6月6日 午前5時45分 ル・マン市(第7軍司令部)
第7軍司令官・ドルマン大将の軍歴は長い。しかし惜しむらくは、ほとんどトップとしての指揮の経験がなかった。加えて健康状態も思わしくなく、西部戦線の閑職を得て養生している。この人物に、いまやドイツの運命の重要な部分が掛かってきたのであった。
前線から次々に混乱した情報が入ってくる。夕焼け空が様々な色に変わりつつやがて暗闇にとけ込むように、流れ込む情報は空挺降下の情報から爆撃の報告に変わり、いま艦砲射撃の報告に変わりつつあった。規模は分からないが、第7軍管区が上陸の目標になっていることはほぼ確実であった。
「閣下、第12SS戦車師団に、出動命令を出しますか」
促す参謀長に、ドルマンの返事は煮えきらない。一般に師団は軍団に属し、軍団は軍に属する。第12SS戦車師団は”ゼップ”ディートリッヒ大将の第1SS戦車軍団に属する建て前になっているのだが、この軍団には第12のほか第1SS戦車師団も所属していて、この第1SS戦車師団はなんとベルギーのブリュッセルにいる。つまり第7軍がこの軍団に命令権があるのかないのか、はなはだ曖昧なのである。
その隣に陣取る第91歩兵師団長のファライ少将もどうしても所在が知れない。これについてはドルマンに責任があった。この天候では上陸はないと判断して、ル・マン市の第7軍司令部で机上演習を行うため、各師団長を召集していたのである。司令部のあるル・マン市は軍管区の中ではパリ方向に偏った位置にあったから、遠方の師団長はもう出発してしまっていた。
意を決して、ドルマンはディートリッヒに軍用電話を入れた。
「第12SS戦車師団の件だが……」
「やっこさんたちなら、とうに出動しておるよ」
ディートリッヒはNSDAP(いわゆるナチス党)突撃隊以来のヒトラーのシンパで、やや軍の規律になじまない言葉遣いをするが、正直で常識ある人物であった。
「バイエルラインの戦車教導師団はまだ準備中だがな。閣下はご存知かどうか知らんが、艦砲射撃があってな」
「もう出動しているのか」
事後通告を受けて憮然とするドルマンに、怒るでもなく笑うでもなく、ディートリッヒは告げた。
「大将閣下にこのようなことを言うのは失礼と存じているがな。弾を食らう前に移動せにゃならんのだ。東部戦線ではみんなそうやっとる」
SSだけがそうやっとるのだろう、とドルマンは心の中でうめいたが、年長者らしく感情を抑えた。先は長いのだ。とても。