るのも必然だ」
そんなレオに、再び苦言を呈するジーア。
「しかし、これ程大規模な連合騎士師団を結成するとは、もはやレファノスとメルグレインでは防ぎきれない、オルスティア統一戦役はこれ以上維持出来ませんよ」
「そうなったらそうなったで構わないさ、その時の為にジーア……いや、ペルガモンの醒玄竜教団や、スミルナ達が居るんだから」
すると、セリヲンと呼ばれた黒紫髪の少女が続ける。
「それにピースはもう揃いつつある。怨気は九割がた溜まり、エクレシアの完成も果たした。そして起動させなくてはならない神剣もあと三振りだ」
そして、レオは遠い目をしながら天を仰ぎ見て言う。
「あと少しだ、あと少しで、ラドウィードへと還る事が出来る。そして僕達の故郷を守り続ける事が出来るんだ」
果てしなく、永遠の先を見通すような瞳。その瞳はどこか哀しく、どこか切なく、そしてどこか儚かった。
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