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夏のまにまに

作者: life yell
掲載日:2021/09/22

「それであいつがさ」

 携帯電話を握りながら適当に相槌を打つ。意識のほとんどは漫画に注がれているので、会話の内容は頭に入ってこない。それなのにクラスメイトのシュウサクは構わず喋り続ける。こいつには察するという機能がいちじるしく欠けているらしい。

「もうこんな時間か。悪いね話につき合わせちゃって。でも、こんなこと話せる奴はミツフサぐらいしか居ないからさ」

 お決まりの文句のあと、電話は切れた。

 いつもの癖で携帯電話を適当に放りだす。このせいで買ってまだ半年だというのに、表面は傷だらけで、所々塗装が剥がれ始めている。

 壁掛け時計に目をやると十二時五分前だった。もうすぐ日付が変わる。

 大きなあくびを一つ。まだ風呂に入っていないことを思い出したが、面倒くさいので明日の朝にシャワーを浴びることにした。

 寝巻きに着替えるとベッドに横になった。


 翌日、学校に行くとシュウサクが話しかけてきた。内容は昨日の話の続きであるらしい。大まかな内容は彼女の自慢だった。最近付き合いだした彼女とどこに行った、何をした、何を食べた、そんな話が淀みなく流れてくる。考え様によってはこれもある種の才能なのだろうが、たいして欲しいとは思わない。

 時おりシュウサクは、遠い目をしながら痛んだ金髪をかき上げる。見慣れたシュウサクの癖だが、そういった気取った態度に取られるたびに噴き出しそうになる。

 昨日と同じように適当に相槌を打ちつつ、早く授業が始まらないかなとぼんやりしていると、学年主任がやってきて一限目は自習をしていてくれとの事だった。いつも酒の飲みすぎで浅黒い顔をした担任に何かあったらしい。詳しいことは語ってくれなかった。

 シュウサクを伺うと、心底嬉しそうな顔をしていた。

 やったな、と話しかけてくるシュウサクに、曖昧に頷いた。

 気怠い授業が終わった。帰りはシュウサクと、隣のクラスのシュウサクの彼女、ユズと一緒だった。人付き合いの苦手な自分としては、こういったことは御免こうむるところではあるが、唯一の救いは僕とユズは幼馴染であることだった。

 入学当初、ユズに一目惚れをしたシュウサクは、なんとか彼女にしようと猛烈なアピールを開始した。最初の半年は徹底的に避けられ続けた。次のふた月で挨拶を交わようになった。また次のふた月で雑談を交わすようになった。そして今年の四月、一年間の努力が身を結び、はれて二人は付き合うようになった。

 シュウサクはユズを落とすために幼馴染の僕に近づいてきたのは明白だったが、入学当初からなかなか友達が出来なかった自分としてはそれでも有難かった。休み時間に寝たふりをしたり、読みたくもない小説を開いて時間を潰さなくてもよくなったからだ。といっても、僕とユズの関係は中学生になったころから疎遠になり、名ばかりの幼馴染でシュウサクの力には慣れなかったのだが。

 本来ならば二人が付き合った時点で僕はお役ごめんとなるところだが、何となく三人一緒にいるのが当たり前になり、こうして学校での付き合いが続いている。

「何か食っていこうぜ」

 校門を抜けると、シュウサクが言い出した。ユズはそっけなく了承した。

 本当は帰って漫画の続きを読みたかったのだが、こうなると僕もなし崩しに同意したことになる。

「さぁ行こうぜ」

 シュウサクは馬鹿笑いしながら僕の首に右腕を回してくる。安物の香水の臭いが鼻についた。

 なんの気なしにシュウサクの左手を見ると、ちゃっかりユズと結ばれていた。見せつけてくれるなと苦笑いしながらユズをうかがった。彼女の眼鏡が夕日を反射して、詳しい表情はわからなかったが、そこには感情の気配はなくて、何だか銅像みたいだな、と僕は思った。

 目的地である駅前のファーストフード店は、同世代の暇を持て余した連中でごった返していた。近隣には高校が三校あり、最寄り駅ここ一つだ。となると必然的にこの時間は過剰な客で溢れることとなる。

 これは座れないかもな、だったら早く帰れるなと内心喜んでいると、誰かが謀ったかのようにテーブル席が一つ空いた。

 シュウサクは込み合った店内を掻き分けて進み確保した。

「照り焼きバーガーセット、飲み物はコーラな」

 そう言ってシュウサクは能天気に手を振った。少しだけ店内に不穏な空気が流れたが、そんなことに気づく奴でもない。

 一応礼儀として、僕が買うから先に席へ行ってても大丈夫だとユズに伝えてみたが、ユズは自分で買うからと譲らない。

 仕方なくそのまま二人並んで待つ。どこか居心地悪く、小さな頃はよく一緒に遊んだものなのに、いつから気を使うような関係になってしまったのか。悲しい限りである。

 賑やかな喧騒、嬌声、狂騒。いらっしゃいませ、という張り付いた笑顔。何であろうが、店内のどこを見渡しても皆の顔には何かしらの表情が見て取れる。それなのに、ユズにはそんなものはない。涼し気というにはあまりにも無慈悲で、どこかに感情を置き忘れてきてしまったかのようだった。

 自分とシュウサクの分を持って彼の待つ席へ行く。ユズが頼んだのは片手のアイスティーだけだ。

 シュウサクの声を肴に、コーヒーを飲み、たまにポテトへ手を伸ばす。内容はテレビや漫画、サッカーなどだ。ありがたい事に、九割方ユズに向けられている。たまに同意を求められて曖昧に頷くだけでいいので楽だ。

 テーブルに肩肘をついて顎を乗せ、排ガスや埃で曇ったガラス越しに夕方の駅前を眺めてみた。人は流れ、車は行き交う。彼ら全員に行き場所があるのだと思うと、気分が悪くなった。自分の知らない場所でも世界は広がっている。そう考えると頭がパンクしそうになるのだ。しかし駅前から目を離すことができない。痛いと分かっていても口内炎は舌で突いてしまうのだ。

 ふと、ユズはこんな光景をみて何を感じるのだろうかと思った。

 二人に視線をもどすと、冗談を言い合っているのか、ちょうどユズが頬をほころばせた瞬間だった。何か見てはいけないもののように感じた。少なくとも僕の知っている彼女は、こんな話に乗るような奴ではなかった。

 後悔しながら目をそらすと、使っていないシュガースティックが目についた。

「あれ、シュウサクじゃん!」

 店内の騒がしさに負けないくらい威勢のいい声がした。

 顔をあげると、見たことのない高校生が立っていた。制服から察するに、この地域でも一番評判の悪い高校のものだ。短く借り上げた頭の側面には無数にラインが走り、耳には沢山のピアスが輝いていた。

 ほんの一瞬、彼を見て顔をしかめたシュウサクの姿を見逃さなかった。

 シュウサクに紹介されたところによると、中学の頃の同級生だという。名前はもごもご言っていてよく聞き取れなかった。別に聞き返す必要もなかったので、僕はそのままスルーし、ちょこんと男に頭を下げた。

「あのシュウサクがちゃんと学校に行って、こうやって友達を作るとはね。まったく、人間変わる時は変わるものだ」

「ほっとけよ」

 明るく返そう思ったのだろうが、シュウサクの口元は不自然に歪んでいて笑顔になっていない。

「それはそうと、そっちはもしかして彼女か」

 それはそうと、と惚けていたが、先ほどから気になって仕方がないという雰囲気は隠しきれていない。好奇心、というのは余りにもいやらしい、まるで値踏みをするような目でユズを見ていた(ちなみに僕はいないもの扱いだ)。

 シュウサクがためらいがちに頷くと、いやらしい目の輝きはよりいっそう増した気がした。

「だったらさ、同席していいか? みんなで喋ったほうが楽しいしさ。こんなに混んでいるからそうした方が店のためだしさ」

 店のためだというわりには、先ほどから狭い店内に立ち塞がって通行の邪魔をしている。

「俺らはもう帰るから、そっちはそっちでやってくれよ」

「そんなつれないこと言うなよ。俺ら友達だろ」

 そういって首に回された男の腕をシュウサクは払いのける。

「悪いわるい。俺はいんだけどさ、ほら、俺の友達はあんまり遅くなると家族が心配するから、本当に帰ろうとしていたところなんだよ」

 そんな二人のやり取りに、ユズはあまり関心が無さそうだった。

 帰りのシュウサクはいつもより口数が少なかった。

 こうして三人歩いていると、まだ明るさの残っている町は、まるで作り物のように見えた。

 翌日、シュウサクはすっかり元に戻っていた。昨日の出来事が尾を引くといったことは無いらしい。のろけ話を聞き流す毎日が再開された。


 ただ居るだけで嫌な汗をかき、全身カビだらけになりそうな季節も過ぎて、蝉が鳴き出した。

 夏休みもあと一週間と迫った日曜日の午後、珍しい来客がった。

 ユズである。

 部屋にはエアコンがついていないので、年代物の扇風機だけが相棒だ。用事のない日曜日の常で、上半身裸で風を浴びていたところだった。

 脱ぎ捨ててあったタンクトップに身につける。案内をしてきた母親は呆れていたが、ユズは特に気にしていないようだった。

 母親が麦茶を持ってくる間、居心地が悪そうに座布団に座っていたユズだったが、行ってしまうと途端に姿勢を崩した。

「暑いわね」

「御覧のとおりエアコンがないからな。ここではこのオンボロで過ごすしかない」

 扇風機の棒を押すと、首を振り出して暑く濁った室内の空気をかき回しはじめた。

「文句があるなら帰ってくれ。で、何の用だい」

「文句はないよ、他人の事情だもの。ただ、困ったことに用事もないんだ」

「じゃあ何しに来たんだよ」

 ユズは小首をひねった。ワンピースから陶器のような鎖骨が顔を出す。

「なんとなく、かな」

 思わず僕は笑ってしまった。それと同時にてっきりシュウサクと何かあったのかとばかり思っていたので、安心した。

 ユズも頬をほころばせ、二人してしばらく笑った。

 久々に見るユズの笑顔は、小学生の頃を思い出させた。そういえば、ユズが最後に家にきたのは何時だったろうか。中学生か、いや自分の部屋を持っていなかったので小学生だ。小さな頃はよく遊びに来ていた彼女だったが、年を重ねるごとに男女の距離ができ、来る回数も減っていった。最後に来たのは、確か小六の頃か。風邪で学校を休んだときに彼女がプリントを届けに来てくれたのだ。

 ひとしきり笑いあったあと、昔話に花が咲いた。

 日は長くなり、明るいといっても六時は六時だ。時計を見ると帰らなきゃとユズは立ち上がった。

 このまま帰るつもりだろうか。聞いたところで力になってやれないのは百も承知だが、それでも家に来た本当の理由が気になった。

 少し迷ったが、やっぱり尋ねることにした。

 ユズはまるで自分の心を探るかのように視線を落とした。しかしすぐに顔を上げ、無いよ、と短く答えた。顔には笑顔が張り付いていたが、それかを思い出させた。

 そうだ……あの日の帰り道、作り物のように思えた町だ。

 そんな彼女の態度が、僕には不愉快だと思った瞬間、

「てっきりシュウサクのことで何か相談があるのかと思ったよ」

 と口を突いて出た。

 はぐれ雲が太陽を遮るように、一瞬ユズの表情は強張ったが、すぐもとに戻った。

「違うよ、本当に何もなかったの。たまたま通りかかったときに何だか懐かしくなっちゃって。それで、寄っただけなんだ。でも、いきなりこられたらやっぱり心配するよね。まして二人の共通の話題なんてそれしかないし」

 それから消え入るような声で「サクちゃん、サクちゃん」と繰り返す。どうやら二人で居るときはそう呼んでいるらしい。僕がいる前ではシュウサクくんだ。シュウサクはユズのことを何と読んでいるのだろうか。

「サクちゃん、いい子だよね。何だか私だけがいい子じゃないみたい」

 僕が何かを言う前に、ユズは早足で部屋を出て行った。

 下で母親と一言二言交わしてたが、すぐに静かになった。

 最後の言葉。やっかいな置き土産のような言葉。

『私だけがいい子じゃないみたい』

 それが部屋の中に何時までも煙のように漂い、年代物の相棒でも散らすことは出来なかった。

「用事があって会えなくってさ、今日は日暇でさ」

 いつものように携帯電話からこぼれる明るいシュウサクの声に、次があるさと励ます。

 今日のことは黙っていることにした。

 

 夏休みが始まったと思ったら、あっという間に八月になった。

 それまで頻繁にあったシュウサクからの電話も、休みが始まった途端にぱたりと止んだ。あんなことがあった後なので心配をしていたのだが、終業式までの間に変わった様子はなかったし、便りがないのは元気な証拠だという格言に従って、気にしないことにした。そもそも第三者である僕なんかが気にすること自体おかしいのだが。

 大方、初めて二人で過ごす夏休みに、羽目を外して遊び歩いているのだろう。独り身の寂しい奴に割く余裕なんて無いのかもしれない。

 夏の暑さに、セミの鳴き声という彩りも本格的になり、その結晶のようなものが胸元をつたう。我が相棒である老兵の頑張りも、こうなると役に立たない。やはり新兵、エアコンが欲しい。このままでは真夏の攻勢に、部屋に居ながら熱中症で倒れそうだ。しかし戦況は芳しくなく、うちの家計は火の車だとお上はいう。新手は期待できない。

 時には勇気ある撤退も必要である。適当なTシャツにジーンズを引っ掛けると、我が愛しのアンダルシアである図書館を目指して家を出た。帰りに牛乳を買って来いという鬼軍曹である母親の命令は無視することにした。

 図書館は駅前を過ぎ母校も過ぎそのまま五分ほど行ったところだ。二十分もあれば楽につける距離ではあるが、駅前にさしかかった時点ですでに後悔をしていた。

 照りつける太陽は、アスファルトという強い見方をうけ、容赦なく僕を攻撃する。それにタクシーの排ガスが加勢し、人ごみが止めを刺す。まだ家にいた方がましだった。

 目的地を変更し、商店街の書店へいくことにした。あそこなら目の前のアーケードをくぐってすぐの所だ。冷房が効いていて雑誌が読めて時間がつぶせる。図書館となんら変わりは無い。

 こんな糞暑いのになかなかの賑わいを見せる商店街に足を踏み入れたところで、僕の足は止まった。

 見知った顔が居たのだ。

 声を掛けようと喉元まで名前が出かかった瞬間、すぐに飲み込んで横のコンビニに避難する。ユズの隣に知らな男がいた。

 雑誌で顔を隠しながら観察をする。もしや髪型を変えたシュウサクかと思ったが、やはり違う。あれは確か、いつかファーストフードで紹介された男だ。

 二人は僕に気づかずに通り過ぎると、改札口のほうへ行ってしまった。いきなり冷や水を浴びせられた気分だった。おかげで暑さでどうにかなっていた頭はすっきりした。

 さて、僕はどうするべきか。

 追いかけるか? つけまわすか? そして二人の関係を着きとめるか? だが、そんなことをして何になる? 

 これはユズとシュウサクの問題だ。第三者が首を突っ込まないほうがいい。それに事情がよく分からないのだ。下手なことをしたら、二人の関係が余計にこじれるだけかもしれない。

 コンビニ店員に睨まれながらウンウン考えたすえに出した答えは、このまま何もしないということだ。なにもそういう事だと決まった訳ではない。あの男は腐ってもシュウサクの知り合いだ。この後三人で遊ぶ予定でもあって、何か用事のあったシュウサクだけ現地集合とあいなっただけかもしれないじゃないか。

 勝手にそう思い安心した僕は、完全に不審者扱いをしてくる店員さんに弁解の意味も込めて牛乳を買うと、そのまま帰ることにした。

 汗をダラダラたらしながら歩いていると、ふと、先ほどのユズの表情が気になった。笑っていたか、怒っていたか、泣いていたか。しかしどんなに考えても、彼女の表情は浮かんでこなかった。二人が歩いていたところは思い出せるのに、彼女の顔だけが黒く塗りつぶされていた。

 

 数日後、そろそろ寝ようとしていたところにシュウサクから電話がかかってきた。取ると、今から外に出てこれないかとのことだった。すでに日付は変わっていたが、いつもとは違う声の調子から、何かあったのは明白であった。

 あくびを噛み殺し、眠気眼をぬぐうと、僕はえいやとベッドから抜け出した。

 大丈夫だと伝えると、W公園まで来てくれということだった。

 寝静まった公営団地を過ぎ、緩い坂を下りきったところで右手に見えてくるのがW公園だ。遊具は少なく、あまり広くはない公園だが、背後にそびえる広葉樹林の森が、その何倍もの面積で広がっている。生暖かい風が吹くと、森全体が気持ち悪そうに葉を鳴らした。

 街灯に照らされたブランコに、誰かが揺られている。

 近づいて声を掛けると、彼は顔を上げ力なく笑った。

 当然シュウサクだ。

 シュウサクの顔を見て僕は息をのんだ。左目はぶざまに腫れ上がり、頬には絆創膏が何枚もはってある。弱い街灯の下では、それがかえって目だって見えた。それでも幸いだったのは鼻だろう。これだけ酷くやられているのに、曲がることなく綺麗な線を残していた。

 とりあえず僕は、隣のブランコに腰下した。

「酷いものだろ。だけどさ、これでも大分良くなったんだぜ」

 シュウサクはもう一度力なく笑い、髪をかき上げた。

 僕はただ間の抜けた返事をかえすことしか出来なかった。

「俺ってさ、いつもこうだなんだ。好きになって必死になって、調子に乗って返り討ち。最後はパシリでへーこら頭を下げるだけ。たださ、今回だけは譲れなかったんだ。なんとしても貫き通さなきゃと思ったんだ」

 何を言っているのかすぐに察しがいった。

 シュウサクは懐からタバコを取り出すと口にくわえた。

「わるいけど一服せてもらうわ。ユーちゃんがタバコ苦手なのを知って止めていたんだけど、今日ぐらいは吸わせてもらう。これからまだやらなきゃいけないことが盛り沢山だから、いっちょ景気づけだ」

 吐き出しされた煙は、真夏の公園に少しの間漂い、やがて夏の星座の中へ消えていった。

「ゆーちゃんさ、他のやつと付き合ってるらしいんだわ」

 この前の駅前の光景が目に浮かんだ。相変わらずユズの顔は塗りつぶされていた。

「二股ってやつだ。話には聞いていたけどさ、まさか自分がやられるとは思わなかったよ。ほら、今はこんなザマだけど、普段の俺はそこそこいい顔してんじゃん。だからそういう状況になったとしても、俺がやる側だと思ってたんだ」

 煙草をくわえたままシュウサクはもごもごと口を動かして笑った。自分自身に向けられた嘲りは、紫煙と共に夏空に吸い込まれていく。

 乾いた金属音をさせ、シュウサクの体が前後に揺れだす。足を振り子のように使い、さらに加速をつける。青年の力でこがれたブランコは、あっというまに限界点に達した。

 小さかった頃はその高さまで漕ぐのに憧れたものだ。しかしいくら漕いでも、今のシュウサクの半分ほどにも達しなかった。

「でも好きだから。それでも好きだから。ぜったい取り返す、ユーちゃんを取り返すぞ!」

 それでも、と自分の言葉に勢いをつけるかのように、シュウサクは漕ぎ続ける。

 乾いた金属音と、咥えられたタバコが作り出す軌跡が、公園に何時までも繰り返していた。

 

 それからまもなくしてユズがやってきた。

 この前来た時と似たような服装なのだが、どこかが違っている。

 母親が麦茶を持ってきたとき、やっとそれが分かった。

 匂いだ。

 控えめながら香水をつけている。それに、化粧もしている。いつもよりも肌は綺麗で、鼻筋の通りがよく、メガネの上の眉も綺麗な弓形だ。

 こうして見ると、なんでシュウサクが熱を上げるのか分かった。単純に綺麗なのだ。それも化粧栄えのする類の綺麗さなのだろう。

 ユズがもっと派手な化粧をし、派手な服装を身につけたところを頭に思い描いてみた。明るく染めた髪を巻き上げ、陶器のような肌をし、露出の多い服装は人目を引きつけ、特にホットパンツから伸びる足は息を飲むほどだ。

 なるほど、シュウサクみたいなタイプにはたまらないのだろう。

 顎にたまった汗が、重力に負けて滴り、座布団に模様をつける。

 首を振って風を送り出すだけの扇風機では、やはり力不足だ。

 この暑さの中なのに、ユズは嘘みたいに汗をかいていなかった。感情と共に、汗もどこかに置いてきたようだ。

 ユズは何も喋らなかった。代わりのように、開け放たれた窓から元気な子供たちの声が聞こえてくる。

 こちらから何か喋らなければいけないのだろうが、いったい何を言えばいいのだろう。とりあえず二股の件で道徳めいたことや、常識ぶったことのたまわなければならないのだろうか。しかしそれには気が引けた。当たり前のことを当たり前のように人に説いて、それが相手の血肉になるには、僕らは少々歳を取り過ぎている。

 ふいにユズの口が動く。

 燃えるような赤い舌が、顔を覗かせる。

 意識が集約されていく。

 子供の声も、扇風機の回る音も、送られてくる風も、さんざん悩まされた暑でさえも、意識から遠のいていく。

 ただあるのは、ユズだけだった。


 夏休みも終わり、また退屈な学校生活が始まった。

 シュウサクの孤軍奮闘は続いているらしく、学校では意気込みを、晩には勇ましい戦況報告をしてくる。幸い顔に傷を作る事態にはあっていない。

 ユズはあれから週に一度、家へ来るようになった。来る度に心に貯まった澱のようなものを僕の部屋に吐き出していく。やっと落ち着いてきた暑さの代わりに、言い表せない淀んだ物がたまっていくように感じられて不快だ。

 彼女はそうやって自分を護っている。いや、護った気になっているのだろう。だけどそれはいけないことだ。たしか相応しい言葉があった筈だが、何と言っただろう……

 そうだ、スポイルだ。

 彼女は自ら自らをスポイルしている。

 本来澱だって心の一部のはずだ。それをいくら持ちきれなくなったからといって、他人に押し付けるのは正気の沙汰ではない。自分の一部を捨てて無事なはずがない。近いうちに限界が来るはずだ。

 漠然とした予想は、思いのほか早く当たった。


 十月も終わり、木枯らしが吹き荒ぶ頃、二人の姿は学校から消えた。

 ユズが妊娠をしたのだ。産むといって聞かない彼女は親の反対を押し切り、学校を辞めた。シュウサクもユズを追いかけるように学校を辞めた。

 しばらくして、シュウサクから電話があった。 今はガソリンスタンドで働いていて、毎日店長から怒鳴られているといって笑った。

「でもやり甲斐があるんだ。ガソリン入れたり窓拭いたり灰皿洗ったり、それで礼を言われるとすげー気持ちがいいんだよ。なんていうか、人に感謝されるとこんなに嬉しいんだなって。この年まで気づかないなんて、俺ってやばいかな」

 ユズはまだ実家にいて、一緒に住んではいないらしい。しかしお金が貯まったらアパートを借りて共に住むということだ。赤ちゃんと母体、共に元気で、日々大きくなるお腹をさすってやるだけで元気が出るのだという。

 最後になって、シュウサクは意を決したように話し始めた。

「実はさ……俺、ユーちゃんとそういうことした事ないんだ。だから赤ちゃんの親父はもう一人のほうの彼氏なんだ。だけどそれでもいいんだ。俺、ユーちゃんが好きだから。この子もユーちゃんの一部なんだと思えば愛せると思うんだ。こんなこと聞いて馬鹿だと思うだろ? 俺も馬鹿だと思う。でも馬鹿だから、こういう接し方しか出来そうにないんだわ」

 それは意外性のない告白だった。

 そんなことはとうに知っていた。

 シュウサクがそう考えるのも予想通りだった。

 

 さらに季節はめぐり、春が来た。

 受験に向けて慌しくなってくるなか、シュウサクからの電話が鳴った。

「俺ゆるせねーんだよ! ここに来て認めねーってどういうことだ! どういうことだよ!」

 それだけ言うと一方的に電話は切れた。

 いやな予感がして、すぐにリダイアルボタンを押したが繋がらない。数コールの後、留守電に切り替わる。人工音声の案内が空しく携帯電話からこぼれる。

 窓の外が騒がしくなった気がした。


 少年刑務所に入ったシュウサクから長い手紙が来た。下手くそな文字だが、気持ちを込められて書かれた内容は、ほとんどユズに関するものだった。その中で唯一自分を語った、俺の何が悪かったのか、という文面に僕はひかれた。

 色んな言葉が頭に浮かんだ。しかしどれも違うような気がして、頭をゆすって振るい落とし、そうして唯一つ残った言葉。

 それは『察する』という言葉だった。

 思えばシュウサクは最初から最後まで察するということが出来なかった。普段からもっと考えて人と接していれば、こんなことにはならなかった筈だ。

 少なくとも……殺すべき相手を間違えるなんてことはしなかった筈だ。

 手紙の最後はユズを頼むで締めくくられていた。

 しかしそれは無理な相談だった。何故なら、ユズは産まれた子を連れて失踪してしまったからだ。理由は分からず、捜索願いを出された今でも見つかってはいない。まだシュウサクには知らされていないようだ。

 僕は目を瞑ると、どこかの誰かに、心の澱を押し付けているユズの姿を思った。

「察してくれ」

 幾度も呟きながら、僕はペンを取った。

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