124話 夏祭り
それから数日。
祭りは三日後に迫っていた。練習であろう囃子の音、飾られる提灯、並び始める屋台。活気付き、賑わう城下とは裏腹に翼羽の心は沈んでいく。
元気だった父と行った祭りの情景、その思い出が否応なしに頭を過ってしまうからだ。
「それじゃあ私は、父様の様子を見に行ってくるから」
騎士としての稽古と任務を終え、翼羽は今日も翼渡を見舞う。そこに向かう翼羽の背中を、零とたまたま居合わせた雪加が見送る。
するとそんな翼羽を遠目で見ながら雪加がぽつりと呟いた。
「翼羽様……やっぱり最近元気ないっすね」
「翼渡様がこういう状態なんだ、無理もない」
どこか他人事のように冷静に言い放つ零。そんな零を、雪加は憤りを露わにするように鋭く睨み付けた。
「青天目、お前そんな平気そうな顔で何を冷静に!」
しかし、零は拳を強く握り締め、感情を溢れ出させるかのように叫ぶ。
「平気な筈が無いだろ!」
「……青天目」
俯き、雪加に背を向けながら続ける零。
「翼渡様も、翼羽も、俺に生きる道を与えてくれた恩人だ。二人の苦しむ顔も悲しむ顔も見たくなんてない、でも……俺に出来る事なんて何も無い」
直後、無力に打ちひしがれるように、力の無い声で漏らす零の背中に雪加がそっと言う。
「本当にそうなんすか?」
その問いに口を噤み、何も返せずにいる零に、雪加は更に問い掛ける。
「青天目は何で鳳龍院家の騎士になったんすか?」
「……俺は、初めは翼渡様を倒したくて騎士になった」
「初めはっすか?」
そして零の本音を、心の奥の想いを引き出そうと、雪加が強調して尋ねた。
「今は、翼渡様の為に鳳龍院家を――」
言いながら、零の脳裏に翼羽の笑顔が過る。何の為に? 何故? そう自問する度に幾度となく過る。自分に零という字を送ってくれた日、葉桜の木の下で一緒に強くなろうと約束した日、鳳龍院家の正式な騎士として認められた日、初めて竜殲器を与えられた日、翼羽が浮かべた笑顔を、それを見る度ある決意をした自分を思い出す。
――ああ、そうか。
「俺は……翼羽の笑顔を守りたくて」
気付いたように呟く零を見て、にやにやと意地悪そうな笑みをこぼす雪加。
「なら、今やる事は一つなんじゃないっすか?」
※
三日後、祭りの当日。夕が焼け始める時刻。この日も翼羽は翼渡を見舞った後、部屋を出た。
屋敷まで届く囃子の音が、どこか寂しく響き渡るのを聞きながら翼羽は自室へと向かう。
「翼渡様の具合はどうだ?」
すると廊下の曲がり角から現れた零が不意に尋ねる。
「零……うん、今日は比較的調子が良くて、一日縁側に座って祭りの雰囲気を楽しんだって言ってたよ」
それを聞き、零は少し安堵したような表情で返した。
「そうかよかった。なら心置きなくいける、準備をしてきてくれ翼羽」
そんな零の突然な発言に戸惑う翼羽。
「い、行くって何処に? 準備って何の?」
「祭りに決まってるだろ」
祭りに行く、再び突拍子も無い発言をする零に対し、翼羽は目を丸くさせて動揺した。
「ちょ、ちょっと待ってよ零、私は父様抜きで祭りに行く事は禁止されてるんだよ?」
そんな翼羽に零は冷静に告げる。それは、これまで翼渡以外に翼羽を守れる騎士が居なかったからであり、しかし今の自分なら鳳龍院家で翼渡の次に剣の腕が立つ。であれば、今の自分なら翼羽を守れると。
自惚れではない、不遜でもない、そんな零の事実を告げるような淡々とした物言いを聞き、翼羽は翼渡の言葉を思い浮かべる。
《ただ、私に匹敵する騎士が守ってくれるというのなら話は別なんだけどね》
「行きたいんだろ、城下の祭りに。翼渡様だって辛いのを我慢する翼羽の顔は見たくない筈だ」
零の説得に、翼羽は口を噤み、背を向けた。
「一つだけ訂正しておきたいんだけど、私だってもう立派な騎士なんだからね、別に誰かに守ってもらわなくたって祭りくらい楽しめるんだから」
すると翼羽は不意に振り返り、目を背けながらどこか照れを隠すかのように続ける。
「ただ、どうしても零が祭りに行ってみたいって言うんなら、付き合ってあげてもいいけど」
そんな翼羽を見て、零は小さく笑みを浮かべた。
「ああ、ならそういう事でいい。じゃあ翼獣舎の裏辺りで待ってるぞ」
その後、翼羽は自室にて赤い浴衣に着替えると、後ろの髪を上げ、和羽の形見ではなく、昔父に買ってもらった紫陽花の髪飾りを着けた。
父の言い付けに背く罪悪感か、二年ぶりに祭りに行けるという高揚感からか、胸が高鳴り顔が熱くなる。翼羽は得体の知れない感情を振り払うように頭を振ると、部屋の戸を開け、辺りの様子を見回し、人気が無い事を確認しながらこっそりと翼獣舎へと向かった。
そして翼獣舎の裏に立っている零を見つけ声をかける。普段見せない珍しい恰好の自分にどんな反応を見せるか、淡い期待を抱きながら。
「お、お待たせ」
「ああ。よし、じゃあそこの塀を越えて行こう」
すると零は、特に翼羽の浴衣姿に反応している様子もなく塀の方を向いた。すると、零の期待外れな態度に翼羽は頬を膨らませ、肩の辺りをぽかぽかと叩く。
「な、何だいきなり? 痛いだろ!」
そんな翼羽の行動に、零は困ったような顔で戸惑うのだった。
その後、二人は塀を乗り越え、こっそりと屋敷を抜け出すと、祭りが開催される城下町へ向かう。
薄暗く涼しい夕闇の中、町の至る所に付けられた提灯に灯が点り、遠くで聞こえていた祭囃子の音が熱を帯びる。道は様々な屋台が建ち並び、祭りを楽しむ数多の人々が行き交っていた。
「……わあ」
そんな光景を見て、翼羽は心を躍らせた。かつて毎年見ていた景色、聞いていた音、嗅いでいた匂い。それらが楽しかった記憶を蘇らせる。そして一つの屋台を見つけると、翼羽は零の袖を引いた。
「ねえ、あそこに行ってみよう」
「お、おい」
子供のようにはしゃぐ翼羽にたじろぎながら、零はほっとしたように顔を綻ばせた。
二人が向かったのは金魚すくいの屋台、大きな桶の中には無数の金魚が泳いでおり、お椀と薄い紙が貼られた円形のすくい枠を渡され、零は首を傾げた。
「何だこれ?」
「これで金魚をすくってこのお椀に入れるんだよ。何匹すくえるか勝負しよ」
「え、これでか? 無理だろ、紙だぞこれ」
薄い紙が貼られたすくい枠を水に入れる。零は“破れる”という分かりきった結果に挑戦する事に対し訝しんだ。
「まあまあ、とりあえずやってみなよ」
翼羽に促され、零はとりあえずすくい枠を水の中に入れ、金魚をすくおうとした。瞬間、貼られた紙は一瞬で破れる。
「まあ、そりゃそうだろうな」
枠だけになったすくい枠を見ながら、零は小さく嘆息した。そしてふと横を見て驚愕する。
たった今破れたすくい枠と同じ物を使い、翼羽が何匹もの金魚を器用に椀に入れていたからだ。
「そ、そんな馬鹿な」
信じられないといった様子で目を丸くする零を見て、翼羽は勝ち誇ったように不敵に笑んだ。それを見て零は闘争心を燃やす。
「親父、もう一つ!」
その後、零は金魚すくいに五回程挑戦するも、一度も成功する事はなく、対し翼羽は最初の一つのすくい枠で、十匹もの金魚をすくい上げていた。
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