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悪戯

共に真の相棒として認め合い、修道士修道女として活動する中で真っ先に、大きな問題点が浮き彫りとなった。

秋にはオンボロだが原付バイクという移動手段がある。しかし桐子はあいにくと徒歩以外に足がない。

任務の連絡があって現場に急行するときに、それは最大のネックとなった。

崩壊しかかった国ではあるものの、乗り物の運転に免許制があるのは永年変わらない。

秋は桐子に原付バイクの免許を持つよう勧めて、彼女も渋々と試験を受けたのだが、ものの見事に落ちた。

『試験を受けなきゃ乗れないなんて、日本の法律は間違っています』

などと無茶を言いながら明らかに落ち込む桐子を見て、秋は仕方なしに急遽、試験勉強を開始。

教習所などに通う金も時間も惜しんで試験を突破するには、それなりに猛勉強が必要だと痛感した。

そしてついに先日、普通自動二輪免許を取得。

例によってルカからお古のバイクを譲り受け、『闇市』で買い込んだパーツを組み込んで使い物にするまでに、かなりの労力を使ったものだ。

ルカから譲ってもらったバイクはいわゆる「アメリカンバイク」と呼ばれていたもので、排気量百二十五ccの割には本体が大きい。

シート部分が広くて二人乗りにはうってつけのサイズではあるが、なにせパーツが高かった。

中古の、ギリギリ使えるものを選んでも高くて、秋の財布はあっという間にすっからかんになった。

ルカが趣味で集めて、ほとんど実走もなしに貸し倉庫へ埋めていたものだから、実用させるには無理があったのかもしれない。

しかしその苦労の甲斐もあって、移動はこれまでよりもスムーズになった。

桐子が常に秋の側にいないといけない難点が残されたものの、やはり文明の利器はどんなに古くても便利なものだ。

先代の原付バイクで二人乗りすると速度が格段に落ちたし、タイヤの減りもとんでもなく早く、桐子は走行中に落下しかけた。

二人乗りが禁止されるにはそれなりの理由があるのだから、当たり前かもしれない。

排気ガスの臭さと中古マフラーとエンジンの喧しさに、ほんのりと海風が乗せられた道路をふたりでひた走る。

「あの女性は、その……秋の彼女、ですか?」

秋の背中に身を寄せている桐子が、聴こえるか聴こえないかのギリギリの音量で尋ねる。

自分から尋ねておきながら、しかし答えを聴きたくないと、耳を塞ぎたい気持ちも湧き上がった。

自然、秋の胴に掴まる腕に力がこもる。

秋が桐子とシスターカナコ以外の女性と親しくしている様子を、桐子は見たことがない。

ルカに尋ねても、からから笑って「アイツ童貞だからな!」とだけ。

いや、それは本人からの言質もあってわかっているのだ。

それに女遊びが激しいとか、必要以上にスケベとか、そういったはっちゃけたたちではないことは、側で見ていれば自然とわかる。

さすがに学校での様子は知らないが……。

「沙也加のことか?まさか、ただの幼なじみ!」

彼女の密かな想いと複雑な葛藤になどまるで気づくことなく、秋はあっけらかんと素直に答えた。

「幼なじみ……そうですか」

桐子としては、自分の言葉ながら説明の不十分な問いだと思っていたから、そうすぐに返ってくるとは思っていなかった。

だからこそ逆に、ふつふつとあったりなかったりの疑念が沸き起こる。不服が生じる。

「それで任務って、どこで?」

バイクを走らせながら、今更のように現場について尋ねる秋に。

「秋」

「なんだよ」

ちょうど旧横浜横須賀道路の象徴たる、海の上に鎮座する長大な橋を渡り終えて、激しい海風が弱まったときだった。

「秋は……その、幼なじみの方のこと、どう思っていらっしゃるのです?」

らしくない弱気で控えめな声だが、秋には充分に聴き取れたようだ。

いつもの桐子と違う雰囲気にほんの一瞬呑まれて、秋は運転中だがほんの少し後ろを向いて、いまは怪訝そうな表情を浮かべている。

「いや、それより任務は」

「答えてくださるまでボイコットです」

「…………」

つん!と秋の視線を生来の頑固さで跳ねつける桐子に、しかし秋はなにも答えない。

ふたりの間に、気まずい沈黙が流れる。

国民の活動範囲が衰退したいまでは使われていない、荒れた無人料金所のゲートをくぐり抜けても、秋は一向に黙り込んだまま答えようとはしなかった。

どんなに鈍感で通っている秋にも、桐子の質問の意味合いをまったく想像できないわけではない。

あの桐子が、俺のことを?まさか。

そんな無駄に近い問答を続けては、背中から感じる桐子の体温をはっきりと意識する。

いつもより、ほんの少し熱いかもしれない。

呼吸も浅くて、緊張しているのは一目瞭然。

心臓の鼓動は逸り、いまにも爆発してしまいそうだ。

桐子の細い腕は秋の腹にきつく巻かれていて、しかし時折、不安そうに緩められていた。

答えを知りたい。だけどはっきりと拒否されるのは、死にそうなくらい怖い。

桐子のいまの気分はそんなところか。

秋だって、なにも桐子のことを女の子として意識しないわけじゃない。

外見は充分すぎるほどに魅惑的だし、関わってみればいいところも可愛らしいところもたくさんある。

強いところも弱いところも、『相棒』という立場でそれなりに見てきたつもりだ。

自分にはもったいないくらいに、素敵でいい子だと思う。

だけど。だからこそ、だ。

いま自分に向けられている彼女からの純真で真っ直ぐな想いに、きちんと応えることができるかどうかは、別だ。

『黒澤秋』という人間は、誰がどんな角度から見てもまったくの未熟だ。

勉強もできないし、戦うことだってひとりじゃできない。

精神的にも弱っちくて、ルカとの喧嘩がまだぐるぐると巡って、自分に迷いの色を表す。

カンバスの上で。

何色も何色も、塗っては消して、重ねては薄めての繰り返し。

ぐしゃぐしゃで、混ぜこぜ。醜いほどに汚い【黒】。

『自分の理想』さえ確立できない、貫けない。

地獄だったあの頃となにも変わりない、弱い子供のまま。

果たしてそんな男が、こんなにも素晴らしい彼女の相手として相応しいのかと。

踏みとどまってその場に立ち尽くすとともに、どうしてか。

【黒】に負けず存在する、ほんの一筋の鮮やかな《白》みたいに。

沙也加の顔も一緒に、浮かんでくるのだ。

無視しきれないその色に、思わず目を奪われる。

————こころを、奪われる。

秋のその迷いとひと匙の『想い』に気づいているかのように、桐子はふと苦しそうに微笑んだ。

「時間切れです。残念ですが、もう着きました」

と言われてほとんど反射的にバイクを停めた。

「え?ここって……」

気がつけばとうに旧道を抜けていて、国道線に沿って走破し、神奈川エリアと放置された地帯の淵である、旧伊勢原市まで来ていた。

道路沿いにこじんまりと構えられた、十字架を背負う三角屋根。

「教会堂じゃん」

「えぇ。どうやら迷える子羊は、ちょうど懺悔にいらした方のようです。ここの修道士だけでは対処しきれないということで、私たちは応援に」

秋より先にバイクから降りて、重いフルフェイスのヘルメットを流麗に外した桐子が、教会本部から受けた報告を秋に伝える。

「パートナーの修道女シスターは?」

教会堂の周囲を封鎖している警備ドルチェの眼前に、教会所属の証である紀章を見せつけて許可させる。

修道士がいるということは、その相棒である修道女も必ずいるはずだ。

「……とにかく現場に突入しましょう。事態は一刻を争います」

しかし秋の質問に答えることなく、桐子は一瞬だけ目を細めて、秋に先を促す。

「ったく。神父さまにも休みをくれよな、カミサマよ」

などと嘆息しつつ、秋は制服のネクタイを緩めてシャツのボタンもいくつか外し、いつものように胸を晒す。

「主よ、我らの原罪を、どうかお許しください」

教典の第一章序幕、第一文から始める悪魔祓い。

修道士の心臓を捧げることで生み出される、神器ロザリオ

その《ロザリオ》があって初めて、悪魔祓いは成立する。

林檎みたいに鮮やかに赤い桐子の舌が、秋の白い胸を愛撫する————かと思いきや。

「っ……と、桐子……サン⁉︎なにやって……」

彼女の舌は秋の胸を無惨に食いちぎって心臓を食むのではなく、なぜか秋の手の指をしゃぶっている。

激しく狼狽する秋のことはお構いなしに、桐子の舌は彼の指を搦めとる。

びっくりするくらいに優しく、ときには激しく乱暴に。

掻き回して、掻き乱して。

「お仕置き、です……んっ」

吐息の狭間に漏らす声は、いつもよりもずっと色っぽくて扇情的だ。

口内で指を転がされる感触もまた、膨れ上がる欲望を掻き立てるには充分すぎた。

「な、なんだよ……『お仕置き』って……っ」

いつもなら「胸を舐めただけで変な声を出すな」と理不尽に怒られるはずなのに、いまに限ってはなにもお咎めなし。

各所の感覚が妙に刺激され、全身が熱く茹だって蕩けそう。

「んっ、は……秋が素直に……っ、言わないから、ですよ……っ」

瞳を潤ませ、頬を薔薇色に紅潮させながら秋の指を舌に絡ませる桐子を見ていると、変な気を起こしそうだ。

「な……なにを……」

桐子が言いたいことがわからない。

というかまともにものを考えられなくなるほどに、恥ずかしいくらいにまぐわしい恍惚が上回って、頭がぼんやりと浮かされいている。

指から始まって全身を巡って支配する、この麻痺。

「やめろ」なんて言えなくて、むしろ「もっと続けて欲しい」なんて。

必死に保っているはずの理性など、粉微塵に吹き飛んで消えてしまうのも、もはや時間の問題かもしれない。

しかし。

「…………」

「……とう、こ?」

桐子の舌の誘惑は止まり、指の支配がじわりと解けて、彼女の口から透明の体液が糸を引く。

小柄な彼女の躊躇ったような下からの視線が、秋の視線とゆっくり交わった。

「私が言えば、すぐに答えをくれますか?」

「……っ」

その声、その瞳、その手のひら、その頬が、唇が。

全部が秋を求めていると、猛烈に訴えている。

こんなにも強くて熱い想い、撥ねのけるなんて簡単にはできなくて。

『私が告白すれば、秋は応えてくれるのですか?』

なんて暗に告白なんてされて、じゃあどうすればいい。

先ほど感じた『迷い』は消えなくて、むしろ桐子に圧されるたびに強くなって、眩さが増していく気がするくらいだ。

桐子の気持ちにいますぐ応えられない。だけど。

離れてほしくない、変わらずそばにいて欲しい、なんて。

我ながら虫が良すぎると、自分の優柔不断に歯噛みしていたら。

「————なんて、冗談です」

と言いながら、彼女は微笑んだ。

その微笑みはなんだか淋しそうで、だけど秋のことを、強く想っている優しい気持ちがよく伝わる。

「……でも。もう少しだけでも『私』を見てくれないと、お仕置きしますよ?」

「!」

今度は悪戯っぽい微笑みをいっぱいに浮かべて、柔らかな風に蜂蜜色の髪をふわりと靡かせる。

思わず見惚れる、なんてものじゃない。

まさに魂を吸われそうな、その凄絶な美しさ。

まるで淫靡に快楽の世界へ誘うサキュバスのようだ————と、初めて会ったあのときも思った気がした。

初めて出会ったあの時まで、彼女の瞳は死んだような灰色の世界の色を浮かべていた。

しかしいまは、澄みきった凪の海。

深い青に、独りよがりの悲しみは沈んでいない。

とても美しくて、蠱惑的で、それでいて真っ白な君。

————もしかしたらこのとき……俺はこころを奪われたのかもしれない。

「……っておい、置いてくなってば!」

気がついたら桐子は教会に向かって歩いていて、すっかり置いてけぼりを食らってしまった。


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