134話 想いを受け継ぐ者達
それを聞き、驚いたように目を見開く翼渡。
「知っていたのかい?」
「見くびらないでください。私は父様の娘なのですよ、これ程一緒に父様と過ごしてきて気が付かない程、私が鈍感だと思っていたのですか?」
翼渡はずっと隠そうとしていたが、翼渡が病に臥せるようになってから、翼羽は密かに黒死翼病について、独自に調べを尽くしていたのだ。
すると、暫く黙って話を聞いていた零が思わず尋ねる。
「一体何なんだ? その黒死翼病というのは?」
直後、翼渡は自身の服の上衣を少しだけはだけさせ、胸元を露わにさせる。その両胸元には黒い翼のような形の痣が刻まれていた。
それを見て驚く零と、おもむろに語る翅音。
死者の怨念が聖霊の意思を介し毒となった怨気。通常、齢十を迎えた子供は怨気封印率が生涯で最も高くなり、封怨の神子という人柱に使われる。だが、黒死翼病の発症者は常に怨気封印率が高い状態が幾年も続き、自浄作用を超えて体内に怨気を溜め込み続けてしまう。そして体内の怨気含有率が上がるにつれて体を蝕み、やがては死に至る。
そして黒死翼病の場合は発症と同時に胸の辺りに薄く黒い翼の痣が刻まれ、進行と共に色が濃くなっていく。
翅音の説明で、零と翼羽が再び翼渡の胸元に視線を向けると、その痣の色は既に漆黒に近いそれへと染められていた。
「何故です? 何故父様はずっと黒死翼病の事を隠し続けたのですか!? 何故私に打ち明けてくれなかったのですか!?」
翼羽がたまらず叫ぶ。翼渡が病の事を隠し続け、何も伝えてくれなかった事が寂しく、そして何よりも悲しかったからだ。
すると、終始置物のように翼渡の部屋に座していた飛美華が、初めて口を開いた。
「お主のためじゃ、翼羽」
「……婆様」
「調べたのなら知っている筈じゃ。黒死翼病は遺伝性の病。翼渡に発症したのなら、翼羽……お主にも発症する可能性があるという事」
発症は勿論絶対ではない、黒死翼病の発症者の血を引いていたとしても生涯発症しない者も勿論多くいる。しかしいつ己に発症するか分からないという恐怖に震える、翼渡は最愛の娘にそんな絶望を与えたくなかったのだ。
飛美華の発言に、翼羽は黙って俯き、零は呆然とした。
すると、飛美華の話を黙して聞いていた翼渡の頬に、静かに涙が伝う。
「……すまない翼羽」
「どうしたのです父様? どこか痛むのですか?」
「私のせいで君には重い運命を背負わせてしまった。私がこんな病にかかったばかりに、私の娘として生まれたばかりに」
震える声で自責の念を吐露する翼渡に、翼羽もまた両目を涙で溢れさせ、翼渡の手を握り締める。
「何を言うのですか父様!」
黒死翼病が遺伝するとしても自分に発症するとは限らない。しかも自分は、発症するかも分からない病などに震える程弱い女ではないと、毅然と言い放ちながら、続けて優しさと慈愛に満ちた眼差しを翼渡に向ける翼羽。
「それに……私は父様の娘として生まれる事が出来て幸せです。例え何度生まれ変わろうと、私は父様の娘でありたい」
「ありがとう……ありがとう翼羽」
二人は寄り添いながら泣きあった。今あるこの時を噛みしめるように、その温もりを確かめるように。
それからしばしの時が過ぎ、心を落ち着かせた翼渡は、翼羽と零に言う。
「翼羽と零に託したいものがあるんだ、まずは翼羽に」
直後、翼渡の意を察したように、翅音が傍らに置いていた一本の羽刀を翼羽に差し出す。
「翼羽が例え騎士の道を諦めるのだとしてもこの羽刀は常に持っていてほしい。もし絶望が訪れたとしてもきっと君を守ってくれる」
「父様……私が騎士を辞める事を知っておられたのですか?」
翼羽が騎士として歩む事を断念したのを知っているのは今のところ零だけであり、翼渡がそれを知っていた事に翼羽は驚きを隠せなかった。
「ははは、私は翼羽の父だよ、顔を見れば何となく分かるよ。でも恥じる必要はない、君は君が決めた道を信じて進めばいい」
「父様……はい」
続いて、翼渡は零の眼を真っ直ぐに見た。
「そして零、君には私の天十握を託す」
「あの宝剣を」
「ああ、君ならきっと使いこなせるだろうからね。そしてもう一つ、君には翼羽の近衛騎士になってほしい」
そんな突然の提案に対し、僅かに動揺する零。
「俺が……翼羽の近衛騎士に?」
「まあ今までとあまり変わりはしないと思うけど、そういう肩書きは大事だからね、近衛騎士になる以上は今までよりももっと翼羽の事を側で支えてあげてほしいんだ」
それを聞き、零はためらう事なく、淀みのない声で答える。
「はい、この命に代えても」
すると、零を見ながら翼羽は頬を赤くして、どこか恥ずかしそうに俯いた。そんな二人の様子を見ながら微笑ましそうにする翼渡。
「これで伝えなくてはならない事は全て伝えたつもりだ。この先乗り越えなくてはならない様々な困難が待ち構えていると思うけど、今日から翼羽が鳳龍院家を導くんだ」
「私が……鳳龍院家を」
「そう、これより翼羽に当主代理の権限を与える」
当主代理、突然命じられたその響きにまだ実感が湧かない内に、飛美華が宣言した。
「五代目当主、鳳龍院 曉渡が妻、鳳龍院 飛美華が立会人を務める。これより、六代目当主代理は鳳龍院 翼羽である」
次第に湧き上がる現実感。そしてその重責に圧し潰されそうになる翼羽に、翼渡がそっと伝える。
僅かに灯る小さな希望だとしても、想いを捨てぬ限り不滅だ。決して恐れるな、決して背を向けるな、振るってきた刃のように、照らし続ける炎のように、潰えぬ思いを抱いて進め。
それは翼渡に贈られた和羽の詩の意訳であった。それはきっと翼渡なりの解釈なのだろう。だが、翼羽はその言葉に和羽の願いと、そして翼渡の想いを垣間見た。
「当主代理の任、確かに承りました」
心に溢れる温かさと、心強さを抱きながら翼羽は前へと進むのだった。
※
その後、翼渡を休ませる為、四人は翼渡の部屋を出た。そしてそれぞれが各々の場に戻るのだったが、翼羽だけが飛美華に呼び止められた。
「翼羽、お主が当主代理とはいえ、老婆心ながらのわしの小言を心に留めてほしい」
「……婆様」
すると神妙な面持ちで、しばし口を噤んだ後、飛美華が言う。
前回の七歩蛇の襲撃、そして此度の上位魔獣による里の壊滅。確かに完全に尻尾を出していないが答はもう出ている。もはや天花寺家の行いは看過出来ない所まで来た。
これ以上、天花寺家を野放しにすれば東洲に取返しが付かない犠牲が出る。もし戦力で鳳龍院家が天花寺家に勝利する可能性があるとすれば、先制や奇襲を駆使し一気に敵を叩くしかない。機会を誤ればそれこそ取返しが付かなくなる、と飛美華は厳しい口調で告げた。
天花寺家への報復。そして戦。それを打診する飛美華に対し、翼羽は目を伏せてしばし考え込むように黙りこくった後、真っ直ぐに飛美華の目を見て返す。
「婆様、父様から先の話を聞いた今、私は天花寺家に打って出る事は出来ません」
「なに?」
翼羽は淀みの無い声で続けた。鳳龍院 素戔嗚と天花寺 建御雷に倒された八岐大蛇が復讐の為に転生し八神 咬真として再び鳳龍院家に牙を剥き、そのせいで母である和羽が死に多くの騎士が死んだ。そしてその戦いで命を落とした夜刀神が復讐の為に転生し、今鳳龍院家を狙っていると。
「一体いつまでこの連鎖は続くのですか? 争いは何も生まない、禍根を残し、怨嗟の渦が廻り続ける。だからどこかでその連鎖を断ち切らねばならないのです」
「ならばお主は、この東洲が滅びるのを指を咥えて見ているというのか?」
「そうは言っておりません、ですが元竜といえど神鷹も今は人。もし戦い以外の道があるのなら私はそれに賭けてみたいのです。婆様、どうかもう少しだけ猶予を与えてはくれませんか?」
翼羽は、懇願するように飛美華に頭を下げた。それを見て、軽く嘆息すると飛美華が翼羽に背を向ける。
「わしはとうに隠居した身。当主代理であるお主が決めた事ならわしは何も言うまい」
そして、翼羽の意志を尊重するような発言をしつつ、その場を去っていった。
そんな飛美華の背中に、翼羽は深く礼をした。
「ありがとうございます、婆様」
※
その後、自室にて着替えを行う翼羽。騎士の道を諦めた翼羽はもうその衣服を着る事はないからか、どこか感慨深げな表情で羽装を脱ぐ。
すると、上衣をはだけ露わになる胸元……そこには薄っすらと黒い翼の痣が刻まれていた。
※
それから数日後。翼渡は眠るように静かに息を引き取った。鳳龍院家六代目当主の死は、鳳龍院家及び東洲、そして天花寺家及び西洲に激震を走らせた。
発表、葬儀、七代目当主即位の準備、あらゆる対応に追われ、悲しむ暇も無く翼羽は当主代理としてそれらをこなしていく。
また、表向き上は二大門閥として対等の立場にあり、良好な関係にある筈の天花寺家は使者ですらが葬儀に現れる事は無かった。
しかしそれでも翼羽は、当主代理の名で天花寺家に対し、友好条約の場を設ける事を提案し書状を送り続けたが返答は無く、西洲に対し使者を送るも門前払いであった。
だが、しばらくは東洲に魔獣の襲撃も無く、平穏な日々が続くのだった。
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