目を逸らす、揺れる。
どくんどくんと、心拍が上がる。
この先を知ってどうする。私はその衝撃に耐えられるのか。
不安で息を呑む桐子に、藤はかつての面影を残した優しさを織り交ぜて逆に問いかける。
「お前はドルチェがどうやって作られているか、知っているかな?」
桐子がふるふると首を横に振って『知らない』と暗に返事をすると、藤は鉄扉を開け放して連れ回していた女性を連れ込んだ。
純粋な戦闘力では教会の修道女随一であると自他ともに認識している桐子を、いとも簡単に気絶させた女性。————彼女がヒトではなく『機械人形』であることは、もはや明白であろう。
しかし改めて見ると、その結集された技術力の高さに驚かされる。
きめ細かくて触ると吸い付くように滑らかな肌、さらさらの髪、宝石を嵌め込んだような瞳。まるで生きているようだ。
藤もうっとりとした瞳で、彼女を見つめている。
「美しいだろう?生きている人間よりも、ずっと」
一般向けに販売されているドルチェのほとんどが、第一高校に配置されていたような、外見からして明らかに機械だとわかる作りをしている。
接続コードが関節部分から丸見えで、表情もなにもない機械そのもの。
しかしドルチェが真に『機械人形』としての価値を見出されるその要因は、彼女のような美しい「人間そのもののような」外見であろう。
もちろんそちらの方がより高価で、一般にはなかなか流通できないほどに製作期間がかかる。大金持ちの好事家が、趣味でようやく中古の一体を買うくらいだ。
新体制の日本軍が所持しているような戦闘特化型であれば、仕様によってはたった一体で億を超える場合もある。
世界随一の“工業都市”がある日本ですらその有様なのだから、諸外国が手に入れるにはそれこそ国家予算を洗い直しても足りないくらいだろう。
崩壊しかけた日本のどこか小さな企業が立案、設計したらしいが、その細かな製作工程はまったくの非公表。桐子が知るはずもない。
「彼女はね、実は最近まで生きていたんだ」
「……⁉︎」
桐子の驚愕で見開かれた両眼が、藤の隣に立つ人形に吸い寄せられていることを、藤はそっと確認してほくそ笑んだ。
「驚くのも無理はない。ここまで美しい状態で再現させるには、国に公開している技術じゃ無理だもんね」
彼女の肌はまるで生きているヒトそのものののように、ほんのりと朱が差している。皮膚が薄い部分から見える血管も、呼吸すら完璧で自然なものだ。
これほどまでに精巧で自然的なものは、機械技術が発達目覚ましい現代の日本でも、本物の人体以外では有り得ない。
「『ドルチェ』は元々、〈レザークラフト〉が墓都市から悪魔召喚のために攫った遺体を、二次的に利用して造られていたんだよ」
悪魔召喚のために様々な実験を経て、最終的に遺体は邪魔になる。
処分しようにも、そこから組織の秘密が露見してしまえば本末転倒とも言える。よほどうまく秘匿しなくては。
しかし同時に墓都市を警護する墓守との戦いで、その時すでに設計図はほとんど出来ていた戦闘特化型ドルチェの導入を〈レザークラフト〉上層で検討されていた。
あとは材料の懸念、それだけだった。
遺体の脳は死んでいるわけだから、新しく脳を積まなくては『機械人形』足り得ない。
「そこで脳に高度人工知能(AI)を積むことでより人間に近い思考と、人間以上の能力が得られると期待されていた。だが残念ながら、人工知能は所詮作りもの……肝心なところでバグが生じるらしい」
そこで実際のヒトの脳を利用することが、またしても黒澤泰介の発案によって新たな議題として持ち上がった。
脳移植の際、最難関とされているのは神経系の接続である。細かな神経を一本一本、間違いのないように接続しなければ、脳の移植は成功しない。
しかしその問題は、組織内にいる医師免許を持った構成員の存在で解決した。
脳神経系は専門外ではあったものの、幸いにも彼はオペ経験が豊富で、知識も人一倍吸収している、表向きは非常に優秀な医師だ。
彼を設計チームに加えたことで、ドルチェの脳は人間の脳を使うことが可能となった。
そのために新たに人を殺すことなど、もはや散々と遺体を弄くり回した人でなしの彼らからしたら、なんともないことだった。
泰介も、このプロジェクトの成功があって、事業を拡大するための資金繰りを〈レザークラフト〉に頼むことができた。
「……そん、な……」
世間で公表されている美しく便利な機械人形のドルチェと、始まりの『ドルチェ』の、そのあまりにも大きすぎる差に。
桐子はただただ絶句した。
そしてそのあまりの醜悪さと残忍性に、思わず胃液を吐き出しそうになる。
立ち上がったその脚から、だんだんと血の気が引いていき、崩れ落ちた。
「しかしこんなに素晴らしい技術も、〈レザークラフト〉からしたら悪魔研究の副産物でしかない。勿体ないとは思わないかい?」
そうあっけらかんと言ってのけながら、藤は愛おしそうに蒼白気味の妹の頬をベタついた手つきで撫で回した。
相も変わらず甘い声が、桐子の耳朶を気味悪くくすぐる。
「黒澤秋……彼には素晴らしい招待状を用意しよう。お前という最高に美しい人形の、華々しいデビュー舞台さ。安心しなさい、きっと観に来てくれる」
お前、というのは明白に、桐子のことを指していた。
そのために桐子を攫い、藤の思い通りに動く人形として、再生させられるのか。
「それまでここで、大人しくしているんだよ」
桐子にそう言い聞かせて女性のドルチェと連れ立って、倉庫を出ようとするその背を、桐子は呼び止めた。
「まって!」
「なんだい、桐子」
「どうして……私、なのですか?」
あの日。
彼は屋敷にいたほとんど全員に手をかけておきながら、しかし桐子にはなにも触れなかった。
それはもしかして……桐子が兄を想い続けていたものと、同じことではないのか。
期待して、もしかしたら、なんて。ずっと思っていたことの一端を、桐子に唯一残された最後の希望を口にしてみる。
『桐子だけは大切だったから』などと、あの頃みたいに優しく頭を撫でてくれると。
兄の愛は、いまだって変わることはないのだと。
そう、信じていた。
だが。
「勘違いしてもらっては困る」
こちらに振り返った兄のその瞳は、桐子が寄せていた淡い期待とはまるで正反対の色味を帯びていた。
「お前が『青柳桐子』だからじゃない、『黒澤秋のパートナー』だから、だ」
冷たく、氷のように、硝子のように、誰も寄せ付けようとしない鋭い声。
そこには、家族への情などという甘い理想は一切合切棄てた、なにがあろうと二度と戻るつもりはない。そんな兄の非情が映っていた。
「お前になど、『青柳桐子』になどなんの価値もないよ。美しい兄妹愛なんて、反吐が出る」
妹だから情けをかける、妹だから特別視する、たったひとり愛していた妹だから、『青柳桐子』だから。————などということは一切なく。
兄が見ているもののなかには、『青柳藤』のこころの中には『愛しい妹の桐子』などもうどこにもいない。
いつかは、なんて希望が有り得ないと、藤の視線は暗に示していた。
「…………私は、お兄様のことが大好きでした」
深い絶望の色に怯え、項垂れるなかであってもなお、信じたかったあの日々が光って消えない。
穏やかな陽だまりのなかで、木々に身をゆだねて絵本を読み聴かせてもらったこと。
その声はいまとは違う、記憶のその中で感じた陽だまりと同じ温かさと柔らかさ。聴いているとうっとりとして、安心して、いつの間にか眠ってしまう。
夢のなかでも兄は優しく、頭を撫でてくれている気がした。
兄がいたから、藤がいてくれたから、どんなに両親に愛されなくても生きていられた。
「たったひとり、私のことを愛してくれるお兄様に愛されたい、追いつきたい……と、必死でした」
ずっと藤の隣にいたいから、つらい修行にも耐えて、猛勉強の日々を乗り越えて、修道女になったのだ。
修道士でいるときの藤のことも、根本はなにも変わることなく大好きだった。
かっこよくて、強くて、優しい。
私が憧れた、私の姿そのもの。
「その気持ちすら……ぜんぶ、ぜんぶ無駄だったのですか?藤お兄様!」
「————そうだね」
桐子の悲嘆を、しかし藤はすべての風を撥ねつける硝子窓のように、ぴしゃりと冷淡に閉め切った。
桐子を見下ろすその瞳、永久凍土よりもなお冷たい。
桐子が寄せていた幻想はいよいよもって完璧に、粉微塵に破壊された。
「僕は……僕を『青柳藤』として見ている人間が大嫌いだ、桐子」
コツコツコツと、先ほどの余裕はどこかへ消えたみたいに、やけに速く苛立った足音。
きつく組んだ腕の上で、指が苛立ちに躍っている。
「僕はお前の瞳が大嫌いだった。僕をいちばん『青柳藤』として見ていた」
「そんな……そんな、ことは……」
「じゃあどうして!」
彼のなかでなにかが堪りかねたのだろう。彼女の答えを待つこともなく乱暴に桐子の襟ぐりを掴み、いままでにない激昴が姿を現した。
「お前はそんな、濃く失望した瞳で僕を見る⁉︎」
僕がどんな道を選んだとしても、僕は『青柳藤』なんだ。
本当の僕は、お前が思うような兄ではないんだ。
その期待に追いつくこと、お前が思い描く『立派な修道士』になんて、僕はなれっこない。
願わくば。
モネの『睡蓮』のように、ただ穏やかに美しく佇んでいたい。
僕は————
「おにい、さま……?」
桐子の戸惑った問いかけの声に、はっと我に返ったようだ。
彼女の襟ぐりを握る藤の手が、突如として力を失う。その衝撃で桐子は硬い床に投げ出された。
「…………食事をとって、大人しくしていなさい」
それだけ言って機械人形を連れて出ていった。
その兄の背中が、声が、どうしてか。
淋しくて、悲しくて、やるせない。そんな色を浮かべていたのは、桐子の気のせいなのだろうか。