138話 あの日と同じ桜の下で
神鷹の来訪から二日後。返答の期限は翌日に迫っていた。この日、屋敷には翼羽の姿は無く……
翼羽は一人、里の外れにそびえ立つ小さく高い丘の上に居た。そこは翼羽が幼少の頃に翼渡から教えてもらった思い出の場所であり、零と約束を交わした大切な場所でもあった。
その場所に一本だけたたずむ巨大な桜の木、淡紅色の花が咲き誇り、雪のように舞い散る花びらに抱かれながら、巨木にもたれかかり翼羽は一人様々な思いを馳せる。
神鷹との婚姻、鳳龍院家の存続、翼渡の願い、竜祖の血晶を飲む事による不老とその先に待っているだろう戦、火神の裏切り、当主としての務め、そして自身が歩みたい未来。
あらゆる重荷と選択肢、あらゆる想いと願い。出せない答だけがそこにはあり、時は花弁の舞い散りと同じ速度でゆっくりと……或いは忙しく流れていく。
するとその時、空の向こうから飛んでくる八咫烏が一羽。あの日と同じ光景だった。
八咫烏に乗って来たのは零であり、零は八咫烏から降りるとゆっくりと翼羽に歩み寄った。
「やっぱりここだったか」
「……零」
零の声に気付き、そっと顔を上げる翼羽。
「あの時と同じだね」
「あの時?」
「忘れちゃった? 九年前、私が零に嫉妬して屋敷を飛び出して……あの時も零が迎えに来てくれたんだよね」
「…………」
翼羽は再び俯き、苦悩を吐露するかのように膝を抱えた。
「ねえ零、あれから私ずっと考えた。ずっと悩んだ。でももう、どうすればいいのか分からないよ」
「……翼羽」
死にたくない、生きていたい、しかし不老になれば翅音の言ってたように、零や自分以外の皆が老いて死んでいくのを目の当たりにする。そしていつか一人きりになってもずっとその先を生き続ける事になる。それは、死ぬよりも怖いことだ。
不安に圧し潰されそうになりながら、声を震わせて感情を漏らす翼羽の隣に、零は黙って座り、寄り添った。
「翼羽……翼渡様が何で竜祖の血晶を飲まず、あの苦しみに耐え抜いたか解るか? もし翼羽に黒死翼病が発症したとしても、翼羽に希望を残したかった、翼羽に生きて欲しかったからだ」
「…………」
「俺も翼羽には生きていて欲しい……たとえどんな形でも」
だが、そんな零の言葉を拒絶するように、翼羽は声を荒らげた。
「勝手だよ零は!」
「解ってる。これは俺の独りよがりだ。ただ俺が翼羽と一緒にいたい、ただ俺が死ぬまで翼羽に側にいて欲しい。勝手で独りよがりで、ただのわがままだ」
「……零」
零の純粋で真っ直ぐな想いに、翼羽は顔を上げて目を潤ませた。
「本当は俺の方が側にいないといけないのに……駄目な近衛騎士だな」
すると零は言いながら照れくさそうに後頭部を掻き、そして続ける。
「けど俺は翼羽を一人にしたりしない。例え俺がよぼよぼの老いぼれになって死んでも、鳳龍院家は生き続ける。俺の意志は次の世代に引き継ぎ、次の世代の奴がまたその意志を引き継ぐ。鳳龍院家が生き続ける限り、俺はずっと翼羽の側にいる」
その言葉と同時に風で桜の花びらが舞い上がった。その幻想的な色の中で、零は優しい微笑みを浮かべた。どこか不器用で、どこかぎこちない。それでもどこまでも心強く、どこまでも温かかった。
例え見通せない未来だとしても、例え崩れ落ちそうな橋のように脆く儚い未来だとしても、翼羽はそれを信じたいと思った。そう思えた。
「ありがとう零。零はやっぱり凄いね。君はいつも私が前に進む勇気をくれる。前に進む力をくれる」
しかしそれでも翼羽は、未来に進む為の一歩を踏み出せずにいた。何故ならー―
「でも、それでも今回ばかりは進めない、進んじゃいけない。これは私だけの問題じゃない、天花寺家を敵に回せば鳳龍院家はきっと滅びてしまう、騎士達からも多くの犠牲者が出る、だから私は――」
すると零は立ち上がり、翼羽の手を取る。そんな零の突然の行動に翼羽は頬を赤くする。
「行こう翼羽」
「え? 行くって何処に?」
そしてその手を引いて何処かへと連れて行こうするのだった。
零は、戸惑う翼羽を八咫烏の黒天丸に乗せると、零も自身が乗って来た八咫烏に跨り、飛翔して翼羽を導いた。
※
二人が八咫烏に乗って辿り着いた場所、そこは鳳龍院家の屋敷であった。また、翼羽の帰りを待っていたかのようにその庭には鳳龍院家の騎士達が集結していた。
そして庭の端に八咫烏を降り立たせる零と、翼羽。
瞬間、鳳龍院家の騎士達が翼羽の元に集い次々と声をかける。
「翼羽様、青天目から病の事聞きましたよ、俺達の事考えて竜祖の血晶を飲むのを躊躇うなんて水臭いじゃないですか」
「天花寺家と戦うのが怖くて逃げだすような腰抜け、ここには誰一人おりません。それに翼羽様の為なら死ぬのなんて怖くない、ここに居る皆同じ気持ちです」
「翼羽様、俺達は皆味方です。翼羽様が不老になったとしても独りにならないように俺達の子供にも孫にもそのまた孫にもしっかりと教育を徹底しておきますから、ちゃんと敬えって」
「……皆」
すると翼羽の元に集う騎士達をかき分け、藤堂が翼羽の元に寄る。
「藤堂」
「翼渡様から騎士の育成を任されてから五年、私も他の家老騎士達も遊んでいた訳ではありません」
現在、鳳龍院家の騎士で竜域に入れる者は藤堂を含め五人にまで増えた。更に竜殲器の数は二十器増え現在七十器。対し密偵の情報では天花寺家には竜殲器がおよそ百五十器。確かに天花寺家は手強い、しかし勝負出来ない程の戦力差ではないと、藤堂は力強く言う。
「ましてやこちらには青天目 零がいる」
そして藤堂が零を持ち上げるような物言いをすると、零は少しだけ照れくさそうに頬を掻く。
「あまり買い被るな……と言いたいところだが、はっきり言って俺は強い、もはや竜殲の七騎士並みだと言ってもいい」
「おい、さすがに調子に乗りすぎだぞ青天目」
「うるさいな藤堂さん、俺だって言いたくて言ってる訳じゃない、水を差すな!」
零は咳払いをして藤堂に苦言を呈したあと、力強い眼差しで伝える。
「まあとにかく何が言いたいかというとだな――俺達は天花寺家なんかに簡単に負けないという事だ」
心強さで胸が一杯になった。温かさで心が満たされた。そこに一切の不安は無く、溢れ出る感情、目に溢れる涙。しかし翼羽は決して涙を零す事はしなかった。
「ありがとう皆……ありがとう零……」
「あとは翼羽次第だ、俺達は翼羽の選択に従う。翼羽がどんな選択をしようと俺達はそれを尊重する」
その瞳からはもう、迷いは消え失せていた。
「私も覚悟を決めた」
すると、翼羽は腰に差していた羽刀を手にして、その柄頭を抜き、中から竜祖の血晶を取り出すと、一息に飲み込んだ。次の瞬間、翼羽の全身が脈打つように熱くなり、胸元から激しい光が放たれる。
そして翼羽が自身の胸元を確認すると、黒い翼の痣は消え去っていた。自分の体に纏わりつくような重苦しさが抜けて身が軽くなり、黒死翼病が治った事を自覚した。
直後、翼羽はその場に居る全騎士に向け、声を上げる。
「これで天花寺家との和睦の道は消え去った。これより天花寺 神鷹から受けた求婚の申し出に対する断り状を送る。宣言通り神鷹はこの東洲に打って出るだろう。だが私達は誇り高き鳳龍院家の人間だ、例えどんな脅威が降りかかろうと決して怖気づき、屈したりはしない」
翼羽は深く目を瞑り、力強く開け放ち、言う。
「鳳龍院家七代目当主、鳳龍院 翼羽が命ずる。命ある限り戦い抜き、鳳龍院家を……この東洲を守り抜け!」
言い終えた瞬間、翼羽はどこか照れくさそうに頬を掻きながら呟く。
「こ、こんな感じかな」
瞬間、騎士達の凄まじい咆哮に須賀の里が、いや東洲が震えた。そして冷めやらぬ熱気と熱情にその場が包まれる。
翼羽の生きるという選択と、その魂のこもった演説が騎士達の士気を最高潮にしたのだった。
また零はそんな翼羽の姿を見つめながら、誇らしげに表情を綻ばせた。
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