204話 想いを胸に立ち上がる時
翌日。
ツァリス島は悲壮感に包まれていた。それとは裏腹に、島の中央にそびえる大桜の木が満開となり、見頃を迎えている。
雲一つ無い青天と、淡紅色が織りなす美しさが、どこか寂しげに、儚げに、ある人物を包み込んでいた。
琥珀の空域攻略戦から一夜明け、翼羽は一人桜の木にもたれかかりながら俯き、己を責めた……責める事しか出来なかった。
――私のせいだ。
悲痛に満ちた表情で、血が滲む程に拳を握り締める翼羽。
――侮っていた訳じゃ無かった。でも、あらゆる面で逆手に取られ上回られたのは事実だ。私が選択肢を間違えなければ、違う結果もあった筈。プルームも……
すると、プルームの顔を思い浮かべながら、翼羽は固く目を固く閉じる。
――違う、そうじゃない。
しかしすぐに頭を振り、己を奮い立たせた。
――今私がするべきは後悔じゃない。現状を的確に把握し、次の最善を探る事だ。
そして、俯かせた顔を上げ、桜の花を見上げながら呟く。
「そうだよね、零」
デゼルは、翼獣舎の中で日課であるグリフォン達の世話を行っていた。ピッチフォークを持ち、飼葉を均しながら物思いに耽る。
――プルーム、あの時僕は何が出来たんだろう? この騎士団の盾になるって……仲間の盾になるって、そう誓った僕は君の盾になれなかった。
デゼルはそう心で呟きながら、プルームの笑顔とプルームにかつて言われた言葉を思い浮かべた。
《思念操作攻撃してる時って私結構無防備になっちゃうんだよねえ、でもデゼルが居てくれるから、私は何も恐れないで戦えるんだよ。いつもありがとねデゼル》
――プルーム、剣を握れなくなって戦えなくなった僕を、君は一度だって責めた事は無かった。
デゼルの頬には、自然と涙が零れる。すると、一頭のグリフォンがデゼルの涙を拭うように顔を舐めた。
「ごめん、僕がこんなんじゃお前達を不安にさせちゃうよね」
するとデゼルは、自分の袖で荒々しく涙を拭い、再び作業に従事する。
――前に進まなきゃ、そうじゃなきゃ懸命に戦ったプルームに顔向け出来ない。
フリューゲルは、竹林の訓練場に設置した的に向け朝から黙々と弓銃で矢を撃ち続けていた。それは鍛錬の為か……或いは……
――プルーム、お前はすげえよ。お前はいつも抜けてて、どぼけてて……でもいつも笑ってて、明るくて……それに誰よりも努力家だった。
フリューゲルが放つ矢は、親指の先程の大きさの的を一つも外す事無く的中させていく。
――いつも血の滲むような鍛錬をしても辛そうな素振りなんて何一つ見せなかった。今回だってそうだ。自分の勝敗が運命を左右する、そんなとんでもねえ重圧に曝されながら、お前はおどけて笑ってみせた。
幾度も幾度も引き金を引き、フリューゲルの人差し指からは血が滲んでいた。
――俺はお前のように神剣に選ばれるようなすげえ騎士じゃねえ。でも、俺はいつもお前に追い付きたかった。ガキの頃からずっと見て来たお前に……いつかお前に認めてもらえるように。だから、俺はお前の戦いを無駄にしたりなんてしねえ……絶対にさせてたまるかよ!
フリューゲルが連続で放った矢が、的に突き刺さった矢筈に突き刺さり、またその矢の矢筈に矢が突き刺さり、矢が連なっていくのだった。
ソラは、騎士宿舎のとある一室の前に居た。
どれ程扉の前に立ち尽くしただろう、しかし意を決したように扉をノックした後、その部屋へと入る。そしてそこは、プルームとエイラリィの部屋であった。
その部屋にいたのは、エイラリィとパルナ、そしてベッドの上に横たわるプルームであった。
痛々しそうに包帯を巻き、眠るような浅い呼吸を繰り返しているプルームのベッドの前で、エイラリィとパルナが椅子に座ったまま容態を見守っていた。
「……ソラさん」
「……ソラ」
ソラの訪問に、プルームにへ癒掌〉による治癒を続けるエイラリィと、プルームの手を握るパルナが振り返る。
「プルームちゃんの容態はどう?」
ソラは、答の分かっている問いをする。
「まだ、目覚めません」
そしてその答を、首を振りつつエイラリィが返した。
※ ※ ※
あの戦いの後、翼羽は叢雲でアロンダイトを抱えたまま琥珀の空域を離脱し、途中にある孤島へと緊急着陸させた。
その後、アロンダイトの操刃室からプルームを降ろして救助する。プルームの状態は深刻であり、裂傷と熱傷による外傷と出血が既にプルームの呼吸を停止させていた。
「嫌だ……姉さん! 戻ってきてよ! お願いだから……帰ってきて!」
エイラリィは半狂乱になりながらも〈癒掌〉による治癒を全開で続けた。刃力が底を尽き、エイラリィ自身も意識を失いかける程に。
しかしそれが功を奏したのか、奇跡的にプルームは息を吹き返すのだった。
それからすぐにプルームをツァリス島に連れ帰り、プルームは一命を取り留めたのだったが、未だ意識は戻らず予断を許さない状況である。
※ ※ ※
「エイラリィちゃん、昨日からずっと竜殲術を発動してて平気なのか?」
自分を心配するソラに背を向け、エイラリィはプルームに向き直り治癒を続ける。
「はい、今は出力を最小限に抑えていますから。外傷の治癒はもう限界まで行いましたし……だからこの治癒に意味があるのかは分かりません。意味が無いのかもしれませんし、もしかしたら生命維持の役割を果たしているのかもしれません。でも私はただこうしていたいんです」
「……エイラリィちゃん」
「私は毎日続けます、刃力が尽きるまで、毎日……姉さんの目が覚めるまで」
すると、パルナが目を潤ませて言う。
「私も、ずっとプルームの手を握り続ける。呼びかけ続けるよ。だって、私にはこんな事しか出来ないから」
そんな二人を見たソラが、自身の後ろに隠していたとあるものを差し出した。
「ソラさん、もしかしてそれって……」
ソラが差し出したもの、それは皿であり、その皿の上にはメルグレインの伝統的な菓子であるバウムトルテという名の、穴の開いた丸いケーキが乗せられていた。
「俺とフリューゲルがアルテーリエ様に呼び出された時、エイラリィちゃんも一緒にリンベルン島に行っただろ? その時三人で食べたバウムトルテって菓子、美味しかったからプルームちゃんにも食べさせたいなって思って作ってみたんだ」
すると少しだけ照れ臭そうに後頭部を掻きながら言うソラ。
「いやあ、これが中々難しくてさあ、ずっと棒を回してないといけないし、何回も生地を塗らないといけないしで、しかも炎の聖霊石を使って専用の釜土造らないといけないしで――ってそんな事はどうでもいいか、まあ何が言いたいかというと……」
ソラは、少しだけ優しく微笑みながら続ける。
「俺も毎日これを焼き続けるよ、プルームちゃんの目が覚めるまで。プルームちゃんに苦労して作ったバウムトルテを食べてもらいたいしね」
「……ソラさん、あなたは」
それを聞き、瞳に涙を溢れさせるエイラリィ。
「俺に出来るのも、こんな事くらいしかないしさ」
「そんな事ありません!」
しかし、ソラの言葉の直後、それを否定するようにエイラリィは大きく首を振った。
「琥珀の空域攻略戦ではあなたも立派に戦っていました。翼羽団長の期待通り東方進撃地上部隊の要となり、更には敵の副師団長も討ち取った。それに引き換え私は……」
止めどなく溢れる感情、エイラリィのそれは堰を切ったように零れ続けた。
人にはそれぞれ役割がある。自分はソラの言うような最強の支援騎士になるんだと決めた。もう振り返らない、もう弱い自分を責めたりしない、でも……今は、あの時ああしていれば良かった、あの時プルームを支えられるくらい強かったらと、何度も何度も後悔してしまう自分が居る。もしこのままプルームが目覚めなかったら、戦えない自分をきっと一生恨んでしまうと。
「……エイラリィ」
パルナが、悲痛な想いを吐露するエイラリィを見て瞳を再び潤ませた。
すると、ソラは微笑みながらゆっくりと言葉を返す。
「戦えないなんてそんな事ないよ」
「…………」
「前にも言っただろ、エイラリィちゃんはエイラリィちゃんにしか出来ない事をやってるんだって。それにエイラリィちゃんが戦ったから……戦ってるから今まだ希望が潰えていないんだろ」
その言葉に、俯き、目を伏せるエイラリィにソラが続ける。
「これはエイラリィちゃんの戦いだ、エイラリィちゃんにしか出来ない戦いなんだ」
「……ソラさん」
するとエイラリィは、ゆっくりと顔を上げ、涙を拭って返す。
「はい」
そしてプルームの治癒に再び集中するのだった。
そんなエイラリィを一瞥し、ソラはプルームの部屋を後にした。
――そして俺には俺の。
決意を秘めたその瞳は、何かを見据えるように鋭かった。
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