110話 交差する隻翼
すると、神妙な面持ちでヨクハがソラに伝えた。
「ソラ、わしは先程のイフリートとの戦いで刃力を使い果たした。デゼルとエイラリィもここの城塞を護るために刃力を使い果たし戦える状態では無い。今戦闘可能なのはお主とカナフだけじゃ」
「え、団長って刃力切れるんだ」
「切れるわ阿呆」
それを聞き、覚悟を決めたように目付きを鋭くさせるソラ。
「わかってる、元からあいつの相手は俺がするって約束だったろ」
そう言うと、ソラはカレトヴルッフに乗り込み、騎体を起動させ飛翔する。直後、カナフのタルワールから伝声が入る。
『レイウィング、今回ばかりは状況が状況だ、俺も援護に回らせてもらうぞ』
そんなカナフの提言に、ソラは黙って頷いた。オルタナとの戦いにおいて助太刀を受けるのは不本意ではあるが、この状況下で己の我を通せば、味方に危険が及ぶかもしれない事をソラは冷静に理解していたからだ。
――リアさんとの戦いで俺も消耗してるし、カレトヴルッフもダメージを受けてる。この状態であいつと戦って勝てるのか?
過る不安、しかしソラは頭を振って恐怖を振り払い、カレトヴルッフの左腰の鞘から刃力剣を抜いて構えた。
――いや、あいつと戦う機会、それは好機なんだ。だから今度こそ倒す、倒してみせる!
『ネイリング、ラージル島へ侵入、間もなく接触』
次の瞬間、ソラはその視界にネイリングを捉える。そしてネイリングはソラのカレトヴルッフに最接近すると、騎体を急制動させ対峙した。
すると、ソラは違和感を覚える。ネイリングが両手で鳥籠のようなものを抱えていたからだ。それは護送用の搬送器であるインクナブラである。
城塞前からネイリングに照準を合わせつつ、カナフがソラに伝声する。
『レイウィング、奴が抱えているのはインクナブラだ』
「ああ、もしかして中に誰か入ってるのか?」
ソラがそう考察した次の瞬間、ネイリングからソラのカレトヴルッフに向けて伝声が入った。
『またお前か……いい加減辟易する』
「んだと、俺だって好きでお前なんかの前に現れてる訳じゃないんだよ!」
うんざりした様子で溜息を吐くオルタナに対し、憤りながらソラは剣の切っ先を向けた。しかし、オルタナは臨戦態勢を取らず、ソラへ返す。
『待て……私は、今日お前達と戦いに来た訳ではない』
「はあ?」
『こいつらを返す。依頼主であるアルディリア殿が討たれた今、もう必要が無いからな』
そう言いながら、オルタナはネイリングが抱えるインクナブラをソラのカレトヴルッフへと差し出す。
『お、落とすなよ』
ソラにそう忠告しながら、オルタナは丁寧にインクナブラを手渡した。そして、ソラは自身が抱えるインクナブラと相互伝声及び相互伝映を行う。
「この子達はまさか!」
中に居たのは、青髪と水色の瞳、メルグレインの民の特徴を持つ4歳から6歳程の幼い子供。男児が六名、女児が四名の計十名で、メルグレインの王都にあるリンベルン学院から攫われた子供の数と一致していた。
「攫われた玉鋼の子……どうして?」
ソラは無意識に二つの疑問を投げかけた。玉鋼の子がどうしてオルタナの元に居るのか、そしてどうして玉鋼の子を返すのか、である。
対しオルタナが答える。玉鋼の子は騎士として貴重な人材、どこの騎士団も喉から手が出る程欲しい。同じエリギウス帝国であったとしても別の騎士団から奪われる可能性があった、だからアルディリアはこの一ヶ月、自分に玉鋼の子達を護衛するように依頼し、自分はただその依頼を全うしたのだと。
意外にもオルタナはソラの質問に素直に答え、アルディリアの真意を知らされる事になるのだった。
『それに紅玉の空域は大聖霊獣イフリートが目覚めれば危険になる、保護の意味も含めてだったのだろう。そしてアルディリア殿は私にこうも依頼した。自分がもし敗れた際は、玉鋼の子達をお前達に返すようにとな』
「……リアさんが?」
それを聞き、今回の作戦を、アルディリアが心を痛めて行っていたのだとソラは気付いた。一つの疑問が解消し、一つの疑問が残った。ソラはそれをオルタナに問う。
「何でお前、玉鋼の子を素直に返すんだ?」
『ふん、私は特務遊撃騎士、依頼があれば他の騎士師団であっても協力する。そして私はただアルディリア殿から受けた依頼を忠実にこなしただけの話だ。それに――』
すると突然、オルタナは頭を抱えて悲痛な様子で続けた。
『このガキ共……言う事は聞かない、散らかす、食べ方は汚い、お漏らしはする、ほとほとうんざりしていたところだ』
そんなオルタナの様子を見て、ソラは少しだけ不憫そうに呟いた。
「お前……そんなベビーシッターみたいな事もやるんだな」
『だ、誰がベビーシッターだ!』
自身をベビーシッター呼ばわりするソラに対し、オルタナは思わず抗議の声を上げるのだった。
――ああ、まただ。
そしてソラは自分の中にある感情に気付く。否、気付いていたが、気付いていないふりをしていた。そんな筈は無い、これは何かの間違いだ、しかし相対し矛盾する感情を否定出来ずにいた。
その原因は、オルタナに対する憎しみや怒りが薄れている事にあった。
大切な存在を奪った、大切な存在を縛り付ける、許す事は出来ない、憎悪の対象であって然るべき因縁の相手。しかし、相対し、戦い合い、言葉を交わす度に、どこか憎めず、不思議な懐かしささえ覚えてしまう自分もまた、許せなかった。
『と、とにかく玉鋼の子は返した。もうお前達に用は無い』
そう言うと、オルタナはネイリングを反転させる。そして同時にソラとの相互伝声を切断し、インクナブラに居る子供達と相互伝声を行った。
『私はもう行く、元気でな』
しかし、ソラもまたインクナブラに相互伝声をしている状態であったため、そのやり取りが筒抜けとなっていた。
『えーオルタナのお姉ちゃん行っちゃうの?』
『やだやだやだ』
『もっと遊んで欲しかったのに』
オルタナが去ろうとする事を知り、駄々をこねるインクナブラの中の子供達。そんな子供達にオルタナは優しい口調で返した。
『……お家に帰れるんだよ?』
『でも、でも、オルタナのお姉ちゃんに会えなくなるのは嫌だよ』
別れを惜しむ子供達に後ろ髪を引かれながらオルタナが言う。
『ごめんね……でも、きっといつかまた会える。だって――この空はどこまでも繋がっているんだから』
そして、オルタナのネイリングがその場から発進する。夜が明け始め、本物の暁に染まる空の彼方へオルタナのネイリングが消えて行った。
ソラのカレトヴルッフ中には、子供達が寂しそうにすすり泣く声だけが響いていた。
※
それから――ヨクハ、デゼル、エイラリィ、カナフはツァリス島の本拠地へと帰陣し、ソラは奪還した玉鋼の子達をメルグレインへと送り届ける事をヨクハから任命されたため、〈因果の鮮血〉の騎士達と共に王都リンベルン島を目指して翔ぶのだった。
そしてソラが、カレトヴルッフが抱えるインクナブラの中の子供達に向け、伝声と伝映を送り話しかける。
「なあ」
『なあに?』
「君達さ、あの前髪邪魔女にいじめられたりとかしなかった?」
ソラの問いかけに対し、子供達は互いに顔を見合わせると、一斉にソラを睨み付けた。
『……オルタナのお姉ちゃんの事悪く言わないでよ』
『そうだそうだ』
『オルタナのお姉ちゃんは私達と遊んでくれたし、ごはんも作ってくれたしお歌も歌ってくれたんだよ』
そんな子供達の抗議の声を受け、たじろぐソラ。
「え、いやだって……え、ごは――歌? 嘘でしょ!?」
自分の中のオルタナの姿と、子供達が語るオルタナとの姿のあまりの解離に、ソラは素っ頓狂な声を上げた。
『嘘じゃないもん、オルタナのお姉ちゃん優しかったもん』
「うぐっ、そ、そんな馬鹿な」
『それにお姉ちゃんはとってもきれいなんだからね、前髪じゃまとか言わないでよね』
その言葉に、ソラは思わず前のめりになって食いついてしまった。
「え、き、綺麗って見たのか? 素顔を?」
『うん、お風呂入れてくれる時はいつも見せてくれてたよ』
「おふ……ベビーシッターか!」
ソラはたまらず、一人ツッコミを入れると、頭を振って気を取り直した。
「いやいやいや、どうせこーんな顔してたんだろあんな奴」
自分の顔を両手で崩させて、悪意に満ちた変顔をしてみせるソラ。
『違うもん、オルタナのお姉ちゃんお人形さんみたいにきれいだったもん、お兄ちゃんのばかあ!』
「な、なにぃ!」
『あれ?』
すると、子供達の一人が何かに気付いたように、ソラの顔をまじまじと見つめだした。そして不意に言う。
『お兄ちゃんのほっぺの黒いもよう、オルタナのお姉ちゃんとお揃いだ』
『あっ、本当だ!』
子供達は一斉にソラの右頬に刻まれた怨気の黒翼を指さして騒ぎ出した。瞬間、ソラは表情を強張らせすぐに尋ねる。
「黒い模様……そ、それって両方のほっぺにあった?」
心臓が早鐘を打った。
『ううん、お兄ちゃんと同じでかたっぽだよ』
『あ、でもお兄ちゃんとは反対側のほっぺにあったかも』
それを聞きソラの中の時が凍り付いた。
「…………」
現実、事実、あり得る筈の無い矛盾。それらがソラの頭の中で輪廻のように巡り続け――ただ、出せない答だけがそこに在った。
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