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僕のヒーロー

ひとり教会堂の袖廊を左に向かい、その奥に進んだ桐子は、控え室であろう部屋で地下への通路を見つけた。

「ふむ。嫌な予感がビンビンしますね。もしや当たりを引いたのは、私ですかね」

地下通路から漂う重々しい空気に、さすがの桐子も緊張感で背筋を伸ばす。

おそらくこの地下通路は規模から想像するに、かつて納骨堂として使われていたのかもしれない。

現代では教会の戒律も緩んでいて、必ずしも遺骨を教会に預けるべきとはしていない。

自由化に伴って、地下納骨堂が空になった教会堂も多くあるのが現状だ。

だから教会堂によっては納骨堂として使っていた空の地下を食料庫として利用したり、もしくは掃除に入るだけで放置、というところもある。

物がほとんど見当たらないことから、この納骨堂は後者であろう。

「秋は……大丈夫でしょうか」

ぽつんと呟いた声は、地下の広い空間によく響いた。

秋と出会うまで、ずっとひとりで戦ってきた。

相棒なんて名ばかりのひとたちが一緒であっても、固く閉ざされた桐子にとっては『ひとり』も同然。

だからひとりなんて慣れっこだ。そう思っていたはずなのに。

いまはどうして、こんなにも不安に感じるのだろう。

秋がそばにいないから……?

たったそれだけのことで、こんなにも心淋しくなるものなのか。

「————そこにいるのはわかっていますよ。いますぐ出てくるなら、半殺しで済ませましょう」

太腿に装備していた革のホルスターから、愛銃を秒の速さで抜いて構えた。

コッキングもとうに済ませており、相手が妙な動きを取ればすぐに発射できる状態だ。

ほとんどの人が気づかないであろう物音、呼吸音、気配。

しかし桐子には誰よりも鋭敏に感じ取れる。そんな厳しい訓練を受けて育ったのだ。

桐子が銃口を向けている、その柱の陰から。

「はは、ずいぶんと威勢のいいお姫様だね」

という少年みたいな口ぶりの声とともに、女が姿を現した。

妙に痩せていて、目の下には濃い隈がある。————やつれている、という表現がこれほどに合う姿もないであろう。

「あなたがこの騒動の黒幕ですね?」

おそらくこの女性は、上で秋が面倒を見ている少年の母親だろうと推測される。

懺悔室を訪れたのは彼女と少年。

果たしてどんな問題を抱えてここを訪れたのかは、残念ながら情報が渡っていなくてわからない。

「……素直に答えると思う?」

意地が悪そうに嗤う彼女————悪魔に、桐子はぴしゃりと答えた。

「無理矢理に口を割らせるのは、私の得意とするところです」

修道士(パートナー)がいなくちゃ、ボクらを祓えないんじゃない?」

彼女の服に付いたおびただしい量の血液を不愉快そうに目にしながら、桐子は銃の引き金を思い切り引いた。

「わかりませんか?あなたがしたことと同じことを、私がして差し上げるんです」

銃弾は悪魔のすぐ足元に着弾。

次は当てる、と視線で暗に示す。

修道女(シスター)が、ヒトを傷つけてもいいの?」

桐子の銃が《ロザリオ》みたいな特異性のあるものではなく、普通一般の殺傷能力があることは明白だ。

しかしそれでも悪魔は怯むことなく、むしろ面白そうに冗談めかした口笛を吹く。

悪魔も桐子の銃では自分を傷つけられず、むしろ女性の体を傷つけることになると、よくわかっているのだ。

死体を見たわけじゃなくとも、悪魔が誰かを傷つけたことはわかった。

彼女の濁った目は、人を傷つけても平気な人種のものだ。

「死なない程度であれば、任務遂行のためです」

遊底を引くことで、撃鉄が起こされた。これでコッキング完了、いつでも撃てる。

桐子の瞳と銃身は、真っ直ぐに悪魔の心臓に向けられた。

「悪魔以上に、悪魔みたいだね」

桐子の揺るぎない殺意に、悪魔は称賛の意を唱える。

「どうとでも。私は彼のように優しくなれませんので」

じりじりと迫り来る銃口に、しかし悪魔も余裕の様子。

まるで逃げようともしないのは、いったいどういうつもりなのか。

訝しみながらも、桐子は着実に距離を詰めていく。

「『彼』って、キミの修道士(パートナー)?」

「あなたの問いに答える義務はありません」

そのにべもない答えを聴いた途端に、悪魔はにんまりと不気味な満面の笑みを浮かべた。

「んふっ。んふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ!!!!!!!!!」

三日月型に歪む唇。

不気味な笑い声が、天井の高い納骨堂にわんわんと反響する。

「なにがおかしいのですか?」

反響する声を不愉快に感じて眉をしかめながら、少しでも不快を緩和させんと桐子は左手で耳を押さえる。

その一方で、悪魔はまだげらげらと腹を抱えて笑っていた。

「ほんっとうに大丈夫かなぁ、その『彼』」

「……どういう意味です?」

今度は疑問に眉を歪め、初めて真面目に悪魔の言葉に対して耳を傾けた。

悪魔は抱腹絶倒で端に滲んだ涙を指で拭いながら、桐子の疑問に答えを出した。

「ボクの相棒(パートナー)はね、ボク以上に厄介で、ボク以上に狂ってる。下手したら……」

ぺろり。

「キミの相棒(パートナー)、壊されちゃうかも?」

禁断の果実のように赤い舌で唇を舐めて、桐子の精神を追い込まんと誘惑する。

さぁ、修道女シスター

お前のこころをじっくり歪めて、粉々に壊してやるよ。

泣け、喚け、救いを求めろ。

だけどお前の伸ばしたその手をとるのは、残念ながら悪魔だ。

俯いたまま黙り込む桐子を眺めて、背筋がゾクゾクするくらいの愉悦に浸る悪魔。

しかし。

パァン!

「っ……!?」

「思い上がりも見くびりも甚だしいですね」

悪魔の髪と頬をほんの数ミリばかり、桐子が放った弾丸が掠めとる。

その銃弾には、一切の迷いや淀みがない。

「私のパートナーには、優しすぎるきらいがあります。敵にも甘いです。ですが」

たったの一撃で怯みはじめた悪魔に、しかし桐子は容赦なく何事も危惧せず距離を詰めていく。

悪魔が離れようとする間も与えず、壁際に追い込んでいった。

ついにはほとんどゼロ距離に。

桐子は悪魔の髪を掴み、無理矢理に視線を交わらせる。

「そんなにやわな男性ではありませんよ」

そのは遠くまで透き通っていて、見えない相棒のことさえ見透かしているような色だった。

怖いくらいに、信じていると強く決めた瞳。

その感情の根元がなんなのか、悪魔にはわからない。

どうしてそんなにも、相手を無条件に信じることができるのか。

————『私』には、『あの子』を信じてあげることさえできなかった。

信じることができたら、きっと……【いま】を変えることができるのだろうか。

【黒】しか見えないこの世界で、ひとを信じることは難しい。

自分の子どものことだから、迷いや不安がたくさんある。

【黒】の世界を見せないように、行かせないようにと、そればかり必死でいる。

————『私』が『あの子』を少しでも信じてあげられたら、よかったのかしら。

そのほとんど同時くらいに、ばたばたと慌てた様子でこちらに向かってくる足音が、ふたつばかり聴こえてきた。

それからすぐに、胸元がぼろぼろの秋と、先ほどの少年が仲よく連れ立って現れた。

「大丈夫か、桐子!?」

「おかーさん⁉︎」

「ほら……ね?」

桐子が内心では秋の無事を安堵して、掴んでいた悪魔の髪を緩めると、悪魔の顔は明らかに苦しみの色を浮かべている。

「くっ……!?そんな、なんで……!」

わざわざ離れさせたふたりが合流した焦りと、こころの奥から湧き上がる苦しみが、悪魔の余裕を激しく掻き乱す。

「あなたたちの敗因は、ヒトを馬鹿にして見下したこと」

桐子は秋の開いた胸元に傷があると気付いて、天使の癒しのように傷口へ、優しい口付けを落とした。

本当に癒しの力があればいいのに、と桐子ががっかりする反対で。

桐子の柔らかい唇を当てられて、痛みなんて吹き飛んだ気分に陥る秋。

————こんなの、いつも通りのことだろ!

と己に必死に言い聞かせるものの、頬の蒸気は治まらない。

「その償いは、していただきますよ」

その途端、今度は一転して乱暴に秋の胸へと齧り付き、悪魔祓いを始めようとする。

秋の右手に《ロザリオ》が顕現され、女性の胸のど真ん中に一発。

「『神の御名において、汝の惑いし魂を救わん』」

悪魔の消えゆく意識に向かって、桐子は凛とした声で告げた。

「彼……青柳藤に伝えてください。————こんな回りくどいお誘いなどせずとも、私は必ず受けて立ちます」

「はは……自分で、言いなよ……面倒だよなぁ、人間って」

消えようとするなかでもなお、母親の姿をした悪魔は少年の姿を探した。

それに気づいた秋が、少年の背中をそっと押してやる。

ほんの一瞬、なにかを躊躇うように秋に目線を合わせるが、秋も目で「行ってやれ」と促した。

「おかーさん……」

倒れる母親の側に跪いた少年は心配そうに見つめながら、彼女の手を握った。

「『ボク』は……キミの母親じゃない……でも」

彼女は少年の手を、一生離すまい決意したように強く握り返す。

涙がたくさん溢れてきて、少年の顔が見えなくなってきた。

いつもそばで見ていたその笑顔。どんなに激しく振り切っても、簡単に忘れることなんかできない。

うざったいときも、困らせられたときも、腹が立ったときも。

それでも。

「信じていた、よ……キミのこと」

虚ろに薄れていく瞳には、確かに『愛情』がこもっている。

それは『母親』のものではないかもしれない。

だがその想いは確かに、少年に取り憑いた悪魔に届いたはずだ。

少年の悪魔も、涙をいっぱい零しながら頷いた。その笑顔は、秋が見てきたなかでも最高のものだと感じる。

「……うん、僕も」

『サヨナラ』は言わないよ。僕もすぐに追いかけるから、あっちで待っててよ。

今度こそ、本当に。

僕たちは、ずっと一緒にいるんだ。

きみの『こころの声』は、おにーちゃんたちが届けてくれた。

おにーちゃんは、僕の『ヒーロー』だ。

「……アイツが仕掛けたのか」

ふたりがしばしの別れを惜しむそばで、秋は桐子に尋ねた。

「おそらく」

と桐子の返事は短い。

母親に取り憑いていた悪魔の口ぶりから察するに、彼らとは別に『真の黒幕』がいることは確かである、と桐子は推察する。

他でもない秋と桐子になにかを仕掛けるとしたら、すぐに浮かぶのは藤しかいない。

「こんな……小さな子まで巻き込みやがって……っ!」

「秋」

結果として無事に悪魔祓いできたものの、彼らを危険な目に遭わせたのだ。

自分たちのせいで、彼らを巻き込んでしまったようなものだ。

その歯がゆさに顔を歪める秋に、桐子は改まった態度で言いはじめた。

「あなたにとって、『あの人』とはなんの因果もないでしょう。私たち兄妹の喧嘩に勝手に巻き込まれて、迷惑だと思うでしょう。……だけど、それでも」

あなたなら、自分の危険も顧みず応じてくれるだろう。

本当は巻き込みたくない。

私のせいで誰かが苦しむ姿を見るのは、もう嫌です。

だけど、だけど。

「どうか……どうか兄を、あの仄暗い闇の底から救ってください」

そう頼んできた桐子の瞳は、秋が見てきたこれまでよりもずっと真剣で、だけどそれ以上に迷いもはっきりと浮いて見えていた。

きっと彼女は、秋を巻き込むことに迷い悩んでいるのだ。

それでも兄を救いたいと、強く願うこころだから。

「ばーか」

と桐子のガラ空きな白い額にピン!と一発、軽く指で突いてやった。

————そんなの、気にすることないっつーの。

「惑う闇から掬い上げるのが、修道士おれたちの使命!……だろ?」

にか!と悪戯っぽい少年の破顔。

力強くて頼もしいその答えに、桐子は有り難さと喜び、愛おしさが溢れて微笑んだ。

「……はい」


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