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囚われた睡蓮

「……ここ、は……?」

薄暗くて湿ぼったい、ほんの少しの黴と埃が混じった空気を吸い込んだ。

どこだかまるで見当がつかない場所で、桐子は目覚めた。

首を絞められたせいか、頭に鈍痛が残っている。

重だるい体を冷たいコンクリートの床からゆっくりと起こして、辺りを見回した。

明かりの類はなく、鉄格子が嵌められた窓から、かろうじて陽光が差し込んでいることから、夜ではないとだけ判断できる。

どこかの工場か倉庫だったのか、なにもない殺風景なコンクリートの壁と床だけが広がっていた。

気を失う直前に目に映った、藤のあの余裕めいた笑みを思い出し、源泉のように溢れ出る恥辱で思わず舌打ちした。

兄がなんのつもりか知らないが、手脚をまるきり拘束しなかったのは、いくらなんでも桐子を舐めきっているだろう。

さすがにナイフやハンドガンなどの武器となる所持品は一切没収されているが、身ひとつだってここから出てやる。

ぐるりと倉庫内を一回りしてみたが、どの窓にももれなく鉄格子ががっちりと嵌めてあるし、唯一の出入口である鉄扉も頑丈な作り。おまけに鍵がかかっているようだ。

一応、押したり引いたりしてみたものの、まさに蟻の子一匹も通さぬような、といったところ。一筋の風すら通さぬ様相だ。

桐子はすぐ足元の冷たいコンクリートの床に、どかっと腰を下ろした。

胡座をかき、唇に指を当てて、深い思案の表情。脳を根こそぎ絞り尽くすための、自分なりのトリガーだ。

なにか、なにか名案は出ないか。

絶体絶命のこの場を切り抜ける、絶対無敵のアイデア。

武器をはじめとした道具は、ゼロ。出口になりそうな小さな隙間や穴も、ない。

考えるのを止めるな、考えろ。なにもないなら捻り出せ。

「————…………っ‼︎」

脳細胞が焼き切れそうになるほどの思考の先に、ひとつの逆説だけが希望のように煌めいた。

なにもない。……はずがない。

『この身ひとつだって、ここから出てやる』と、自分で自分に誓ったではないか。

ちょうどそのとき、無言を貫いていた鉄扉の向こうに人の気配がした。

その人物は鍵を弄っているようで、しばらく金属が擦れ合う音が聴こえたと思ったら、やがて扉は開け放たれる。

重々しい扉の音と、目映い外からの光。

「あぁ、起きたんだ」

思わず目を細めたその先には、仕立てのいいスーツを着込んだスタイルのいい優男。

不気味な白い仮面マスケラは外していて、人形のように美しく整った顔立ちが露わになっている。

「っ……青柳、藤!」

「あの衝撃を受けてそんなに元気があるなら、心配は無用かな?」

桐子は精いっぱいの敵意を込めた視線を向け、最大の侮蔑と嫌悪を声に溢れんばかりにたっぷりと載せた。

しかし彼にはまるで通じないようで、桐子の反抗はしょせん子供の駄々、とでも考えているのか、さらりと受け流される。

「軽い食事を持ってきたんだ。さすがにお腹が空いただろう?」

そう言いながら彼は持っていた銀盆に掛けていたナプキンを取り外し、サンドイッチの山をカフェのウェイターよろしく桐子の前に差し出した。

茶色い目が荒い食パンに、シャキシャキのレタスと、瑞々しいトマト、濃厚な橙色のチーズに分厚いハムが挟まっていて、ソースの色は桐子が見たことのない山吹色。

いままで緊張で麻痺していた空腹が、目の前に差し出されたそれで悲鳴をあげる。

口中で涎がじゅわっと滲み出てくるのを無理矢理に飲み込んで、桐子は藤の様子を窺いつつ厳しく追及する。

「……私を捕らえて、こんなところに閉じこめて、あまつさえ食事を与えようとするなんて。いったい、どういうおつもりなのですか?」

「お兄様の愛情を疑う気かい?ひどい妹だな」

心外だとばかりに肩をすくめる兄に対し、しかし桐子は依然として厳しい態度は改めようとしない。それどころか、どんどん疑念は深まっていく。

「あなたのことはもう、兄だなんて思っておりません!」

「知っているよ」

眼前の誘惑を断ち切るように目を逸らす桐子の、その目の前で、藤はおもむろにサンドイッチのひと山に手を伸ばした。

ほとんど咀嚼音などしないほど、上品に一切れのサンドイッチを口に含みながら、藤は余裕を見せつけるかのように微笑む。

「『黒澤秋』くん、お前のいまのパートナーだそうじゃないか」

「……それが、なにか?」

秋の名を耳にした途端の、桐子の密かな苦痛を、藤は敏感に感じ取ったようだ。

その辺で十円硬貨でも拾ったような、ほんのりと弾んだ声で桐子が手をつけようとしないサンドイッチに、手袋を付けたままの手を伸ばす。

「おや、その話題には触れて欲しくないようだね。昔から桐子はポーカーもババ抜きも弱かったなぁ、ふふ」

懐かしい、とは口にしていても、その瞳には優しい憧憬の色がまったく窺えない。

むしろ先のわからない洞穴のような不気味さと仄暗さが垣間見え、桐子も昔の兄を思い出して疑った。

あの優しかった兄が、どうしてこんなにも闇を抱えてしまったのだろうか。

桐子が記憶している兄と、いまの兄。いったいどちらが本心だったのか。

淀みなく二切れ目のポテトサラダが挟まった白いサンドイッチに手を伸ばし、藤はむしろ桐子への嫌味みたいに話を続けた。

「彼の父親が〈その筋〉じゃあ有名な資産家だったこと、桐子はきいているかい?」

————〈その筋〉……?


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