ロザリオ・サイン
自己紹介から始まったのは、多少の面識はあるが互いに『秋の幼なじみ』、『秋の相棒』としか知らなかったからだ。
それからの数分間、桐子と沙也加の問答が続いてから、桐子はようやく文化祭の全容を掴んだ。
「ほうほう、そんな催し物があるのですか。さすが高校」
文化祭がどういうものなのか知ると、桐子のなかでも俄然と気持ちがわくわくしてきた。
「一般の人も来れるから、桐子さんも予定が合えばおいでよ!うちのクラスは定番の喫茶店やるんだよ」
と沙也加が誘った途端に、桐子は死んだ魚のような目を鮮魚よろしく輝かせて、ぐっと詰め寄った。
心なしか、瞳の大きさも変わったような気さえする。
「プリンはありますか?」
「……プリンアラモードなら、メニューにあるよ」
前傾姿勢にならなくてもある程度はわかっていたが、桐子の胸元でふるりと揺れるどデカイ双丘の迫力には、沙也加としては危機感を抱かざるを得ない。
いったい何カップなんだと詰問したいが、聴けば絶壁に立たされた気分になるだろうから辞しておく。
「なるほど、是非お訪ねします」
しゅるしゅると瞳の大きさが元に戻るのと同時に、座っていた椅子にすとんと戻る桐子。
そのまま数分間。
お互いに次はなにを話したらいいのかわからないので沈黙を守っていたが、居たたまれなくなってきたのも同時だったらしい。
「「あの」」
再びのハーモニーに、ふたりは譲り合いを始めた。
「あ、桐子さんからどうぞ」
「赤木さんからどうぞ」
断る余地も与えられずにすっぱりと譲られて、先攻は沙也加になる。
「じゃ、じゃあ言うけど……その『赤木さん』っていうの、やめてくれない?」
沙也加がほんの少し不満げに突っ込むと、桐子は沙也加の意図を汲み取ることができなかったようだ。
彼女は明らかにしょぼくれた表情を浮かべている。
「私に名を呼ばれるのは不快ですか。わかりました、これからは『あなた様』と」
「ちっがーう!そうじゃなくて!」
「?」
頭の上に疑問符をたくさん浮かべる桐子に、沙也加は手を合わせてはにかみながら『お願い』をした。
「『沙也加』って、呼んでほしいな」
そこでようやく彼女の親しみがこもった気持ちに気付いた桐子は、こそばゆいやら照れ臭いやらで、しばらくの間もじもじと体を揺すって沈黙。
やがてなにかを決意したかのように、姿勢を正して一礼した。
「……わかりました。では私の方も是非、『桐子』とお呼びください」
「りょーかい!」
互いに『名前呼び』の了承を得たところで、なんだかますます相手のことを身近に感じられた気がする。
普通の友達にしては、少しぎこちなくて形式張ってしまった感があるが、こんな始まり方もまぁいいかと、沙也加は桐子とのこれからを素直に楽しみにした。
そこで彼女を文化祭に招待したことを思い出し、出来上がったばかりのパンフレットの存在も芋ずる式に引き出される。
彼女がここの生徒ではなく、修道女としての任務でここにいることも思い出され、早く渡してやりたいと思い立つ。
「教室に文化祭のパンフがあるんだ!ちょっと取ってくるね」
桐子にそう告げて椅子から立ち上がったとき、
「私が取りに向かいましょうか?」
と桐子も立ち上がろうとしたのだが、沙也加が当然の疑問をぶつけた。
「ずっと疑問だったんだけど、お仕事は?」
「秋がいれば問題ありません」
淀みや迷いのない桐子のその返答に、沙也加は嬉しく思いつつも、嫉妬してしまいそうになる。
「……あいつのこと、すごく信頼してるんだね」
彼らの信頼関係がどのような過程で積み上げられたのか、沙也加はなにも知らない。
だけど秋がどれだけ優しい男かは、充分に知っている。
そして目の前の少女も、とてもいい子だとわかった。
————もしかしたら……。
自分勝手な不安が過ぎったことで、沙也加は自分を責めた。
しかしその不安は現実だと、桐子の反応がしっかり証明した。
「い、一応は相棒ですし?ある程度は信頼を置かないと、戦闘という場では背中を合わせて戦わにゃければにゃらない場面もありますし、ですから好意とは別に」
「わかったわかった、落ち着きなさい」
桐子の顔は茹で蛸のように耳と首まで真っ赤で、舌を噛みそうな早口で言い訳をまくし立てたので、沙也加は彼女の肩をテーブル越しに優しく摩った。
桐子の荒ぶった息が整ってきたところで、沙也加もようやく不満をボヤいた。
「……まぁあいつ、女慣れしてないからねー。十七歳童貞だし」
「えぇ……真っ盛り高校三年生の童貞ですからね、逆に不健全です」
などと桐子も残念ながら同意を禁じざるを得ないほどに、秋に女っ気は皆無だ。
確かに男女問わずクラスメイトと仲良くなり始めた最近だが、それでも誰かが秋に恋愛の意で好意を抱いている様子はなく、沙也加も安堵している。
「ほんと、バカだよねー。生意気にこんな美少女ふたりも引っさげて、さ」
落胆と、安心。
ふたつの意味合いで、沙也加はため息を吐く。
彼が沙也加の気持ちに気付いているのかどうか、甚だ疑問である。
同時にライバルの桐子に対しても、残念ながらあまりいい線は行っていなさそうだと、沙也加は彼女の反応からちゃっかり窺っていた。
「んああああっもうっっ‼︎」
————はっきり告って、ガンガン攻めていかないとわかんないわけ⁉︎
奇声をあげてぐしゃぐしゃっと髪をかき乱す沙也加に、桐子はほんの少し目を丸くした。
なにかあったのか、と桐子がオロオロし始めて人を呼ぼうと立ち上がったので、沙也加は右手で制止した。
まどろっこしい、面倒くさい、うととしいの三拍子。
あんな男のどこに惚れたのか、自分でも疑って頭が痛くなりそうだ。
幼稚園から始まってずっと毎日、高校でまでアレコレ世話を焼いてやったのは、どこの誰様だとお思いか。
それだけ側にいたのに、どうして気付いてくれないんだろう。
————そういえば。
と沙也加にとっては素朴な疑問が浮かんだ。
「桐子って、学校行かないの?」
彼女が高校に通っていないことは、文化祭の説明の折に聴いた。
「…………」
しかし桐子が急に黙り込み、まずいことを口にしてしまったのかもしれない、とすぐに後悔する。
「あ……理由があるなら忘れて。ただ……桐子も一緒に通ってたら、賑やかになって楽しいだろうなって、勝手な妄想だから」
余計なこと言ってごめんね、と平謝り。
秋がいて、桐子がいて。
三人で学校に通って、毎日勉強や部活などに勤しんでから、放課後はたまにお茶したり。
そんななんて事のない『もしもの毎日』があったら、なんて夢を見た。
もう秋も沙也加も三年生で、大学受験の時期だ。
沙也加は両親の勧めもあって神奈川エリア内で進学するつもりだが、勉強嫌いの秋はきっとこのまま、修道士として任務に明け暮れるだろう。
三人で学校、なんてものは現実として不可能だ。
無理を考えたのは、わかっている。
しかし。
「行きたい…………の、ですが」
ぽつりと所在無げに桐子の声。
勉強に自信がない、と彼女は不安を漏らした。
そのハードルさえクリアできれば、すぐにでも学校に行きたい。
そういうことかと彼女の思いを判断し、ならばと沙也加は協力を提案した。
「勉強ならわたしが見てあげるよ。秋になんて任せたら、どんなテキトーぶっ込まれるかわかんないしね」
「教えて……くださいます?」
まだ不安そうに揺れる美しい灰色の瞳に、沙也加はどんと自分の胸を叩いて、頼もしげに請け合った。
「まっかせなさい!」
「あーっ‼︎」
なんて声が急に上がったことで、声が聴こえた食堂の入口にふたり揃って顔を向けると。
「桐子テメーこんなとこで油売ってやがったのか!」
秋が文字通りに肩をぷんすか怒らせて入ってきた。
どうやら唐突にドロンした桐子のことを散々探し回っていたらしく、額の汗から徒労の色が濃く窺える。
「沙也加まで一緒になって……なんの話してたんだ?」
相棒の発見にひと安心して、ガリガリと頭を掻きながら尋ねる秋。
「「…………」」
女子二名は視線で会話。
『どうする?言う?』
『オフレコでお願いします』
あっさりと決断が出たことで、沙也加も桐子もくすりと笑い合う。
「バカにはナイショ」
「です」
「誰がバカだクソ女共。喧嘩売ってんのか」
結託しているようなご機嫌仲良しな女子たちに反して、秋はなんだか仲間外れにされた気分でムッとした。
しかしすぐに取り直して、実は沙也加にも用事があったことを思い出す。
「沙也加、教室戻んなくていいのか?さっき担任が探してたぞ」
悪魔祓い事件の混乱から、まだ完全には明け切らない第一高校。
生徒全員の無事を確認するべく、クラスごとに点呼を取っていたらしいのだが。
そこに沙也加の姿が見当たらず、彼女と秋の担任教師が大慌てで探しに出ていると、秋も報告を受けていた。
一応、先ほど職員室で会ったことは伝えたので、無事ではあるだろうと慌てないよう言いくるめたのだが。
沙也加もこれはまずい、と食堂から出て教室に戻ることにした。
「桐子ごめん、パンフは今度でいい?」
「構いませんよ。沙也加の都合さえよろしければ、いつでも」
流れていたパンフレットを渡す件の約束を交わし、沙也加は足早に去っていった。
「事後処理は終わりましたか?」
ふたりきりになり、がらんどうの食堂を出てしばらくしてから、桐子は秋に尋ねた。
学校施設にしては広めの廊下を通り抜けて、生徒用の昇降口で秋は上履きから外履きのブーツに履き替えた。
桐子はここの生徒ではなく、緊急事態だったので外履きのままだ。
「オメーが聴く権利は剥奪されるべき案件だが……まぁあらかた終わった」
桐子のマイペースぶりに呆れつつも、相棒としてちゃんと情報共有する。
あとは教会本部にいるはずのルカに報告しに行って、それで問題が発見されなければ今日のところはお開きだ。
これからその足で本部に赴くべく、お古のバイクを置いてきた駐輪場へ向かう。
長かった残暑がようやっと終わりを告げて、紅葉も進み始めたようだ。
銀杏並木と桜の木が紅く色づき始め、鮮やかというよりは落ち着いた印象を与える。
事後処理も落ち着いた段階とはいえ、まだ警備用機械人形や修道士たちが破壊の跡を片付けている様子が見えた。
秋の顔見知りもいて、彼らと軽く挨拶を交わすなかで。
「そうですか。それはお疲れ様でした」
その繁忙を横目にしれっとペロッとおっしゃる相棒様にイラッとしつつも、秋は先ほど見ていた沙也加との交流を思い出した。
「……沙也加と友達になったのか?」
あの桐子が彼女と名を呼びあっていたところを察するに、おそらくそうであろうと、そうだったら幼なじみ、もしくは相棒として嬉しいなという期待を込めた。
桐子は頷いて、沙也加の屈託のない笑顔を思い出す。
「えぇ。沙也加はとてもいい人ですね」
「あぁ、アイツはめっちゃくちゃいいヤツだよ。俺みたいなのでも……絶対に見捨てたりしねーもんな」
いつまででも、彼女は秋のことを決して見限ることなく、秋の日常を守っていてくれた。
こうして三年生まで学校にいられて、居心地のよささえ感じられるのは、間違いなく沙也加の尽力によるものだ。
彼女には借りを作りすぎて、とても返しきれないなと。
そう漏らせばきっと沙也加は、「だったら返さんでいいわよ、んなもん」と突っぱねるだろうなと想像すると、思わず笑いがこみ上げる。
その笑みを隣で歩く桐子がどう捉えたのか、秋にはわからない。
「秋」
と呼ばれて横を向いた、その瞬間に。
第一高校の制服であるグレンチェックのネクタイを引っ張られて、上半身の体勢が一気に桐子の方に傾いた。
しかし首の苦しさを感じる暇もなく、唇に押し当てられる柔らかく温かい感触。
離れようにも押さえ込まれて、追い込まれて、逃れられない。
ようやっと解放され、互いの体液が交じり合って糸を引く。
「あなたのせいなんですから、責任とってくださいね」
漏れ出る吐息の合間に告げられたサイン。
透き通っていて青にも見える灰瞳は、いつもより鋭く煌めいている。
にやりと魂を刈り取る悪魔みたいな微笑みは、秋の心臓をいつもよりもずっと速く高鳴らせた。
「⁉︎な、なんの……?」
意味を問うと、しかしはぐらかされ。
「さて、ゲーセンにでも寄ってきますか。バイク出してください」
「ざけんな自分の足で行け」
秋の左手に巻かれた、聖母マリアを伴ったコンボスキニオンが斜陽を受けて、プリズムのように光る。
橙色に、藍色に、水色、黄色、灰色、赤色に。
いつも通りの日常が、目まぐるしく駆け巡る。
《白》も【黒】も優しく彩る、世界という巨大なカンバスのなかで。
胸に光る《ロザリオ》に、なかなか届かないサインがある。
どんなに届かなくたって、間違って届いたって。
懲りることなく今日も描いて、君に届けるよ。
最後まで『ロザリオ・サイン』、秋たちの成長にお付き合いいただき、ありがとうございます。
物語はここでひとまずおしまい。ですがまだ私の中でお別れできておらず、子離れが難しいです。
生まれて初めて完結できたこの作品、ずっと自分の心に残ることでしょう。
皆さんの心にも残りますように!
ありがとうございました!