149話 刃の如く、焔の如く
修行開始から二十年後。
翼羽は島の端に建てた石の小さな墓に手を合わせた。
「さよなら……黒天丸」
寿命により天寿を全うした愛鳥に別れを告げる翼羽、その背中に、翅音が声をかける。
「黒天丸はお前が幼少の時、既にいい歳だったからな。これでも長生きした方だ」
「……師匠が昔言ってた。不老になれば大切な人達がどんどん老いさらばえて居なくなっていく……わかってた事なんだけどね」
「……ああ」
「そういえば師匠は二十年前から全然変わらないね、もうよぼよぼのお爺さんになっててもいい頃だと思うけど」
「ん? 言ってなかったか? 俺も昔竜祖の血晶を飲んでるんだ。多分今、百二十歳くらいだったかな」
そう何気なく翅音は言ったが、翼羽は驚愕の表情を浮かべた。
「えっ! 今初めて聞いたよ! 本当に? そ、そうだったの!?」
「ああ、本当だ」
「何で? そんな事全然言わなかった。いつ、どうして竜祖の血晶を!?」
「まあ、その内機会があったら話してやるよ」
※
修行開始から五十年後。
翼羽は虚空に、或いは木に、或いは岩に剣を振り続けた。そして師と剣を交え、何千、何万、何十万と土を付けられ続けた。
しかし肉体が成長しない筈の翼羽に、斬れる物が増えていく。大木を、岩を、風を、やがては音すらも。
※
修行開始から百年後。
己の肉体の使い方を知り、己の心の御し方を知り、技を磨き、研ぎ澄ませ、久遠にも思える時の中で翼羽は少しずつ少しずつ鋭い刃と化していく。
※
修行開始から百二十年後。
それでも未だに師の域に辿り着けない翼羽は、師と正真正銘の命の取り合いに挑み、生死の狭間の果てに、遂には竜域に至る事に成功する。
※
修行開始から百四十年後。
翼羽は諷意鳳龍院流秘伝 都牟羽を一通り会得するに至る。
そして――
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ!」
片膝を付きながら激しく肩で呼吸をする翼羽。その目の前には地に突き刺さる一本の剣と、そして地に伏せる翅音の姿があった。
翼羽は遂に、竜殲の七騎士である翅音に土を付けた。それは六十万を超える手合わせの末、そして修行開始から百六十年後の事だった。
竜殲の七騎士と呼ばれた翅音を越え、翼羽は間違い無く強大な力を身に付けた。しかしそれでも翅音からはエリギウス王国に向かう許可が下りず、翼羽は翅音と口論をするのだった。
「今の私なら神鷹を倒せる! 奴はまだ必ず生きてエリギウス王国の何処かにいる。だから探し出して殺す、その為に私は強くなった」
「一人でエリギウスに乗り込むってのか? 竜殲騎も無しに……そんな無謀が通用する程甘くはねえ! それに神鷹と戦う前にエリギウス王国そのものと戦う事になるぞ」
「そうなったらそうなったで好都合だよ、私は神鷹だけじゃなく、エリギウス王国の連中も滅ぼすとあの日誓った」
意見を曲げず、自ら死地へと進もうとする翼羽。すると翅音は翼羽の胸ぐらを掴んで怒鳴る。
「自惚れんな、お前がいくら強くなったとはいえ個の力で大国を相手には出来ない。あの零ですらそうだったのを忘れたのか!」
零の名を出されふと悲しい表情を浮かべる翼羽であったが、それでも折れず、反論した。
「……零は負けると解ってても戦い抜いた」
「それはお前を守る為だっただろ! お前が今守ろうとしているのは何だ? あるとすれば自分の復讐心だけじゃないのか!」
「なら私は何の為に! 何の為にこうして生きながらえてきたの!?」
悲しみに満ちた叫びがツァリス島に響いた。
翅音にはもう翼羽を止める事は出来なかった。そう、翼羽の生きる意味は全てそこにあったのだ。翼羽の言う通り、翼羽はその為に生きて来た。そしてそれが翼羽の全てだった。
翼羽を今止めれば、翼羽は生きる意味を失う。それを奪う権利は無いと、翅音は覚ってしまったのだ。
そして、翼羽はその夜、ツァリス島で飼育するグリフォンに乗り、島を去った。
願わくば生きて帰って欲しい、願わくば別の生きる糧を見つけて欲しい。翅音はそう祈りながら、翼羽の帰りを一人待つのだった。
※
その後、翼羽は神鷹と戦う為に単身エリギウス王国に乗り込み、神鷹の行方を探した。神鷹はタカ=テンゲイジと名を変え、今もエリギウス王国の騎士として生きている事を翼羽は突き止める。
しかし、現在エリギウス王国東天騎士師団長を務めるという神鷹に近付く事は実質不可能であり、今やオルスティア一の大国となったエリギウス王国と正面から戦うには、翅音の言う通り個の力だけでは到底不可能である事を目の当たりにする。
そして翼羽は選択を迫られた。死を覚悟で玉砕するか、それとも次は集の力を身に付けてから改めて戦うか。
翼羽が選んだのは後者だった。死は全く怖くは無い。しかし、感情に任せて己の意地を貫くよりも、例えどんなに無様でも、どんなに醜態を晒したとしても、目的を果たす事が最優先であると翼羽は結論付けたからだ。
※
その後翼羽は、エリギウスから四人の子供をツァリス島に連れて帰って来る。
フリューゲル、デゼル、プルーム、エイラリィ。成り行きとはいえエリギウス王国で命を救う事となった竜魔騎兵……人工の聖衣騎士である。
そして、それが自分にとっての大きな転機となる事をこの時はまだ翼羽は知らなかった。
「師匠の言う通りだった、個の力だけじゃ大国には太刀打ち出来ない。だから私はこれから騎士団を結成させて、エリギウスと敵対する他国と連携して、奴らと戦うつもり」
翼羽が選択を誤らなかった事に胸を撫で下ろしながらも、翅音は翼羽が突然四人の子供をツァリス島に連れて来た事を訝しんだ。
「おい、ところでその餓鬼共は何だよ?」
「攫って来た」
「は?」
「この子達は竜魔騎兵って言って、人工的に聖衣騎士に覚醒させられた騎士達だよ。育てればかなりの戦力になる」
冷淡に子供達の説明を行う翼羽に、翅音はたじろぎながら尋ねる。
「お前、神鷹やエリギウスを倒す為にこいつらを利用するつもりか?」
「当然だよ、私はその為なら何だってやる。何だって犠牲にする」
そして翼羽は冷たい声色のまま続ける。今後やる事はもう見据えている。この子供達を騎士として育て、竜殲騎を手に入れ、騎士団を結成し、更に団員を増やしていく。そして他国との連携を得て、エリギウスと戦えるだけの力を手に入れる。そうすればいつか神鷹とも戦う機会が巡って来ると。
揺ぎ無い瞳、そして揺ぎ無い覚悟。だが翅音には、翼羽が再び破滅の道へと突き進んでいるような気がしてならなかった。
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