201話 ラナ=ディアブ
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十二年前、まだオルスティア統一戦役が始まる前。
十二歳だった私はディナイン王国の辺境、トゥラール島で暮らしていた。
私の父は、辺境の島出身でありながら聖衣騎士に覚醒し、ディナイン王国直属の騎士団長を勤め、トゥラール島の村では絶対的な権力を持っていた。
そんな家に生まれた私には、ラフィーアという名の一つ上の姉がいた。両親にとってもきっと、自慢の娘だった筈だ。
器量が悪くて、いつも自分に自信がなくて、人と話すとうまく喋れなくて、どうしようもなく弱い。そんな私とは正反対の、綺麗で、賢くて、明るくて、強くて……私の自慢の姉だった。
「ラフィーアは俺の誇りだ」「ラフィーアが生まれてきてくれて良かった」
父と母はいつもラフィーア姉さんにそう言っていた。でも――
「ラナはもっとラフィーアを見習いなさい」「どうしてラナはラフィーアみたいになれないの?」
それが、私がいつも言われていた言葉だった。
だけど……それでも良かった。例え両親が自分を見てくれなくても、認めてくれなくても、あれだけ優しくて優秀なラフィーア姉さんと姉妹なら当然だって自分でちゃんと納得できてたから。
でも……災厄は常に何の前触れもなくやってくる。そして人なんていつも……簡単に死ぬ。そう、剣の才があり、父と同じようにやがては騎士団長にまでなる事を期待されていたラフィーア姉さんですらそうだった。
とある日トゥラール島に、巨大な鳥の魔獣ガルーダの群れが襲来した。その日父は王都の守護任務で不在だった。騎士の常駐もない小さな島の田舎村。戦えるのは騎士見習いだった姉さんだけだった。
そして、村からの要請を受けた王国の騎士達が島に駆け付けるまで、ラフィーア姉さんは必死に戦った。小さな体で私達を必死に守ってくれた。勇敢な姉だった。
だけど……ラフィーア姉さんはその戦いで致命傷を負って死んだ。綺麗な顔が傷だらけになって、血を一杯流して。
私はたくさん泣いた。両親もたくさんたくさん泣いた。でも誇らしかった。私はきっとラフィーア姉さんのようにはなれないけど、だけどラフィーア姉さんの妹として恥ずかしくないように生きるんだって、今度は私が父と母の支えになるんだって決意した。
でも、異変は葬儀が終わった数日後に起きた。ある日の朝、両親は私にこう言った。
「おはよう、ラフィーア」と。
耳を疑った、そして怖かった。私は必死に言った。
「私はラフィーア姉さんじゃない、ラナだよ」と。
でも両親はまるで諭すかのような優しい声で私を抱き締めて言った。
「悲しかったよねラフィーア、ラナが死んじゃって、でも私達はラナの魂を背負ってラナの分まで生きなくちゃいけないんだよ」と。
頭がどうにかなりそうだった、込み上げてくる吐き気で倒れそうになった。そして分かってしまった、私はこの日死んだ……ラナという存在は両親に殺されたんだ――と。
その日から、私はラフィーアという存在として生きていく事を強いられた。
「どうしたのラフィーア? 前はもっと明るかったじゃない」母が言う。
「どうしたラフィーア? 前はもっと剣の才があったじゃないか」父が言う。
「ラフィーア、前はもっと可愛かったのに……でもお化粧すれば大丈夫だから心配しないで」
「ラフィーアにはラナみたいな髪型は似合わない、昔のように髪を下ろしなさい」
「はい……母さん、はい……父さん」
そうして私自身も私を殺し、ラフィーアとしてしばらく過ごした。でも叫びたかった、心の奥底ではずっと叫んでいた。
「あの日死んだのはラフィーア姉さんだよ、私はラナだよ」と。
でもそれが出来ない弱い自分がたまらなく憎かった。そして大好きだった筈の姉さんに憎しみを抱くようになった。私はそれがたまらなく悲しかった。
とある日、私は両親と一緒に買い物の為に村の中を歩く。すれ違う村人は父に挨拶をすると私にこう言う。
「こんにちは、ラフィーアちゃん」と。
有権者である父は、既に村中に手を回していた。そして言い聞かせた。あの日死んだのはラナで、今ここにいるのはラフィーアであると。
誰もそれに逆らう人は居なかった。村の誰もがそれを受け入れた。私は必要とされていなかった、生きていかなくちゃいけないのはラフィーア姉さんで、ラナという人間はもうこの世に居ないのだと受け入れざるを得なかった。
その時だった。一人の少年が私に声をかける。
「やあラナちゃん。はは、何なのその化粧? 全然似合ってないね」
歯に衣着せない発言をしてきたのは、この島に住む同い年の少年で、中世的な顔立ちと常に浮かべている無邪気な笑みが特徴だった。名をシェール=ガルティと言った。
「……しぇしぇ、シェール君!?」
彼は村に存在する小さな孤児院の出身で、何度か話した事はあったけど特別仲が良いという訳ではなかった。無垢ながらどこか底知れない悪意を秘めているような何かを感じさせる彼を村の皆は避けていて、両親からも関わるなと忠告をされていた。
そして、不意に私をラナと呼んだシェール君に対し、周囲にいる村人達は明らかに触れてはいけないものに触れてしまったと言いたげな表情を浮かべ、私の両親は唖然としていた。そしてそれは私も同じだった。
「な、何を言い出すの? この子はラフィーアよ!」
「死んだラナとラフィーアを間違えるなんて、冗談では済まされんぞ!」
シェール君に対し激昂する両親。でもシェール君は首を傾げ、眉をひそめて言った。
「はあ? 目でも腐ってるのおじさんおばさん、それとも脳味噌腐ってるの? その子、どこをどう見たってラナちゃんじゃないか」
ラナ……私は……ラナ? シェール君の言葉に、私は色々な感情が沸き上がり、自分自身に混乱していた。
「ああ、そうか! おじさんおばさん、ラフィーアちゃんが死んじゃったのがショックでラナちゃんをラフィーアちゃんだって思い込もうとしてるんだね。いやあでも村の連中にわざわざ圧力かけて吹き込もうとしているあたり確信犯だよね?」
シェール君の無垢ながら鋭い指摘に言葉を失う両親。
「あはあ、それにしてもいくらラフィーアちゃんが優秀な娘だったからって、ラナちゃんを死んだ事にしてラナちゃんをラフィーアちゃんの代わりにしようだなんて、僕が言えた義理じゃないけどおじさんとおばさん、性根に蛆でも涌いてるの?」
そんなシェール君に対して、父は震える手で剣を抜いた。そして怒り狂ったように顔を真っ赤にさせて叫ぶ。
「ふざけるなよ、誰にも必要とされていない孤児のくせに言いたい放題言いやがって! お前なんて殺してやる……殺してやる!」
「あ、やばっ……調子に乗り過ぎたかあ、僕ここで死んだかも」
直後、子供であるシェール君に、躊躇いなく斬りかかる父。
それから、十数分後。想像だにしない光景がそこにはあった。
立っていたのはシェール君で、地に臥せっていたのは父の方だった。
「そんな……馬鹿な……」
「あれ? ごめんおじさん、僕どうやら強かったみたい。今まで戦った事無かったから知らなかったよ」
聖衣騎士であり、騎士団長にまで登り詰めた父を、まだ子供でしかなく剣の修行もした事がないだろうシェール君が倒してしまったのだ。圧倒的な才、生まれながらの強者、彼は選ばれし者なんだと、確信せざるを得なかった。
そしてこの日の夜、私の両親は首を吊って死んだ。改めて現実を突き付けられ、それを受け入れられない心の弱さのせいなのか、良心の呵責に耐えきれなくなってなのか。いずれにせよ、こうして私は一人きりになった。
そんな私にシェール君はまた声をかけてきた。
「やあラナちゃん、今度は両親が死んじゃったみたいだね。不幸が服を着て歩いてるような女だな君は」
「しぇ、しぇしぇシェール君」
「あ、ごめんごめん、っていうか昨日僕がちょっと言い過ぎちゃったせいかもしれないよねえ」
笑顔で悪びれる様子もなく悪びれる言葉を言うシェール君に、私は必死に頭を振った。
「しぇ、シェール君は悪くないです! わ、わ、悪いのは両親と、わ、わた、弱い私なんです……から」
するとシェール君は、不意に私に問う。
「ねえラナちゃん、どうするの?」
「ど、どうするっていうのは?」
「これからの事さ、身寄りでもいるの君?」
「い、いえ……だ、だから、孤児院の院長先生が、わ、私を引き取ってくれるって話はしてくれました」
「はは、あそこは止めた方がいいよ。表向きは人道を重んじた孤児院を謳ってるけど、裏では虐待、犯罪強要、人身売買何でもござれだからね」
「そ、そそそそんな!」
次の瞬間、私の想像だにしなかった発言がシェール君から飛び出した。
「だからさ、僕と一緒に騎士でも目指さない?」
「え? わ、私も……ですか?」
「いやあ僕さ、どうやら才能あるみたいだし、せっかくだから王国直属の騎士でも目指してみようって思ってさ。そしたら好きな事好き放題やれそうだし。そんでラナちゃんは聖衣騎士のおじさんの血を引いてるから、今は蛆虫並に弱くて糞の役にも立たないけど、いつかきっと聖衣騎士になって僕の役に立ってくれるって思うからさ」
そう言いながらシェール君は私に手を差し伸べた。
嬉しかった。昨日は私の名前を呼んでくれた。そして今は私を必要としてくれている。それがたまらなく嬉しかった。
そうだ、私はラナだ。私は死んでなんかいない、ここでこうして生きているんだ。
「うん」
私はシェール君の手を取って頷いた。そして、一緒に騎士を目指し、生きていこうと決めた。いつかきっとシェール君の力になれるように。支えになれるように。
※ ※ ※
カレトヴルッフがシャムシールの腹部に突き刺さった刃力剣を引き抜き、距離を取る。
ラナはシャムシールの操刃室の中で、涙を流しながらそっと目を瞑る。
「ごめんねシェール君……私結局……君の力になれなかった……」
そして動力を破壊されたシャムシールが空中で爆散する。
ソラは、鎮魂花の如く空に咲く爆炎に、カレトヴルッフと共に背を向けると、ふと哀しい視線でその空を流し見た。
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