あなたのことが、好きだから。
桐子が秋によって無事に救出されてから、二日が経過した。
彼女の状態はほんの少し衰弱していたものの、栄養補給として点滴を施されて、医師の診察を受けたらほとんどすぐに帰宅できた。
今日は教会と提携している精神科病院に、一応、事件の後遺症がないか調べてもらいに来ていたのだ。
上司として、ルカが付き添っている。
一応は問題は見られないとの診断に、桐子だけでなくルカも安堵の息をついた。
待合室で会計の順番を待っていて、読みたい雑誌も特になく。手持ち無沙汰にしていたところ。
「ブラザーアスカリ。少しお伺いしたいのですが」
「ん、どした?」
桐子らしくない遠慮深そうな、少し弱気な声音に、ルカは耳を傾ける。
しかしルカは本部との連絡用にメールを打っていて、画面から目を離せない。
桐子が口を開くまで待っていると、やや間が空いてから問いかけられる。
「高校とは、どうやったら入学できるものなのですか?」
「なんだ、学校行きたいのか?そういやお前、小卒だもんな」
「小卒、というのはやめてください。……それで、どのように?」
からからと笑うルカの冗談にやや不満を持ちつつ、桐子は興味深げに詰め寄った。
メールを打ち終わったルカは桐子に向き合い、冗談はここら辺でなしにして桐子の問いに真面目に答える。
「試験を受けにゃならん。お前が勉強してない中学校の範囲をな」
「そ、そうなのですか……わかりました」
明らかにしょぼくれた桐子を見て、ルカは彼女の思惑と悩みにピンと来た。
ははーん、もしや。
とオヤジの世話焼きが発動、にやにやしながら提案する。
「……秋に教わったらどうだ?」
「どっどどどどうして彼が出てくるのです⁉︎私は別に」
ルカの提案に、桐子は明らかな狼狽を見せた。
いつもの彼女らしくない、けれど健康的でいい現象だとルカは微笑む。
「こんな適当なオッサンが教えるより、現役高校生の方がいいだろうと……。他の意味があったのか?」
ちょっとした意地悪心で問うものの、しかし残念ながらここで会計の順番が回ってきたようだ。受付の女性が桐子の名を呼んでいる。
「なにも意味などありません!!!!失礼しましたっ‼︎」
ぷりぷりと怒りながら、会計窓口で領収書を受け取りに駆けていく、その後ろ姿は。
ルカから見たら、いつもよりもずっと軽やかで色鮮やかな気がした。
「ふーん……いいねぇあのクソガキ。沙也加ちゃんといい……モテ期か?オッサンも欲しかったなぁ」
会計窓口までの道のりで、桐子は頬の熱気を感じてまた恥ずかしくなる。
こんな気持ちは、初めてです。
ドキドキと緊張したり、気持ちがうまく通じなくてなんだかイライラしたり。
あなたに名前を呼ばれる。
たったそれだけで、こころが空まで弾むくらい嬉しくてしょうがない。
薄暗いガレージのなかから秋に救ってもらった、あの日のこと。
夕焼けの空は橙色だけじゃなくて、ほのかな紫に、藍色も混じっていた。
そこには確かに【黒】もあって、でも優しくのびやかに溶け合っている。
こんなにもたくさんの色彩。鮮やかに広がるセカイ。
くれるのは、あなただけなんです。
『秋』
なんて、小さく声に出してみる。口の中で転がるそれは、まるで魔法の言葉みたいだ。
あなたの名前を呼ぶたびに、凍てついたこころが少しずつ溶けていく。
自信のなかった私のことを、あなたは褒めてくれる。
あなたは欲してくれる。必要としてくれる。
認めてくれる。
もう自分を守るための硝子はいらない。
あなたが割ってくれたそこから、一歩踏み出して、窓の向こうへ行けたから。
私のたったひとりの神父さま。あなただけを信じております。
————あなたのことが、好きだから。




