143話 臨餓の竜域
――何故、術が効かない?
神鷹が訝しみながら天十握を注視すると、天十握の頭部がやや下を向いており、布都御魂と視線を合わせるのを避けていた。
『……飛美華から聞いていたのか?』
「何の事だ?」
『俺の竜殲術が竜殲騎同士でも効果がある事をだ』
神鷹からの問いに、零は淡々とした口調で、さも当たり前だと言わんばかりに答えた。
「いや……だが、これは竜殲騎同士の戦いだ。それならそれなりの戦い方をするまでだ」
そんな零の言葉に、神鷹は感心したように目を大きく見開いた。すると零が続ける。
「警戒しておいて正解だった、だが自から白状するとは迂闊だな、ネタが割れればお前の竜殲術は恐るるに足りない」
それを聞き、神鷹は口の端を上げた。
そして操刃室の中で斬馬羽刀を鞘から僅かに抜いて、その刀身に映る自分の眼を見た。更に、布都御魂は左前腕部の盾を自身の目の前に掲げると、布都御魂の眼がそこには映っていた。
続いて、神鷹と布都御魂の額に剣の紋章が輝く。
『痛みを捨てろ、制御を捨てろ……殺せ、壊せ……我が敵を蹂躙しろ!』
瞬間、零は神鷹が何をしようとしているのかを理解し、即座に攻撃を開始した。
零の天十握が突きを繰り出す構えを取り、都牟羽最速の弐式を放つ。
しかし、神鷹の布都御魂は、首を横に振り軽々と光の矢を躱してみせた。
――反応速度が上昇している!
零がそう考えた瞬間、既に布都御魂に背後を取られている事に気付く。
――騎体性能までも上昇しているのか!
零の天十握は振り向き様、寸前で布都御魂の一撃を受け止めた。瞬間、零は不思議な感覚に陥る。
鍔迫り合いをしていたにも関わらず、突如相手の力の流れが綿、或いは羽根のように軽くなり、羽刀型刃力剣の刀身を滑るように斬馬羽刀型刃力剣の刀身が手元に奔る。
『秋花・歪竜胆』
「くっ!」
神鷹の一撃が、自身の騎体の右手親指を狙ったものである事を悟った零は、咄嗟に天十握に羽刀型刃力剣を握る右手を離させた。
直後、神鷹の追撃。剣を片手持ちとなった零の天十握に横薙ぎ――左一文字を繰り出した。その一撃を受け止めきれず、零の天十握は側方に回転しながら吹き飛んだ。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ!」
劣勢に陥り、竜域までも解除された零は肩で息をしながら必死に思考を巡らせる。
「……自分自身に術をかけたのか?」
『そうだ、俺の竜殲術は他者を意のままに操る。しかし、己に術をかけ、己の限界を超えさせる事にこそ真価はある』
言い終え、神鷹の布都御魂が斬馬羽刀型刃力剣を振り上げ、一気に間合いを詰めて真向斬りを繰り出した。零はそれを天十握の羽刀型刃力剣で受け止めるも、その剛剣の凄まじい威力を殺し切れず、地へと叩き付けられた。
衝撃により額から血を流しながら、零は天十握をすぐさま立ち上がらせる。
――集中しろ、竜域が解除されている。この状態じゃ勝ち目が無い。
そんな零を嘲笑するように、神鷹が伝声をする。
『哀れだな青天目 零』
「何だと!?」
『青天目……その名は西洲出雲の里の出だな』
「それがどうした?」
含んだ言い方に訝しむ零に、神鷹は続ける。
当時西洲では、七歩蛇を含む魔獣の繁殖を行っていた。魔獣を繁殖させ、己の術で操る事で鳳龍院家と戦う為の戦力とするつもりだった。結果的には上位魔獣と言えど所詮はもどき、望んだ戦力には成り得なかった。とはいえ、当時は自分の術が竜であった時と同じ力を持っているかを確かめる必要もあったのだと。
「まさか……出雲の里が滅んだのは」
『そうだ、七歩蛇を操り出雲の里を襲わせたのは俺だ』
それを聞き、零は顔を俯かせ、歯を激しく軋ませ、両手の操刃柄を潰す程に握り締めると、土埃を舞わせながら一直線に神鷹に向かって行った。
「神鷹――――――!」
憎しみに塗れるような零の叫びを聞き、神鷹は口の端を上げた。
そして怒り任せの斬撃を繰り出す零。しかし、竜域にも入らずに、憎悪に支配された状態での一撃が神鷹に通じる筈も無く、反撃の斬撃で天十握の左腕部が斬り落とされた。
「ぐうっ!」
その衝撃で吹き飛び、距離を空けさせられる零。神鷹はそんな零に更に追い打ちをかける。
『青天目 零、お前は何故さっさと俺と飛美華との戦いに介入しなかった? 雪加などお前ならすぐに殺せた筈だ。しかしお前はそれをしなかった。情に絆され、無駄に時間を使い、結果として飛美華は俺に殺された』
「黙れ、黙……れ」
『故郷を奪われ、大切な者の肉親を死なせ、大切な者に憎まれ、そして今日俺に全てを奪われる。憐れで間抜けで、生きる価値すら無い』
「…………」
神鷹は零の心を揺さぶった。それは神鷹の作戦であった。自身の術で己と己の騎体を強化し、天十握の片腕を奪い、それでも尚、神鷹は零の力を警戒していた。油断し、慢心すれば食われかねない、それ程に神鷹は零の力を恐れていた。
だからこそ心を揺さぶり、自分に対する憎しみで支配させ、竜域に入らせる事すらさせず、確実に仕留める為だ。
しかし、それが神鷹の敗因となる。
神鷹の言う通り、零は憎悪と怒りに支配されていた。
――奴は俺から色々なものを奪った、そして奴は翼羽までも脅かそうとしている。……殺したい、殺してやりたい、殺す殺す殺す!
自身の動揺と、制御できない負の感情。それを自覚しながらも、零はどうしようもない憎しみに飲み込まれそうになっていた。
――くそ、心が黒く塗り潰されていく、心がどす黒く染まっていく。
その時だった。零の元に伝声が入る。
『零、聞こえる零?』
「翼羽……」
『ずっと聞いてたよ、神鷹と零とのやり取り』
「…………」
『惑わされないで、婆様が死んだのは零のせいじゃない、それに零はいつだって私達の為に戦ってくれていた』
翼羽の声に、零は少しだけ我に返る。そして翼羽は続けた。
『それと私が零を恨む筈が無い、そんな事くらい解らないの!?』
「……翼羽」
『怒りも憎悪も秘めるんでしょ? 秘めて活かす、それが父様の教えだって零が言ってた。じゃあ今の気持ちを秘めた状態で無になれたら零はきっと無敵だよ、だから零は……私の近衛騎士はあんな奴なんかにきっと負けない!』
次の瞬間、暫く動きの止まっていた天十握にとどめを刺すべく、神鷹は全速で布都御魂を突撃させた。
――ああ、そうか。
零は桜の木の下で、翼羽が言った言葉を思い出す。
《零はやっぱり凄いね。君はいつも私が前に進む勇気をくれる。前に進む力をくれる》
――違う、前に進む勇気をくれるのも、前に進む力をくれるのも、お前なんだ。
竜殲術で騎体性能が引き上げられた布都御魂の全霊の一撃、それを零は片手で持った羽刀型刃力剣で軽々と受け止めていた。
『な……に』
この一撃で終わる筈だった。しかし、そのありえべからざる光景に驚愕する神鷹。
そして零は瞑った眼を開け放つ。紅く染まったその両目、そして瞳孔は縦に割れ、竜域に入った時と同じように竜の瞳となっていた。
「お前を倒す、神鷹!」
布都御魂の斬馬羽刀型刃力剣を弾き返し、零は背後を取る。
『ぐっ!』
放たれた瞬速の斬撃を躱すも、布都御魂の肩部の一部が斬り飛ばされた。
しかし神鷹はすぐさま反撃、横一文字にて天十握の胴を狙う――と見せかけて斬撃の軌道を変化させ、顔面を狙った。
『春花・哭文目』
だがその一撃を零の天十握は軽々と受け流し、逆に神鷹の布都御魂が体制を崩す。
「それはもう見た」
更に零が追撃、奔る羽刀型刃力剣が布都御魂の左腕を斬り飛ばした。
神鷹は焦りつつ、すかさず天十握から距離を取り、上空へと飛翔した。
そこへ飛来する無数の光刃、まるで嵐のように迫り来るそれを回避しながらも、躱しきれない刃が布都御魂の鎧装甲を削っていく。
「……都牟羽 壱式 飛閃・乱刃」
『馬鹿な、何だこれは!』
更に、飛翔する光刃に紛れ、空中を飛翔する布都御魂に天十握が追いつくと、羽刀型刃力剣による斬撃が閃光の如く奔る。神鷹はそれを斬馬羽刀型刃力剣で受け止めるが、斬馬羽刀型刃力剣の刀身に亀裂が走った。
そこへ零の天十握が更なる追撃、神速の突きが斬馬羽刀型刃力剣の刀身を貫き、砕け散らせた。同時に羽刀型刃力剣の刃が布都御魂の右肩に突き刺さる。
圧倒され、その凄まじい力の差に神鷹は生まれて初めて恐れを抱く。
『この力、まさかお前はあの時の和羽と同じ……“臨餓の竜域”に入ったとでもいうのか?』
「知るか、さっさとくたばれ」
――言葉……理性がある。あの時の和羽は確か、痛覚も呼吸も言語能力すらも失う程の極限を超える集中状態、父を倒した後も元には戻れずそのまま命を落とした。しかしこいつはどうだ? あの時の和羽と同等かそれ以上の力を発揮しながらも、それでも尚、理性を保っている。
すると、天十握が布都御魂の右肩に突き刺した羽刀型刃力剣を振り上げ、布都御魂の右腕部を斬り飛ばした。
――感情も読めず、動きも読めん。これ程の化け物がただの人間だとでも言うのか!?
『一体貴様は何なのだ!』
「俺は鳳龍院 翼羽の近衛騎士にして剣、青天目 零だ!」
そして天十握の斬撃が、布都御魂の両脚部までをも斬り飛ばし、四肢を完全に失った布都御魂が地上へと落下していく。
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