97話 越えられない壁
「何の事じゃ?」
ソラは漏らす。黝簾の空域で自分がアルディリアを倒せていれば、任務が中断されて玉鋼の子と呼ばれる子供達が攫われずに済んだかもしれない。それに師団長不在ならきっと紅玉の空域も容易に制圧出来る。自分が勝てなかったせいで、戦況が大きく変わってしまったのだと。
自分を責めるようなソラの発言に、ヨクハは大きく嘆息して返す。
「自惚れるな阿呆」
「…………」
「お主独りの勝敗が戦況を左右させる程お主は強くない。それにお主が師団長相手に勝てぬ事くらいわしにもアルテにも最初から織り込み済みじゃ」
ヨクハの厳しい言葉を受け、歯を食いしばらせ俯くソラ。
そんな事は解っていた。自分が強くない事など……それでも、プルームに反射能力向上の訓練をしてもらい、何とか銀衣騎士と戦えるようになった。
しかしオルタナには手も足も出なかった。その後は、ヨクハに修行を付けてもらうようになり何とかオルタナと正面から戦えるようにまでなった。
だが勝つ事は叶わず……それから新しい武器を装備して、工夫しながら戦って何とか乱戦の中でも戦えるようになって、それでも今回、アルディリアには届かなかった。
自己嫌悪、焦燥、慚愧、止めどなく溢れる感情をソラは止める事が出来なかった。普段は笑顔やおどけた態度の裏に隠された偽りの無い心情を吐露したのだった。
「もう負けない、もう遠回りはしない、そう決意して少し強くなったと思っても、すぐに新しい壁に阻まれる!」
するとそんなソラの叫びを聞き、ヨクハは真っ直ぐな眼差しを切る事なく椅子から立ち上がり、ソラの目の前まで歩み寄った。
「当たり前じゃろ、お主は天才でもなければ隠された力を秘めている訳でも、特別な血を引いてる訳でもない。ならどうする? 打ち負かされて、挫折して、その度に立ち上がって、そうやって泥臭く強くなっていくしかないんじゃ」
厳しく、冷たく……しかし温かく、真っ直ぐにヨクハは言った。だがその言葉はソラの心の深奥に響きながらも、ソラは素直に受け入れる事が出来なかった。何故ならその言葉を発している張本人が、ソラから見れば天才で、隠された力を秘めているような人物だったからだ。
ソラは俯いたまま、作り笑顔を浮かべながらいつもの飄々とした様子で返す。
「団長には分かんないよなあ俺の気持ちなんて……同じ蒼衣騎士でも団長は才能に溢れてて、何でも出来て、無敵で、打ちのめされた事も挫折した事もない団長には俺みたいな凡人の気持ちなんて――」
ソラは言いながら思った。自分は何て格好悪いんだろう。負けて、落ち込んで、周りに当たって、今はこうして情けなく愚痴っている。
ヨクハも同じ事を思って当然だ、だからヨクハは手を振り上げている。
そして自分の頬に走るだろう痛みを予見し、そっと目を閉じた。――次の瞬間。
「この阿呆んだらあああ!」
「おごょふぁっ!」
ヨクハの上腕部がソラの喉の辺りに炸裂し、ソラは声にならない声を漏らしつつ地面に叩き付けられ、悶絶しながら左右に転げ回った。
「何ちゅう声出しとるんじゃお主は?」
その光景を見下ろしながら呆れたように呟くヨクハに、ソラは勢い良く立ち上がって猛抗議した。
「あんたがいきなりラリアートするからでしょうが! え? ていうかこういう時って普通ビンタとかじゃないの? 雰囲気とか流れ的に!」
「そんなのわしの勝手じゃろ。それより貴様、わしが打ちのめされた事も挫折した事もないじゃと? わしの事を知りもしないくせに勝手なことばかりほざくでない! 少なくともわしはわし以上に才に恵まれぬ人間を知らん!」
「んな訳――」
ソラがヨクハの言った事を即座に否定しようとした直後、ヨクハは目を伏せ、一瞬普段見せた事の無いような哀しく儚なげな表情を浮かべた。
「……私にだって、ずっと越えられない壁があるんだから」
そして僅かに漏らすように、届く前に消え去ってしまうように囁くと、ヨクハはいつものように凛とした表情になって続けた。
「それと、そんな腐ったような女々しい発言をしてる暇があったら何で負けたのかをとっとと考えんか」
「いや、それは……斬撃で落とせない思念操作式飛翔氷刃を使われて、それで」
「何で射術で落とさなかった?」
「そりゃ俺が射術が苦手で――」
言いながらソラは何かを察したようにハッとする。
「もう答は出ておるではないか、だったら今お主がやる事は一つの筈じゃ」
「…………」
そしてヨクハがソラに告げる。一ヶ月後〈寄集の隻翼〉は〈因果の鮮血〉と共に紅玉の空域に進攻する。それまでにアルディリアを倒す算段を付けておけと。
その言葉は、ヨクハがソラに、再びアルディリアと刃を交えさせようとしている事を示唆していた。
「俺が……」
「お主には汚名返上の機会をくれてやると言っておるんじゃ。わしの予想が当たっていれば、敵は〈幻幽の尾〉だけではないかもしれんからのう」
「え? それって……」
意味深な発言を訝しむソラに、ヨクハは続けた。今言った事は、シーベットが情報を集めてくるまで確証は持てないものの、自分は〈幻幽の尾〉との戦いでは指揮に専念して刃力を温存するつもりなのだと。故に今度こそアルディリアを必ず討ち取れ、と。
それに対しソラは、もう一度アルディリアと戦う事を想像し不安と恐怖が一瞬過る。しかし、それ以上にヨクハが自分にアルディリアを任せてくれた。そして自分を信じてくれている。そう感じた事で、人知れず高揚した。
死ねない、わざわざ危険な目に遭いたくない、自分の中に常にある心情と信条に対する矛盾。いつの間にか自分の中で何かが変わりつつある事を、ソラは未だ気付いていなかった。
「とりあえず都牟羽伝授の修行については一時中断じゃ。お主は今やるべき事をやれ。じゃがそれに関しては、わしは教えてやる事が出来んがな」
ヨクハがそう言うと、プルームとフリューゲルが歩み寄って来る。
「そういう事なら私が協力するよ。これでも射術騎士の端くれだし」
「めんどくせえけど弓の腕じゃこの騎士団で俺が一番だからな、付き合ってやるよ」
そして、ソラの訓練の協力を申し出る。
「プルームちゃん、フリューゲル……ありがとう」
こうしてプルームとフリューゲルの協力を得て、ソラは射術の訓練を開始することとなった。
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