126話 活かすは無の中の深奥で
すると、それを見た男は血振りの所作をした後、感心したように言う。
「ほう、今のを躱すとは良い反応だ……だが光を失っていた方が楽に死ねたものを」
直後、男は浪人傘を僅かに上げ、その眼を露わにさせた。次の瞬間、その額に剣の紋章が輝き、瞳が妖しく淡い光を放つ。
――何だこの眼? 嫌な予感がする。
零は身の毛もよだつようなその視線を受け、咄嗟に視線を切る。しかし、零は気付く。自身の体の自由を奪われている事に。
すると男は再び浪人傘で顔を隠すと、斬馬羽刀を深く後方へ構えた。にもかかわらず、零は金縛りにあったように身動きを取る事が出来ない。
――動け、動け、動け、動け!
直後、男は一瞬で零の背後を取り、後ろ向きのまま斬馬羽刀の刀身を零の首元に掛けた。
「冬花・縊椿」
そしてそのまま自身の方向へと刃に力を込め、頸部を切断させようとする。だが、その刃は何かに遮られ、その一撃は止められていた。
零は寸前の所で体に自由が戻り、羽刀を男の斬馬羽刀と自身の頸部の間に入り込ませ、紙一重で攻撃を受け止めていたのだ。
その後、零は身を屈めて斬馬羽刀の刃を潜り抜けると、振り向き様に横薙ぎを放った。男はそれを前転しながら躱すと、すぐさま立ち上がり、再び零と対峙する。
竜域に入ってなお、苦戦を強いられる零。翼渡以外で初めて自分と対等以上に戦う騎士との出会いであった。
「これが噂に聞く竜殲術……聖衣騎士とやらの力か」
「ふっ、あの程度しか術が効かんとは、貴様随分と優れた刃力量を持っているようだな」
その言葉を聞き、零は勘づく。
「なるほど、刃力量の大小がお前の術の効力を決めるという事か、そして視線を合わせさえしなければ術そのものが発動しない」
確証を得る為の零の揺さぶりに対し、男は口の端を上げる。
「僅かなやり取りでもう術の特性を理解するか。賢く、鋭く、そして何より強い。だが……」
言いながら男は浪人傘を僅かに上げ、両眼を露わにさせると、翼羽の方に視線を向ける。それを察した零は焦ったように振り返り、翼羽に向かって叫んだ。
「翼羽、奴の眼を見るな!」
しかし、既に発動を完了させていた男の術により、翼羽の目から光が消えた。
「くっ! 翼羽しっかりしろ、目を覚ませ!」
必死に呼びかける零。しかしその声が届く様子は無く、翼羽はゆっくりと短刀を構え、そして――
「翼羽!」
翼羽は零に向かって短刀を振り抜く。それを躱しながら尚も呼びかけ続ける零。
「俺だ翼羽、翼羽!」
翼羽からの攻撃を幾度となく受けながら、躱す事しか出来ない零を男は口の端を上げながら眺めていた。
「無駄だ、騎士になりきれぬ憐れな小娘如きにこの術は解けん」
次の瞬間、零は翼羽の一撃を躱しざま剣の柄で後頸部を殴打し、それにより翼羽は崩れ落ちるように倒れ気を失う。
すると零は翼羽を抱きかかえ、小道の端にそっと寝かせると、怒りに震えるような表情で男を睨み付けた。
「貴様は殺す」
しかし皮肉にも、その瞳は通常のものへと戻ってしまっていた。無の極致へ至る必要がある竜域、怒気や殺意などの雑念はそれを阻害してしまうからだ。
「ふっ、怒りのせいで竜域が解除されているぞ。それとも自分の大切な者を傷付けてしまった己への不甲斐なさ故か? なあ青天目 零」
男は何故か零の事を知っており、皮肉交じりに尋ねた。だが零からは既に怒気や殺気は消え失せていた。弾けそうな感情を瞬時にを払い、無へと至る。
そして零は深く息を吸いながら目を閉じーー開眼と同時に再び竜の瞳へと成った。
「怒りは糧、憎悪は力、それでも秘めろ、そして無の中の深奥で燃やし、活かせ。それが俺の師の教えだ」
直後、零が持つ羽刀の刀身が光を帯びる。
「都牟羽 零式 憑閃」
零は輝く刀身の羽刀を構えながら、瞬時に男との間合いを殺した。
そして渾身の一撃を振り下ろす。
「なっ!」
すると、斬馬羽刀に比べれば矮小な筈である零の羽刀による一撃で、男は膝を付く。
――重い!
男は驚愕する。零が放った一撃の鋭さと重さに。気を抜けばただちに刀身が切断されるであろう切れ味を帯びた羽刀を、それでも尚、男は絶妙な力加減で受け止め続けた。
刹那、零は僅かに距離を空け、横薙ぎ一閃。
「ぐうっ!」
その凄まじい一撃を受け流し切れず、左後方へと吹き飛ぶ男。更にそこへ零の追撃が放たれた。
それは闇を切り裂くが如く飛翔する光の刃である。
「……都牟羽 壱式 飛閃」
そこには剣を振り切った所作の零が居た。そして空中で身を翻し、光の刃を寸前で躱していた男であるが、かぶっていた浪人傘は真っ二つに切断され、その顔を曝け出していた。
男は、黒い髪を後ろで結った零と同い年程の少年であり、その眼はまるで蛇の如く鋭く、闇を孕んだかのような暗き瞳であった。
背後から眩い月光を浴びながら、少年が言う。
「諷意鳳龍院流秘伝 都牟羽か……鳳龍院家にもまだこれ程の騎士が居たとは想定外だが、そうでなくては面白くない」
言いながら少年は、斬馬羽刀を腰の鞘に納める。
「いいだろう、今日の所は退いてやる。また相まみえる日を楽しみにしておくぞ小僧」
「逃げられると思っているのか!」
撤退を示唆する少年を見て、零は連続で光の刃を放ち追撃する。
だが少年は光の刃を躱しつつ、まるで闇夜に溶けるかのように静かに、素早く、その場から姿を消した。
「ちっ!」
そして、敵を討ち損じた事に歯噛みしながらも零は羽刀を腰の鞘へと納め、竜域を解除した。
※
こうして何者かによる襲撃を退け、零は気を失って倒れる翼羽を背負って屋敷へと戻った。
屋敷へと戻ると、翼羽が屋敷を抜け出した事、翼羽が何者かに襲撃された事、翼羽が気を失っている事、それらが知れ渡り案の定大騒ぎへと発展した。
翼羽は屋敷に戻ってからすぐに目を覚ましたものの、翼羽を屋敷から連れ出した事、翼羽を危険に晒した事で、零は藤堂やその他家臣達から激しく責め立てられ、今回の件の報告と同時、その処分を翼渡へと一任されるのであった。
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