130話 上位魔獣 牛鬼
一週間後。
その日、鳳龍院家に激震が走る。
西洲側から山を越えて出現したとある一体の魔獣が、東洲にある相武の里を襲い、里を壊滅寸前に陥れているとの情報を鳳龍院家の騎士達が得たからだ。
相武の里を襲っているその魔獣の名は牛鬼、かつて百年以上前に西洲に出現し、いくつもの里を壊滅させたという恐ろしい魔獣である。
そしてその報告を受けた零や翼羽、鳳龍院家の騎士達は屋敷の大広間に集結していた。
騎士の一人が眉間に皺を寄せて呟く。
「……まさか、あの牛鬼がこの東洲に出現するとは」
牛鬼は上位魔獣に分類される程の魔獣。この百年、那羽地には上位魔獣の出現は無かった。七歩蛇の群れはともかくとして、天花寺家が上位魔獣の牛鬼までをも従えることが出来るのだとしたら、それは正に脅威である。
すると、不測の事態にざわめきが収まらない大広間に、藤堂の喝が響く。
「今は四の五の言っている場合ではない。このままでは相武の里が壊滅するのは時間の問題だ。すぐに牛鬼の討伐に向かうぞ」
百年振りに現れたという上位魔獣の討伐。その恐怖からか尻込みするように互いに顔を合わせながらざわつく騎士達。すると藤堂はその様子を見て呆れたように溜息を吐きながら、その場に居る零に視線を向ける。
「青天目、この牛鬼の襲撃は天花寺家の罠かもしれん。ここで討伐に大きく戦力を裂けば鳳龍院家が……須賀の里が危険に晒される。故に俺はここを離れる訳にはいかん」
「…………」
「騎士を二十名と陣太刀を二十振り程従えさせる、その戦力で牛鬼の討伐を頼めるか?」
「……いや、いい」
しかし、零は藤堂の申し出を即座に断り、零からの想定外の答えに藤堂は怒りを露わにするように叫びかけた。
「なっ! まさかお前まで臆したというのか青天目!?」
対し、零は嘆息混じりに返す。
「早とちりするな藤堂さん。討伐には行く、だが俺一人で十分だと言っているんだ」
そんな零の不遜な物言いに、藤堂も、そして翼羽も唖然とせざるを得なかった。
「零、何を考えているの? 上位魔獣相手に一人で挑もうなんてさすがの零でも無謀が過ぎるわ」
すると零は、そんな翼羽の懸念を払拭するかのようにすぐに返す。
「上位魔獣は竜に近い力を持った魔獣だと昔学んだ。つまり上位魔獣と言えど竜には及ばないという事だ」
「それは……そうだけど」
零は淀みの無い口調で言う。遥か昔この世界の騎士は生身で竜と戦っていた。鳳龍院家と天花寺家の始祖、鳳龍院 素戔嗚と天花寺 建御雷もかつて強大な八頭の竜を生身で倒して那羽地を開国した。竜殲騎を使って上位魔獣程度一人で倒せないようでは自分は所詮並の騎士止まり、それではいつまで経っても翼渡を超える事は出来ないのだと。
零の言葉に、並々ならぬ覚悟と……そしてどこか焦りにも似た感情を感じ取る翼羽。その根源が何であるのか、翼羽には痛い程に理解出来た。
翼羽は一人、悲哀に満ちた表情で沈黙した。すると藤堂が零に命じる。
「わかった、そこまで言うのならばお前に任せる。これより相武の里へと向かい、牛鬼の討伐を行え」
「ああ、承った」
零は冷静に返事をすると、羽織を翻し大広間を出る。そして自身の竜殲騎が格納されている蔵へと足を急がせた。
蔵には既に翅音が待機しており、零の竜殲騎 陣太刀の出陣準備が整えられている。
「よう零、牛鬼討伐に行くんだろ? 他の騎士達はどうした?」
牛鬼討伐の件を事前に藤堂から知らされ、二十振りの陣太刀の出陣準備をしていた翅音は、蔵に訪れたのが零一人である事を疑問に思い尋ねた。
「いや、今回の牛鬼討伐は俺一人で行く。今はこの須賀の里に少しでも戦力を残しておきたいからな」
するとそれを聞き、翅音は腕を組んで何かを考察するように天を仰いだ。
「上位魔獣を量産剣一騎で倒すか……ちと無謀だが、もしお前に〈竜殲の七騎士〉並の力があれば決して出来ない事じゃねえ」
竜殲の七騎士とは、神剣と呼ばれる竜殲騎を用いて竜祖セリヲンアポカリュプシスを倒して竜族を滅ぼし、〈剣と黒き竜の火〉と呼ばれる人竜戦役を勝利に導いた騎士達のことであり、それぞれが伝説的な力を有していたと語り継がれている。
零にとってそんな竜殲の七騎士は、確証こそ無かったものの、とかる一つの指標となっていた。
「翅音さん、翼渡様の強さはそいつらと比べてどのくらいの位置にあると思う?」
「な、何でそんな事俺に聞くんだよ?」
「いや、何となく」
不意に振られ、少しだけ動揺したような様子を見せる翅音であったが、すぐに冷静な口調で忌憚の無い意見を述べた。
翼渡が全盛期の頃であれば恐らく、竜殲の七騎士と同等の力を持ってたと思うと。
「……そうか、なら尚更負ける訳にはいかないな」
零はそう言いながら、翅音に背を向けると、自身の陣太刀へと向かって歩き出す。
「あ、おい、ただの勘だぞ」
「ああ、それで十分だ」
零の背中に向かって念を押すように叫ぶ翅音に、零は背を向けたまま返すと、片膝を付いて佇む陣太刀の操刃室へと跳び乗り、鎧胸部を閉鎖した。
零が操刃柄を握り、核となる聖霊石に刃力が供給されると、陣太刀の動力が起動し、その双眸に光が点る。
「青天目 零 陣太刀 出陣する」
次の瞬間、蔵の天井が開放され、蒼い騎装衣を形成させた零の陣太刀が空へと飛び立った。
幼少の頃、翼渡に拾われてから、零は翼渡を超える騎士を目指して来た。翼渡の背中を追い続け、恩人でありがながら目標でもある翼渡という大きな壁を乗り越える事に尽力した。
そして三年前、病に臥せる翼渡と約束した。翼渡を超える騎士になると。
しかし、零は未だ自身がそれを成し遂げられたとは思っていない。四年前を最後に、翼渡と直接剣を交える事が出来なくなっていた事もその要因であり、今回の上位魔獣討伐は零にとって自分の成長度合いを測る絶好の機会でもあったのだ。
先程翼羽が零から感じ取った焦りの感情。それは……翼渡がもう長くない事を零が心の何処かで確信していることから来るものであったのだ。
――それから、零が相武の里に向けて陣太刀を飛翔させている時。零の陣太刀の操刃室に翅音からの伝声が入る。
『おい零』
「何か用か翅音さん?」
『一騎、陣太刀がお前さんの援護に向かったから知らせておくぞ』
それを聞き、零は不服そうに返答する。
「なっ、俺は一人で十分だと言ったぞ」
『なこと言われてもよ、どうしても自分も行くって聞かねえもんだからよ』
「……誰だよ、その分からず屋は」
零が嘆息混じりに漏らしていると、伝声と同時に晶板に伝映が送られてくる。そこに映し出されたのは……
『誰が分からず屋よ』
その声と映し出された顔を見て、唖然とする零。
「翼羽、何でお前が?」
その問いに、今度は翼羽が不服そうな表情で返答する。
『一人でやるとか、一人で十分だとか、何で零はいつもそうやって一人で前に行っちゃうの?』
「……翼羽」
『零はきっと、何か考えがあって、何か想いがあって今回の討伐を一人でやろうって決めたんだと思う』
「…………」
『でも、私にだって想いはある。私にだって願いはある。零は言ってくれたよね? 一緒に強くなろうって、一緒に父様を超えようって』
翼羽の言葉を零はただ黙って聞いていた。そしてその瞳からはどこか決意と覚悟を秘めたような意志が感じられた。
『私はこの戦いで改めて確かめる、自分に何が出来るのか。そして決める、自分のすべき事を……自分の進むべき道を』
以前から零は翼羽から薄々と感じていた。そしてここ最近はそれが確信に変わりつつあった。二人で少しずつ前に進んだ。二人で少しずつ強くなっていった。そう思っていた。だがきっと翼羽は、この戦いで一つの区切りを付けようとしているのだと。
『だから行かせて、この東洲を守る為にも、そして自分の為にも』
「……分かった」
零が静かに承諾すると、翼羽はそっと微笑んだ。
「ところで翼羽、この件藤堂さんには?」
『えっと、事後報告ってことで』
それを聞き、また騒ぎになりかねないと零は頭を抱えるのだった。
130話まで読んでいただき本当にありがとうございます。
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誤字報告も大変助かります。これからも是非この作品を宜しくお願いします。