147話 空虚の果て
それから……翼羽と翅音を乗せた黒天丸は空を飛び続け、やがて那羽地という国を出るに至る。また、翅音が目指している場所はかつて幼い頃に親友と見つけたとある孤島であった。
海流の影響と、陰霧と呼ばれ包むものを透明にする特殊な霧の影響で、未だに未発見の孤島であり、世界から隔絶されたように存在するそこは翼羽を隠すには最適であったのだ。
そして空が明ける頃、目的地の半分近くまでは辿り着いたが、ひたすら飛び続けた黒天丸と、飲まず食わずで黒天丸に跨り続けた自分達を休ませる為、翅音は道中見つけた小さな無人の孤島へと黒天丸を降ろした。
その後、翅音は島から果物などの食料を調達し、食事を提案する。
しかし、翼羽は一人膝を抱えたまま塞ぎ込み、食事には手を付けようとしなかった。
「翼羽様、今の内に少しでも食べとかねえともたねえぞ」
翅音がそう苦言を呈すと、翼羽が俯いたままゆっくりと口を開く。
「……翅音、さっきの竜殲術は何?」
感情の起伏を失ったように静かに質問する翼羽に、翅音は渋々と言った様子で答える。
先程使っていたのは竜殲術〈仙視〉と言い、一定の範囲内にあるものを精確に知覚する事が出来る。簡単に言えば超高性能探知器のようなもので、その能力を使って敵の包囲が薄い場所を狙って那羽地を脱出したのだと。
「……あなたは一体何者なの?」
翅音は少しだけ躊躇する素振りを見せるが、後頭部を掻きながら白状するように答えた。
「……“スヴァフルラーメ=エッダ”って言えば分かるか?」
その名を聞き、翼羽は表情を一変させた。
「スヴァフルラーメ=エッダ! まさかあなたは竜殲の七騎士の一人!?」
「ああ、そうだ。翅音は俺が那羽地の民として生きる為に翼渡様が授けてくれた名。そして俺は元神剣ティルヴィングの操刃者だ」
すると、翼羽は翅音に向かって憤るように叫んだ。
「何で! ……あなたが竜殲の七騎士の一人だというのなら、どうしてあの時力を貸してくれなかったの? あなた程の力を持つ人が加勢してくれていたら、もしかしたら婆様も藤堂も鳳龍院家の騎士達も……零も」
言いながら、両の眼に涙を溢れさせ、言葉に詰まる翼羽に、翅音は静かにゆっくりと返す。
「翼渡様はとある理由で死にかけてた俺を救ってくれた命の恩人だ。それに鳳龍院家には長らく世話になった。加勢出来るもんならしてやりたかったさ」
翅音は口惜しそうに拳を握り締めて続けた。
「だが悪いが俺はもう、竜殲騎は操刃出来ねえんだ」
「え?」
「ある奴に神剣ティルヴィングとの契を上書きされてな、一度受けた大聖霊の加護を奪われた状態だと、生命維持に必要な最低限の刃力しか持てなくなり、通常の竜殲騎すら操刃出来なくなるんだ……新しい契約者が死ぬか、大聖霊石が破壊されるかするまではな」
「そう……だったんだ……ごめん」
翼羽は翅音を責めてしまった事を恥じ、再び塞ぎ込むように膝を抱えて俯いた。
「いや、気にするな」
その時だった。翅音が突然顔色を変え、鬼気迫るような表情で空を見上げた。
「何かが……来る!」
聖衣騎士である翅音は、この場所に脅威が近付いて来る事を感じ取り、咄嗟に竜殲術〈仙視〉を発動させ、迫り来るものの詳細を知覚しようとした。
そしてその能力でそれを把握し、冷汗を滲ませ、生唾を飲み込んだ。
「竜殲騎 野太刀……操刃しているのは天花寺 神鷹だ」
その名を聞き、翼羽が目を見開き、空を見ながら立ち上がる。
すると間もなく、上空から一騎の野太刀が出現し、孤島へと降り立った。その衝撃で凄まじい風圧が巻き起こり、翅音と翼羽は何とか目を開けながらその場に踏ん張り、立ち続けた。
直後、降り立った野太刀の鎧胸部が開放され、そこから神鷹が姿を覗かせる。
「……神鷹」
神鷹の顔を見て、怒りを露わにするように歯を軋ませる翼羽。
「てめえ、何故ここが?」
自分達の居場所が突き止められた事を不思議に思い、神鷹に問う翅音。
「ふっ、俺に対する憤怒、憎悪、殺意の感情。あまりにも大きすぎるそれらを感知し、辿って来た。つまり俺をここに導いたのは他の誰でも無い、お前だ鳳龍院 翼羽」
優れた感情受信能力を持つ覚醒騎士ならば理論的にはそれが可能であるが、それでも遥か遠くから的確に場所を把握されたのは、神鷹の覚醒騎士としての能力の高さと、翼羽が無意識に発する感情があまりにも激しかった事が原因であると言える。
すると神鷹は、野太刀の操刃室から身を乗り出して言う。
「亡国の姫君よ、自国のその後の顛末も知らず尻尾を巻いて逃げるつもりか?」
「その後の顛末? ……亡国!?」
神鷹の“亡国”という言葉が引っ掛かり翼羽は反応を見せる。
「その話の前に何故エリギウス王国の連中が俺達天花寺家と繋がっていたのか教えてやる」
神鷹は語る。エリギウス王国の国王は以前から竜祖の血晶を血眼になって探しており、情報提供と、鳳龍院家が隠し持っている竜祖の血晶を譲渡する事を条件に此度の戦での協定を結んだのだと。そう、鳳龍院家を確実に滅ぼす為に。
しかし、翼羽達が逃亡した後、エリギウスの騎士達が鳳龍院家の残党を捕え、竜祖の血晶の在り処を吐かせ、それが既に翼羽に取り込まれていた事をエリギウス国王が知った。
怒り狂ったエリギウス国王は先程鳳龍院家の治める東洲だけでなく、西洲の人間の虐殺も行い、程なくして那羽地は滅んだ。だが、覚醒騎士である天花寺家の騎士だけは、エリギウスの軍門に下る事を条件に生かされることとなったのだと神鷹は告げた。
それを聞き、翼羽は茫然自失となる。那羽地という国が滅んだ。真偽は定かでないとはいえ、竜殲騎に乗り、こちらの命を握っている神鷹が偽りを伝える理由がまるで無い。神鷹の語る言葉は真実であると受け入れざるを得なかった。
祖母を失い、家臣を失い、鳳龍院家は滅び、そして零までも失った。更には故郷である那羽地という国までも失い、喪失感などという言葉では言い表せない程の感情に襲われ、翼羽は愕然としながら幾度も幾度も無意味な後悔と葛藤を募らせた。
――もし私があの時、もっと早く神鷹と戦う道を選んでいたら何かが変わっていたかもしれない。
《争いは何も生まない、禍根を残し、怨嗟の渦が廻り続ける。だからどこかでその連鎖を断ち切らねばならないのです》
「違う! ただ私は、自分のせいで多くの家臣達に死なれるのが怖かっただけだ」
――もし、あの時竜祖の血晶を飲む選択をしていなければ、少なくとも零と那羽地の民達を救う事が出来ていたかもしれない。
《私も覚悟を決めた》
「違う! ただ私は自分が生き延びたいが為にそうしただけだ」
《私の夢はあなたに託す。勝手なことを言ってるのはわかってる。でもあなたになら託せる……託したいって思うから》
――何故、抗わなかった?
「投げ出したんだ、己と向き合う事から」
――何故、立ち向かわなかった?
「逃げたんだ、私は戦う事から」
《翼羽はずっと戦っていた、自分の可能性と、自分の運命と……抗って、立ち向かって、誰よりも必死に戦っていた。俺は知ってる、その決断は翼羽の勇気と、優しさそのものなんだって》
「違う違う違う違う違う!」
翼羽は両手で頭を抱えながら、苦痛に歪むような叫びを上げた。
「うわあああああああ!」
その様子を見て、神鷹は浅く嘆息し、言う。
「気でも触れたか? どちらにせよ鳳龍院家は死に、俺の悲願は成就された。もうお前には用は無い……殺す価値も無い」
そう吐き捨てる神鷹、すると翼羽はゆっくりと立ち上がり、鋭い眼光で神鷹を射抜いた。
「貴様に無くても、こっちにはある!」
「ほう」
「何故私の大切な場所を、大切な人達を奪った!?」
「先に奪ったのは貴様達の方だ、父の命を、そして俺の命を、俺の一族の命を、だから貴様達に復讐すると誓った」
すると翼羽は唇を噛み締め、口の端から血を流させながら返す。
「そうか……ならこちらもそうするまでだ。神鷹、私の全てを賭けて必ずお前を殺す、そしてエリギウスの奴らも滅ぼしてやる!」
「無理だ、お前如きには」
「……私は弱い。覚醒騎士にもなれず、竜域にも入れない。剣の才も無く、刃力も矮小なものしか持っていない。それでも私は不老の力を手に入れた。だから何十年かかってもいい、必ずお前を――奴らを滅ぼす力を手に入れてみせる」
揺ぎ無い眼光、凄まじい決意を孕んだその瞳を見て、神鷹は突如破顔した。
「そうだ……それだ! 父や俺と同じ憎悪に支配された目、何と美しい事か」
そしてどこか希望を抱いたかのように笑みを零す。
「ようやく新たな生きる糧を見つけた。復讐を果たした俺が、今度は復讐される立場となる。連鎖、輪廻、久遠に続く怨嗟の道。それもまた一興」
直後、神鷹は言いながら鎧胸部を閉鎖させ、拡声器越しに続けた。
『お前を絶望に陥れた後、エリギウスと戦って散るつもりだったが気が変わった。エリギウスの犬に成り果てようとも俺は必ず竜祖の血晶を手に入れ、不老の力を手にしてお前を待つ。お前が力を手にしたなら必ず俺を殺しに来い、鳳龍院 翼羽』
そして神鷹はそう言い残すと、野太刀を飛び立たせ、空の彼方へと消え去った。
神鷹の飛び去った後の虚空。翼羽は空虚になった心でそれをただ見続けていた。
147話まで読んでいただき本当にありがとうございます。第四章は残すところあと五話になります。
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