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ドルチェの真実

女性に腕を後ろで拘束され、しばらく『闇市』のなかを歩く。旧横浜駅前を出て、まだ歩くようだ。

おそらく横浜山手方面に向かっている。

「……どうしていまさら、あいつに手を出すんだ?」

秋の声に、藤は冷徹な声であっさりと返した。

「君の疑問を消化する気はないよ」

「大切にしてたんだろ?」

しかし今度は、返答がない。

「…………」

藤は先頭を歩いているので、その表情は見えない。ただ真っ直ぐに背筋を伸ばして、どこかを目指している。

彼がいまどういった思いを馳せているのか、硝子の仮面マスケラに隠された本心。秋には皆目見当がつかなかった。

秋に藤の気持ちなんてわからない。どんなに考えても、想像すらつかない。だけど。

「あいつはいまも、お前のことで苦しんでる。もう解放してやれよ!」

桐子が苦しんでいることは、ほんの少しだけ伝えてくれたから。

隔たった硝子を思い切って叩き割って、踏み込んで。

彼女の思いは、欠片で傷ついた痛みで知ることから。始めてみよう。

「君には永遠に、理解できないだろうね」

「……?」

藤の声は冷え切っていて、永久凍土みたいに頑な。

何者であっても絶対に信じない、信じることを辞めた、もしくは棄てた————そんな寄る辺なさが混じっていた。

おそらく彼は〈レザークラフト〉の幹部でありながら、【レザーフェイス】という絶対神すら、まるで信じちゃいない。

その意志がどこから湧いて出たものなのか、もう止まることはないのだろうか。

「さて、と」

と切り替えるみたいに、あっさりと重みの少ない明るい声。

気がつけば立派な門扉の前に立っていた。

「僕の美しい機械人形劇グランギニョールへ————Benvenuto.(ようこそ)」

秋にとっては、拍子抜けするほど想像とかけ離れた場所だった。

開け放たれた優美な鉄の門扉、その先には柔らかな印象の庭木に囲まれた、瀟洒しょうしゃな洋館がある。

「この洋館は大正時代に建てられたものを改装させてね……貿易商の家だったらしい。この緑の色合いが気に入ったんだ」

庭を横切りながら藤がうっとりとした瞳で解説している側で、秋もこの美しさに思わず見惚れた。

橙色のフランス瓦の屋根、真っ白な壁面に緑の窓枠が印象的な、なにか美しい物語を連想させる家だった。

庭木も一緒によく手入れされているようで、とうに散っている桜の木も、きっと時期ならとても美しい景観を望めるだろう。

「……あのガレージは?」

その庭の端っこにある、この景色にはいささか似つかわしくない、無骨なガレージが秋の目に止まった。

一見してコンクリートでできた、頑丈そうな建物だ。なにかの工場のような印象を感じたのは、秋の気のせいか。

「あぁ、僕の趣味で造らせた。なにかと作業できる広い場所が欲しくてね」

秋がその話題に踏み込む前に、洋館の玄関口に到達した。

アンティーク調の丸みを帯びた手摺に、よく似合う古びたウォード錠。

カチリとちょっと軽めの解錠音が響いて、秋は中へと招かれる。

そのときにはもう女性からの拘束は完全に解かれていたが、今更逃げようとは思いもしなかった。

広めに取られた玄関ホールもその外観と違わぬ美しさと色合いで、インテリアにも確立としたこだわりが見える。ところどころに観葉植物の鉢植えがあり、その緑が見るものの心を潤すようだ。

内部の間取りは現代ではあまりお目にかかることがない中廊下型なかろうかがたの造りで、玄関を入って真正面に居間と合体したサロンルームがあった。

大きめに取られた窓から差し込む陽光が、柔らかく室内を彩っている。

テーブルやソファもアンティーク調で、サロンルームの少し色落ちした内装とよく合っていて、窓際に行けば居心地がよくて昼寝でもしそうだ。

そのサロンルームはまったくの無人だが、やはり埃が見当たらないくらい手入れが行き届いており、普段から人が住んでいることを物語っている。

だがひと気はまったく感じられない。

掃除はきちんと行き届いている。内装も適度に生活感があり、美しい。

うらぶれた廃屋なんかじゃないのに、まるでこの世から切り取られたかのような静けさ。

それが不気味で、秋の不安をさざ波のように煽る。

首筋がチリチリするほどに感じる、この言い知れぬ不安はなんだ。

「まずはご挨拶に、僕のギャラリーへと案内したい。こっちだ」

と案内されたのはご自慢のサロンルームではなく、階段を上って二階。

広いバルコニーの他には、三つの部屋がある。

そのうちの一つに呼び込まれ、藤によって紳士的に開けられたドアの奥を覗いた。

「……っ⁉︎」

大きな棚が、壁一面にきっちりと置かれている。

あまりにも大きくて、秋は自身が不思議な小瓶の中身を飲んで小さくなったのかと、錯覚しそうだった。

そのひとつひとつに、ドレス姿の女性が納められていた。

藤のコードネームが《青金の人形遣い(ドール・プレスティジャトーレ)》たる所以ゆえん————使用している戦闘用のドルチェだ。

彼女たちはみな死んだように青白い肌をしていて、しかしその肌に丁寧な化粧を施されていた。

青白い頬にほんのり差された紅が、滑稽とすら感じてしまう。

まるで童女が楽しく集めた人形のように、彼女たちは静かに手足を投げ出していた。

「生きた脳を積んだ彼女たちにはどうしても睡眠が必要でね、普段はこうして休ませているのさ」

その異様な光景の最中にあって、藤はとても楽しそうに語りだす。

お気に入りのコレクションを友人に見せつけたときのような、無邪気な喜び。

「どうだい、美しいだろう⁉︎僕の人形たちは!人間なんかと比べ物にならないよ‼︎」

歓喜を叫ぶ藤を無視して、秋はある可能性を確信させるべく、ふらつきながら女性が飾られた棚に近づく。

女性たちは眠っているというが、呼吸のために胸を上下させている様子はない。

おそるおそる触ると肌は見た目通りの温度で、妙な温かみを感じるが、『生きているもの』のそれではない。

しかし肉らしい確かな弾力もある。

指にはそれぞれ爪があり、まるで血が通っていたかのように感じられる。

藤の説明通り、そして秋の予感が的中した。

「これ……ぜんぶ、生きてた……ひと?」

秋の喉から漏れ出た掠れ声に、藤も機嫌よく答えた。

「察しがいいね、流石だよ。僕が自ら厳選した美しい女性を、できる限り傷つけないように殺し、新鮮なうちに特殊な防腐処理を施す。これで脳へのダメージが軽減できるんだ」

藤はおもむろに連れて歩いていた女性の肩を抱いて、自らの苦労を思い出しながら秋につらつらと語る。

「それからの作業がまた大変でね。なにせ旧時代の“アンドロイド”はまだしも『機械兵器ドルチェ』にするには、武器変形のためのボディが必要だ。とすると臓器は機械が発する熱で劣化するから、彼女たちのものを使うのはNG。初めの頃はいまでは貴重な人工臓器のジャンク品を研究して、ようやっとの思いで造ったよ」

お気に入りの人形を大事に抱く子供みたいに、物言わぬ女性の栗色の髪を撫で付ける。

「脳もね、機械の熱に一番弱いんだ。だから頭蓋には特殊な熱を通さない金属を取り寄せて、加工したものを使っている」

藤がこれまで使っていた戦闘用ドルチェ。

それらはみな、本物の人間を使った禁忌の人形ビスクドールだった。

「っ……まさか、あいつも……⁉︎」

恐ろしい予想が、秋の脳を横切った。

桐子を攫ったということは、もしかして。

とっさに機械人形ドルチェが飾られた棚の中から、彼女の蜂蜜色の髪を探した。

しかし藤は可笑しそうに微笑んで、否定する。

「ふふ。桐子を機械人形ドルチェに、かい?僕は最初に言ったろ、桐子には一切手を出していない」

彼はやはりお遊びのように両手で人形を弄ぶ。

その人形が死体という事実が、まるで嘘のように秋の脳をがんがんと叩きつける。

「確かに我が妹ながら、とても美しくて仲間内でも評判さ。僕も鼻が高いよ」

是非ともドルチェにして売ってくれとも言われる、などと残念ながら冗談には聴こえない恐ろしいエピソードも口走る。

だけどね、と藤はきわめて純粋で残酷な表情かおを覗かせた。

藤が躊躇いもなくドルチェから手を離したことで、女性の体は一切の抵抗なく揺れ、すぐ側の壁に激突した。

まるで壮大な夢を語る少年のように、両手を自由に大きく広げる。

もしその夢に色が付いているとしたら、一切の混じり気ない、【黒】だろう。

「桐子に与えたい『絶望』っっっっっ!!!!!!!それを見せるまではっ!!!!決して殺したりしたくないんだよっっっっ!!!!!!!」

彼のなかに収まりきれない、その狂気が叫ぶ。

総てを塗り潰す【黒】。

美しい睡蓮もその水面も、すべての景色を消してしまう【黒】。

それは確実に秋の背後に忍び寄り、真綿のように首を絞める。

「じわじわと与えるモノほど、痛いことはないだろう?ねぇ……『黒澤泰介の一人息子』くん?」

「……っ⁉︎」

「黒澤氏のことは徹底的に調べあげたさ。容姿、出身地、出身校、家族構成……その過程で君のことを知ったんだ」

藤が棚からいまどき珍しい紙の束を取り出して、それを秋に放り投げる。

毛足が短い絨毯の上に撒かれたそれらに目を通すと、確かに秋の父親の記録が残されていた。

写真データも一緒に印刷されており、秋にとって懐かしい顔が、記憶よりも若く元気そうに微笑んでいる。

父の名がこの場で出てくる理由。

秋にはなにも予測が立てられない。

突然に命綱もパラシュートもなしで、冷たい空中に放り出されたときのような、そんな感覚が襲いかかる。

音もなくたったの一瞬で側に寄って来た藤は、秋の耳元で感興を囁いた。

「どういう気分だい?『悪魔の子』というものは」

「…………は?なんのことだよ、それ」

秋の明らかに怪訝な表情を、藤は先ほどにも増して上機嫌で珍しそうに眺める。

それは理解できない現象ものを観察して徹底的に、自分が納得いくまで研究する、この世の理に挑み続ける科学者の眼だ。

「当時はともかく、いまの君がなにも察していないとは、とても思えない」

コツ、コツ、コツと。

革靴が興味深げに高鳴った。

あの地獄の日々。父が果てた、あの日までのこと。


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