四ノ部屋 SS「スカートと車窓とこころ」by砂臥環様
砂臥環様による、「辰巳センセイの国語科授業」のサイドストーリーです。
場面は、辰巳センセイ本編「終章 こころの時間」のクライマックス直後を描いてますので、お読みいただくのは絶対に本編読了後がよろしいかと。
メインキャラである辰巳と咲耶の、クライマックス後という踏み込んだ場面設定だけでも、普通のSSとは一味違うといいますか……作者が見ても唸ってしまうほどのキャラクターの把握ぶり、本編テーマへの斬込みぶりです。凄まじい完成度に、思わずのけぞってしまいました。
作者としても「きっと、こうだったのでは」と思えてくる素晴らしい作品です。
ぜひぜひ、お読みいただきたいと思います。
帰りの新幹線。
当然窓際の席に咲耶を促した俺だったが──
「先生、どうぞ」
「いや、俺は……」
「いいえ」
強い調子で咲耶はそれを拒んだ。
「先生が座った方が、いい」
通路で言い合ってても邪魔になるだけだ。人が来てしまったので、彼女の頑なな態度に疑問を抱きながらも窓際の席に着く。
────流れる車窓。
(ああ、そうか)
きっとこれはけじめ。
咲耶は別れの時間をくれたのだろう。
もうこの景色を見ることも……ないのだから。
「──先生?」
俺の袖を彼女が引っ張り、掌をねだる。指と指の間に、彼女の細い指。
「こういうの、憧れてたんです」
ふふっと無邪気に笑う咲耶の笑顔を素直に見つめることができず、視線を下げた。
複雑な気持ちが靄の様に蠢いていた。
──過去は無くすことができない。
視線を下げた事で、彼女の真っ白なスカートの汚れが視界に入る。
「……それ」
「え?」
「スカート……ごめん。 すごく似合ってたのに」
「ああ」
そうだ。
俺は咲耶のスカートを汚してしまった。
真っ白な、咲耶のスカート。
はっとするほど、よく似合っていた。
──俺は何度間違えたら気が済むのだろう。
今度は間違えてはいけない。
「今度、買いにいこう……戻ったら、ふたりで」
恵里への……そして美幸への気持ちに区切りをつけて、精一杯の笑顔を咲耶に向ける。そんな俺に彼女は何故か不満気に顔を背けた。
「──私、『先生』が好きじゃありません」
「え……」
「『こころ』の。 『こころ』の『先生』は、ズルい。 向き合ったフリをして、全て自分の中で完結させている」
「……」
『こころ』の、と言いながらも咲耶の言葉は明らかに俺に向けられていた。はっきりした口調で彼女は更にこう言い切る。
「『先生』はかっこつけで見栄っ張りの矮小な男です」
「……随分な言いぐさだな」
これには苦笑するしかない。
そんな俺を咲耶は睨み付けるように見据えて続ける。
「きっとそんなことくらい、妻はお見通しでしたよ? Kのことにしたって妻……お嬢さんは知っていたんじゃないでしょうか。 先生が幼いと勝手に侮っていただけで……Kとの関係性や母親の判断を鑑みても、諸々気付いていない方が不自然ですよ。 ──そこで問題です」
まるで教師が生徒に対してするように、咲耶は俺に問いかけた。
「妻は、本当はどうして欲しかったと思いますか? ……これは私の想定する妻ですから、それを踏まえて考えて下さい」
少しだけおどけたようにそう言うも、声は掠れ、鼻の頭が微かに赤い。
咲耶は指に力を込める。
『妻はどうして欲しかったか』──
「……きっと、」
紡ごうとした答えは『きっと』で止まってしまい、そこから先は喉から出てこなかった。
もっと自分の気持ちを……罪悪感や迷いや葛藤を、弱さを話せていたならば……『先生』には違う未来もあったのだろうか。
「……先生がスカートを汚したんじゃない、私が自分の意思で膝をついたんです」
いつまでも先を答えない俺に、しびれを切らしたように咲耶は言った。
泣きそうな顔で、意地悪く笑う。
「私は『こころ』の妻じゃありませんから。 先生の泣き顔を見てやろうと思って」
目頭に熱いものが込み上げてきて、俺は顔を窓へ向けた。
「ああ……君は、そういう人だ」
あの時……いや、ずっとわかってた筈のことに、今更のように気付く。
また俺は間違えそうになっていた。
間違えを恐れるあまりに。
窓の外はもう、とうに景色は変わっている。映る思い出は恵里の墓参りからの帰路。それだけだった筈だ。
……今年までは。
「……でも、スカートはやっぱり買ってもらおうかな。 来年また先生が泣き崩れても、大丈夫なように」
──全くふざけた台詞だ。
きっとさっきと同じ様な表情で言ってるに違いなかった。……涙が止まらなくて、見ることはできないが。
「先生、泣いてるんですか?」
くぐもった中に、嬉しさを滲ませた咲耶の声。本当に意地が悪い。……きっと、彼女もないているに違いなかった。
答える代わりにひとつ、尋ねる。
「…………何故、窓際を俺に?」
その質問に彼女はこう答えた。
「先生が色々思い出して、泣いても目立たないようにですよ」
咲耶はまた指に力を込める。
今度は俺も、ぎこちなく握り返した。
【スカートと車窓とこころ】終