114話 少女の企み
時刻は夕刻。
「なによ、父様の馬鹿、婆様の馬鹿」
それから、翼羽は自室にこもり、座卓に突っ伏しながら一人むくれていた。
すると、屋敷の庭から巨大な鳥類の羽ばたきのような音が聞こえ、翼羽は勢いよく体を起こすと、屋敷の庭へと走る。
「父様!」
そこには三名の家老騎士と共に出先から戻り、八咫烏から降りようとする翼渡の姿があった。その姿を確認し、翼渡に飛びつく翼羽。
「お帰りなさい父様」
翼渡の足元にしがみ付き、先程まで吐いていた悪態が嘘かのように、歳相応の子供のように甘える翼羽。翼渡はそんな翼羽を静かに撫で、優しい笑みを浮かべる。
「良い子にしてたかい翼羽?」
しかし、その問いに対し、翼羽は気まずそうに黙していた。そんな翼羽を見て何かを察する翼渡。
「さてはまた、一人で剣を振るっていたのかい?」
「……はい」
「翼羽にはまだ危ないから一人で剣を振り回しては駄目だと言っている筈だよ、翼羽が怪我でもしたら和羽に怒られてしまうよ」
そんな翼渡の苦言に、翼羽は顔を上げ、抗議の姿勢を見せる。
「か、母様はきっとそのように心の狭い方ではありません。それに一人ではなく、婆様が見ていてくれました」
更に翼羽は、翼渡を見上げながら目を潤ませて続けた。
「それと元はと言えば父様が約束を破ったのが原因ではないのですか?」
「い、いやそれは……その」
翼羽の思わぬ反撃に、目を泳がせながらたじろぐ翼渡。すると翼羽は好機とばかりに追撃を行う。
「では明日は剣術の稽古を付けてくださいますか?」
しかし翼渡は、翼羽のその問いに渋い顔を浮かべ難色を示す。
「すまない翼羽、明日もその……調べものをしなくてはならないんだ」
すると翼羽の眼にみるみる涙が溜まっていき、それを見てあわあわと動揺する翼渡。
「もういいです! 父様はいつもそうやって理由を付けて翼羽に剣術を教えてくださいません。翼羽に剣の才が無いから、鳳龍院家の人間として相応しくないと思っておられるのです。父様なんて嫌いです」
翼渡にそう叫ぶと、翼羽は着物の袖で涙を拭うような仕草をしながらその場から走り去っていった。
「あぁ、翼羽……お願いだから父を嫌わないでおくれ」
翼羽の言葉にショックを受けたように、哀愁を漂わせながら翼渡が嘆く。するとそんな翼渡に、二人のやり取りを遠巻きで眺めていた飛美華が声をかけた。
「困ったもんじゃな、本日二度目じゃぞ、ああして怒って走っていってしまうのは」
「母上……二度目という事はもしかして母上にも?」
"二度目"という言葉で翼渡が色々と察し、気まずそうに頬を掻いていると、嘆息混ざりに「まあな」と呟く飛美華。
「いやあ、でも怒った顔も可愛いですしね、うちの翼羽は」
「親馬鹿もいい加減にせんか、あまり甘やかすと碌な大人にならんぞ」
デレデレとした様子で、翼羽を庇う発言をする翼渡に、飛美華は呆れたように苦言を漏らした。
「それはそれとして、お主は本当に頑なに翼羽に剣を教えんな。翼羽の言う通りあの子に剣の才を感じぬからなのか?」
飛美華の問いに、しばし口を噤んだ後返す翼渡。
「いやあ母上も分かっている筈ですよ、今私が調べている事の重大さを。それと……剣の才は関係ありません、才があろうとなかろうと私は……翼羽を騎士になどしたくはないのです」
そして哀しげな笑顔を浮かべ、そう返す翼渡を見て、何かを察したように飛美華もまた悲しげな表情を浮かべた。
※
それから、時刻は夜。
翼渡に悲しみや憤りをぶつけ、その場から走り去った翼羽であったが、夕食の時間も翼渡と言葉を交わす事はなく、幼さ故の籠城を決め込んでいた――かに思えた。
翼羽は一人、したたかにとある作戦の敢行を決意していたのだった。
翼羽は、廊下でとある人物が通るのをひたすらに待っていた。そしてその時はやってくる。とある人物とは鳳龍院家の家臣。朝方翼渡と共に八咫烏で出立した家老騎士の内の一人であった。
「藤堂」
名を呼ばれ振り返る、一際ごつい顔の屈強な出で立ちである壮年の男。名は藤堂 慎之助という。
「げっ! よ、翼羽様?」
突然翼羽に呼び止められ、藤堂は既に翼羽の要件を覚っているかのように動揺した様子であった。
「人の顔を見るなり『げっ』って何よ、失礼ね」
「いやあ、その……はははは」
お茶を濁すように作り笑いをする藤堂の顔を、翼羽は目を細めて見上げた。
「答えなさい藤堂、あなた父様と一体何を調べているの?」
「いやいやいやいや、言えません言えません!」
いくら翼羽の頼みとあっても、こればっかりは翼渡に他言を禁じられていると頑なな藤堂に対し、翼羽が代案を出す。
「……分かった。なら明日何処に行くのかだけでもいい、教えなさい」
「いやそれも言えま――」
「何処かの里?」
「はっ、いやそれはその」
藤堂の反応を見て、翼羽は内心ほくそ笑んだ。藤堂は真面目で実直な男故、嘘を吐くのが非常に下手であり、それが翼渡からの信頼を得る要因でもあった。しかしこの時ばかりは……
翼羽は突然、口早に里の名を呟き始める。淡海の里、稲羽の里、隠伎の里、吉備の里、高志の里、相武の里。
翼羽が順に口にするのは、那羽地東洲の里の名である。そして――
日向の里。その里を翼羽が口にした瞬間、藤堂の目元がピクリと動く。瞬間、翼羽は心の奥底で再度ほくそ笑んだ。
「はあ、もういいわ諦める。時間を取らせてごめんね藤堂」
翼羽はそう言い残し、藤堂に背を向けると自身の部屋へと戻っていった。それを見てほっと胸を撫で下ろす藤堂を他所に、翼羽はそっと口の端を上げた。
※
翌朝。
翼渡と家臣である三人の騎士は、昨日と同じように八咫烏に跨り、出立しようとしていた。
「それでは行ってくるよ翼羽」
「……はい父様、お気をつけて」
日が変わり、翼羽が口をきいてくれた事が嬉しかったのか、翼渡は表情を綻ばせ、そして北の空へと飛び立った。
空へと飛び立った翼渡を見送ると、翼羽はとある場所へと足を急がせた。とある場所とは鳳龍院家の屋敷に建てられた翼獣舎。そこでは一羽ごとに仕切られた柵の中に八咫烏が飼育されており、今翼渡達と共に出立した四羽の他にも十羽程の八咫烏が待機していた。
翼羽は建物の陰から、飼育係である家臣の様子を伺いながら、機会を待つ。
そして――飼育係が餌を取りにその場から離れた瞬間、翼羽は一羽の八咫烏に向かって走っていく。更には、急いで柵を開け、八咫烏の背に跨った。
「飛ぶよ、黒天丸」
翼羽は黒天丸と名付けられた八咫烏にそう指示すると、翼渡達を追うかのように北の空へ向けて飛び立つのだった。
114話まで読んでいただき本当にありがとうございます。もし作品を少しでも気に入ってもらえたり続きを読みたいと思ってもらえたら
【ブックマークに追加】と↓にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にポチッとしていただけると作者として大変救われます!
どうか宜しくお願い致します。