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119話 零という意味

 それから、レイに暫く読み書きを教えていると、翼羽はふと気になっていた事を口にする。


「そうだ、そういえばレイってどういう字なんだろ?」


 するとレイは、筆を止めずに答える。


「あいつらは“どれい”という言葉から、俺にレイと名付けたと言っていた」


 特に気にする様子もなく、文字を書き続けるレイに、翼羽は唖然とした表情で顔を覗き込んだ。その名が、あまりにも悪意に満ち溢れていて、驚愕と憐憫が同時に巻き起こったからだ。


「奴隷!? レイってこと? な、何よそれ!」


「別に、どうでもいい」


「どうでもいいって、そんなの……そうだ!」


 すると翼羽は何か閃いたと言わんばかりに、掌を叩いてみせた。


「あなた改名しなさい」


「かいめい?」


「名前を変えるの、私がいい名前考えてあげるから、ねっ?」


 すると、レイはその提案に対し、筆を止めて「嫌だ」とかぶりを振った。


「俺はずっとレイと呼ばれていた。それ以外の名なんて受け入れられない」


「あ、あんな奴らが付けた名前なのに?」


 絆も無い、情も無い、ただ利用されていただけの関係であった野盗が付けた名、その名前に拘るレイを、翼羽は不思議そうに見つめた。すると、レイは少しだけ口を噤んだ後で返す。


 レイという名前は……自分に残されている数少ない記憶の一つなのだからだと。


 それを聞き、翼羽はハッとする。両親の記憶も、故郷の記憶も、自身の名前の記憶も無い。


 自分が自分である為の大切な証を持たないレイ。そんなレイにとって、例え侮蔑の意味が含まれていたとしてもこれまで自分が自分であると認識してきた名がどれだけ大事なのかを理解し、同時にその境遇を憂いた。そして、翼羽はそれを踏まえて新しい提案をする。


「ならせめて、字は私が考えてあげる、それならいいでしょ?」


「字を?」


「そ、あなたはまだ平仮名も書けないから、見ても解らないだろうけど」


 言いながら翼羽は筆を取り、紙に“零”という文字を書いた。


「零、あなたの名はれいよ」


 翼羽が書いたその一字を、レイはただ不思議そうに見つめた。


「……零」


 この字には二つの意味がある。一つは静かに降りしきる雨という意味、翼羽がレイと出会ったあの日、青天の中温かな雨が静かに降っていたからぴったりだと翼羽が説明する。


「もう一つの意味は?」


「ぜろ、という意味」


 それを聞き、レイは意味を理解したのか複雑そうな表情を浮かべた。


「俺が……空っぽだからか?」


 しかし、翼羽はすぐにそれを否定した。


「違う!」


「…………」


「あなたの人生はここから始まるの、ぜろから、一歩ずつ前に……そういう意味を込めて」


 するとレイは、翼羽の言葉を胸に刻むようにしばし呆けると、そっぽを向いて返す。


「ああ、ならそれでいい」


 そして、何処か照れを隠すように、れいはすぐに机の方を向いて零という文字の書き写しに没頭した。





 それから約一か月の時が経ち、翼羽と零の姿は屋敷の道場にあった。


 あれから、翼羽は零に自身の知識で出来る限りの読み書きを教え、零もある程度の読み書きが出来るようになっていた事から、午前の間は翼羽も零と共に手習師匠と呼ばれる教え手から学問を学び、午後は約束通り翼渡から剣の稽古を受けていた。


 諷意鳳龍院ふういほうりゅういん流と呼ばれる鳳龍院家に伝わる流派、二人はその基本の型等を学ぶのだった。


 翼渡のような騎士になりたいという想いを長らく抱きながら、ようやく翼渡から剣の稽古を受ける事となり、翼羽は初めの内は嬉しさからただひたむきに稽古に没頭した。しかし、羽刀わとうの扱い方、打ち込み、基本の型、それらを繰り返し、少しずつ成長しながらも翼羽の中にあるのは今、焦りという感情であった。


 何故なら、翼羽が一か月かかってようやく修得したそれらの基礎の技術を、零は数日であっという間に修得していたからだ。翼羽と同じ程であろう齢から竜域に達する事が出来る程の天才、それは分かっていた。しかし、いざ近くでその才を目の当たりにする事で、自分と零との差をまざまざと見せつけられていた。


 だが、この日は翼羽にとって待ちわびた日だった。


 これまでは翼羽も零も、真剣を持つ事は許されず木刀にて稽古を続けていた。しかしある程度基礎を修得したことで、この日から真剣の羽刀わとうを持つ事を許された。


「これが、私の剣」


 刀鍛冶に打ってもらった、身長に合わせて作られた自分専用の羽刀わとうを渡され、翼羽も零も目を輝かせた。


 羽刀わとうを鞘から抜き、その艶めかしい紫電の刃に翼羽は吸い込まれそうになる。


「よし、それじゃあ羽刀わとうの切れ味と、君達のこの一か月の稽古の成果を見る為に試し斬りをしようか」


 翼渡はそう言いながら、翼羽と零の前に巻き藁を立てた。


「まずは、翼羽からいってみよう」


 翼渡に言われ、翼羽は緊張の面持ちで巻き藁の前に立ち、抜き身の羽刀わとうを正眼に構えた。そしてこの一か月で覚えた羽刀わとうの振り方と特性を振り返る。


 ――軸はぶらさず、心は凪ぐ、刃は叩き付けても切れず、引くが如く斬る!


 そして羽刀わとうを振り上げ、巻き藁に向かって一息に、袈裟懸けにはしらせた。


 すると、見事に巻き藁は両断され、斜めに切れた鋭い切り口を残し、斬られた巻き藁が床に落ちる。


「……斬れた、やった斬れた、やりました父様」


 一か月前はまるで上手くいかなかった巻き藁斬り、自分が成長している事を実感し、翼羽は喜びに打ち震えぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「うんうん、見事だったよ翼羽。じゃあ次は零がやってみようか」


 すると、零は首を傾げ、翼渡に問う。


「翼渡……様、こんな動かない柔らかな物を斬って何か意味があるのか……ですか?」


 不遜な物言いに、翼羽は憤りを露わにするように尋ねる。


「零、あなた巻き藁斬りやった事あるの?」


「いや、ないけど」


「ならつべこべ言わずにやってみなさいよ、意外と難しいんだからね」


 すると零は面倒臭そうに溜息を吐き、鞘から羽刀わとうを抜き正眼に構えた。そして――


 幾重にも奔る剣閃が巻き藁に向けられ、巻き藁はいくつもの輪切りになる。そして零は涼しい顔で納刀し、鯉口の音を美しく響かせ残身した。


 それを見て感心したように目を見開く翼渡と、愕然とする翼羽。そして翼羽は、先程巻き藁が斬れただけで喜んでいた自分が途端に恥ずかしくなった。





 翌日、翼羽と零が学問を学ぶ書院に翼渡が訪れた。


「零、ようやく君の苗字が分かったよ」


 自分の出自を表す苗字、記憶を持たない自分が何者かであるかが分かる一端。零は翼渡の目を食い入るように見つめ、言葉を待った。


 そんな零に、優しく伝える翼渡。


青天目なばため……それが君の苗字。出雲の里、由緒正しい農家の家系のようだね」


 それを聞き、零は感慨深げに目を瞑った。


青天目なばため……そうか、これで少しだけ自分の事が分かった。ありがとう……ございます、翼渡様」


 拙い敬語で感謝の念を示す零に、翼渡は笑顔を浮かべた。


青天目なばため れい、とても良い名じゃないか、翼羽もそう思うだろ?」


 そして翼渡は、さも零には興味なさそうに学術書へ視線を向けたままの翼羽に振るが、翼羽はそれでも視線を上げずに答える。


「さあ、翼羽には関係の無い事ですので」


 そんな翼羽のよそよそしい態度に違和感を覚え、翼渡は零にそっと耳打ちをする。


「零、きみ翼羽と喧嘩でもしたのかい?」


「え、いや……特に何も」


 心当たりの無い零は、ただ首を横に振って答えるのみだった。



119話まで読んでいただき本当にありがとうございます。もし作品を少しでも気に入ってもらえたり続きを読みたいと思ってもらえたら


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どうぞ宜しくお願い致します。


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