少し背の高い『君』。
西暦二〇三三年十月。冷たさが際立ってきた秋風で、ほんのり震えるなか。
ようやく無事に本日の悪魔祓いを終えて、面倒くさい事後処理を済ませている最中のことだった。
現場が秋が通う第一高校であることから当然、学校側への対応もあり、職員室に案内されて話を進めている。
ふと桐子を呼びつけたのに反応がないから、周囲を見渡してみると。
もぬけの殻だった。
「アイツ……っどこ行きやがったクソ女っっ!!!!」
と半ば怒鳴り散らして探しに出ようとしたところを、むんずと予告なしに首根っこを掴まえられて、仕方なしに立ち止まる。
こんなことをしでかす人間は、秋が知っている限りこの世に三人しかいない。
ひとりはルカ。
もうひとりは沙也加。
残る最後は……
「桐子っ!おっまえ俺にばっか仕事させやがって……」
しかし振り向くと、蜂蜜色のおさげ髪ではなかった。
赤茶色のセミロングヘアを揺らした、背が高い快活そうな少女の顔は、どうしてかにんまりとしている。
「……沙也加かよ」
明らかに肩を落とした秋に向けて、沙也加はきゃんきゃんと吠え出した。
「なによ、そのあからさまにガッカリした顔!保護者その一として、仕事ぶりを見にきてあげたんじゃない」
ぽかっと一発、いつものノートを丸めた棒で秋を叩くが、彼はまったく動じない。
それどころかバインダーに挟んだ紙切れになにか書き物をしだして、沙也加のことは二の次のようだ。
「邪魔すんじゃねーぞ」
などと横目で偉そうに言うものだから、沙也加はノートの棒で秋の背中と肩をぽかぽか叩いて突いて、邪魔をしまくる。
「小憎たらしい!誰がそこまで育てたってのよ?」
「少なくともお前じゃない」
「黒澤中級輔祭」
と学校側の男性職員に呼ばれて、返事をしたところ。
「へぇーえ」
などと感心したような、からかっているような、その半々の奇妙な声を上げる沙也加。
「んだよ気色悪いな、ブスが目立つぞ」
「失礼ね!……まったく、立派になっちゃって」
ぷんすかと音を立てて怒るのもそこそこに、沙也加は急に淋しげなため息を吐いた。
————神父の仕事を始めた頃は、あんなに心配させてくれたのに。
最近ではあの頃みたいに落ち込んでいる様子がなく、『秋の姉貴』である沙也加としては安心反面、世話焼きの余地がなくて手が暇だ。
「……まぁ」
カリカリと紙に走らせていた手を止め、秋は唐突に悪戯っぽくにやりと笑った。
「ちょっとだけ?一ミリくらいは?お前のお陰でもあるかもな」
「⁉︎」
「なんつってな。ホレ、とっとと教室戻っとけ」
沙也加の額を指で弾いてから、秋は先ほど呼んでいた男性職員の方に向かっていった。
その背中は、よく見知った『少年』のものではなく。
かといって立派に仕事をこなす『大人』のものでもなく。
だけどいままでになく、沙也加の胸を激しく高鳴らせて掻き乱す。
「な……なによ!急にカッコつけんな、万年窓際野郎!」
我ながら酷い捨て台詞だと、残念に思わなくもない。
秋が窓際の席に拘るのは、ずっと変わらない。
たぶん単純に好みの問題なんだろうと、沙也加も考えを改めた。みんな窓際好きだしね。
しかし最近じゃあ、たまにクラスメイトと話している現場を見かけることもしばしば。
最初に見かけたときは、秋からなにか喧嘩でも売ったのかと姉貴心から耳をそばだてていたのだが。
どうやら好きな漫画の話をしていたようで、相手の男子は朗らかに笑っていた。
しかし沙也加は我が耳と我が目を激しく疑った。
あの秋が?
普通の男子みたいに?
普通の男子と?
普通に会話している⁉︎
いったいどういう経緯でそうなったのかはわからないが、それから割とその光景は頻度が高く、たまに女子も紛れていたのには、内心で戦々恐々とした。
もうすぐ第一高校は文化祭を迎える。
その準備には、秋も任務がないときはちゃんと参加していた。
普通の男の子とほとんど変わらない、その姿は。
かつて沙也加がそばで見ていた秋の姿だが、しかし変わったことも、確かにある。
秋はもう、闇に怯えることなく生きているのだと。
沙也加も実感して、教室への廊下を軽やかなステップを描いて歩いていた。
しかしその通り道で、ほんのわずかに見覚えのある黒服を着た少女と再会する。
「ぶん、か、さい……?」
任務なんて秋に放り投げて、桐子は立て掛けてあった作りかけの外看板を、じっと眺めていた。
はて、『文化祭』とは。
いったいなんの祭りなのか、小卒で筐体ゲー廃人で、仕事以外は引きこもりで世間知らずの桐子には、よくわかっていない。
確かにたまに学園が舞台のゲームにイベントとして出てくるものの、その概念も意味もまったく理解できず、だいたいそこで選択肢を間違えてバッドエンドを迎える。
これだから学園ハーレムは……だいたいあんなあからさまに好意を向けてくる尻軽女共のハートをキャッチして、いったいなにが楽しいんですか。
それなら秋なんて難易度レベルマックス振り切っているじゃないですか、私の恋愛はお先真っ暗じゃないですか。どうすんですか。
少しはラノベ主人公みたいに殺したくなるほど鈍感でいて、私の気持ちに気づかないまま日々を無為に過ごして、朝チュンに持ち込ませるチャンスをくださいよ。ガード堅すぎて結婚に持ち込める展望がありませんよ。
……ちなみに修道士は叙任される前に申請しておくと、妻帯できますよ。
などと方向性を見失った憤りを思い出して舌打ちしていたところ、女子生徒の影が見えたので、一応きいてみようと思い至った。
「そこの方、少しお尋ねしてもよろしいでしょうか」
と動画配信のときの積極的なキャラはどこへやら、緊張の面持ちで努めて丁寧な声を掛けた。
そこで今更ながら、少女の顔に見覚えがあると気付いた。
「「あ……秋の」」
と双方の声が重なって、それからなし崩し的に見知った顔の少女————赤木沙也加に疑問の解消を手伝ってもらうことに。
沙也加は教室に戻るのをやめて、桐子をすぐ近くにある食堂に案内した。
飲み物や食べ物の自販機が集中しているため、普段から誰もいなくても開放されている。
『悪魔祓い』などという緊急事態が収束した現在だが、さすがに食堂で駄弁ろうなんて豪胆な生徒はいないようだ。
入口に近い席を陣取って、ふたりは向かい合わせになって話を始めた。